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詰め込みすぎたキャリーケースが突然溢れるとは限らない、なぜならほどほどに整理してるから(たぶん)

お出かけの荷造りがだいぶ面倒なわたしです。しかし今はアプリで持ち物チェックリスト管理できるのでほんとありがたい。中高の合宿の頃にあればめちゃくちゃスムーズだったのに。元々いくつかキャリーケースを持ってましたが、実家に置いてきたり破損したりで、今使えるのはMとLL(※主観によるサイズ判定。メーカーの公式サイズではない)しかない。悩みながら結局Mサイズを選択。現地調達系のものは送るか手持ちになるんだろうな…今から多少辟易しております。

全然話は変わるんですが、ふと思ったこと。だいぶ大人になってから、(念のため、すでに所属コミュニティは別の人です)自分の感情をめちゃくちゃ出す人にあったことがある。
感情といっても喜怒哀楽にとどまらず、たとえば(例ですよ!)自分がほしいアクセサリーを他の人が持っていると「なんで、わたしは買えないのにずるい!!」みたいなことを大声で言う感じ。いやほんとうに。飲み会の話題(だとしてもどうかと思うけど)や、冗談めかして相手を褒める(誰々ちゃん持っててすごい)とかじゃなく、ガチで真顔で当人や皆の聞こえるところで「なんで?ずるい!!」

※アクセサリーは例です。

わたしは、これものすごく驚いたんですよ。なんか、そういう発言を聞くのも幼稚園以来だったなと。
半ば心から本当に「なんであの人があのアクセサリー持ってるの?ずるいよね?」って思ってる感じ。※アクセサリーは本当に例です。

ふつうはその感情が、自分の「いいなあ」に繋がっていると気づくところですが
その人は本当に「ずるい」と糾弾していた。「私が買えないものをあの人が持ってるのはおかしい。私の方が似合うのに」みたいな。
※補足も馬鹿馬鹿しいけど、買った人は正当な方法で手に入れているわけなのだからずるいも何もないのですが。

たまにそれに本心かは別として賛同する人がいてびっくりしたんです。「誰々さんがずるいって言ってたよ…確かに似合うの難しいよね」みたいな。いやいやいや、もう話のベクトルがおかしい…。アクセサリーは例ですが、ショップが売ってその人が手に入れた以上、似合う似合わないなんて話は関係ない人間の評価でしかない。その人はアクセサリーを正当な方法で手に入れて、つけている。それが事実なんです。

でもわたしはそのとき思ったんですよ。

わたしは、小さい頃から親族や塾に優秀な人がいたおかげ(?)でそもそもずるいって感情を持ちにくかった気がするんです。もし「ずるいよーー」って叫んだからって、慰めはあったとてずるいと思う要因については誰も何もしてくれないし自分も何もかわらない。

もう幼稚園や小学校低学年で「なんであの人は頭がいいんだ?親族の集まりでも褒められてる、いいな」と思ってもそこから「そこでずるいと言っても、わたしが褒められることにはならないし、無駄だしみっともないな」となんとなく思うようになってしまった。

これはこれでわたしの感情整理だったのですが
ふと子供のときくらい思いきり「なんであの人褒められてるの!!ずるいよ!!」って叫んでもよかった…のかななんて思ったりもする。

大人になると「わたしは頭良くないけど、あの人は同じ親族なのになぜか褒められててずるいよ!!」なんて言えないからね。この太字に気づかない頃に叫んでおくのもアリかもしれない。その人から学んだ唯一のことです。
※念のため、しつこいようですがもはや同じコミュニティにはいない人の話です。

あ、普通に親戚も親も頑張ったことには褒めてくれてたし、何か比較するってこともありませんでした。
ただ、あくまで身内ネタではありますが、本当にわたしとはちょっと「優秀」のレベルが違ったので
身内も身内で下手に「あやちゃんも同じくらいすごいよ」とも言えなかったと思います(笑)

さて、ほんとうに荷物詰めが終わりません。とりあえず詰め込むのもよろしくない…

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