コロナ禍で学んだこと ー"いつか"が来ないかもしれないと気づいた時にあなたはどうしますかー
人間という生物はあまりに脆くて儚い。
2019年の暮れから流行し始めた新型コロナウイルス感染症によって、人種、年齢、性別、職種、その他あらゆる括りを超えた、多くの人が「死」を身近に感じたのではないだろうか。
勿論、私もその1人だ。
元々職業柄、死に直面する機会は少なくないこともあって、最期をどう迎えるか、ということを前々から人生のテーマのひとつに掲げていた。
とはいえ、まだ20代半ば。その"最期"はずっとずっと先で、遠い未来の話だと思っていた。
しかし、新型コロナウイルス感染症の流行で、遠い未来を近くに感じるようになったのだ。
1.新型コロナウイルス感染症で変わった日常
新型コロナウイルス感染症が流行してから世界は一気に変わってしまった。
最初は隣の国で何か大変そうなことが起きている、そんな他人事の感覚だったのが、日本でも何か起き始めた、高齢者が危ないらしい、という危機感へと変わり、誰が罹ってもおかしくない、罹った時には命が絶えてもおかしくない、そんな恐怖へと変わっていった。
世界が変わると同時に、私たちの日常も大きく変化した。
全員がマスクをつけなければならない、旅行どころか外食や飲み会も制限され、会いたい人に会えない、行きたいところにも行けない、やりたいこともできない。当たり前に出来ていたことが当たり前でなくなった日常が私たちを待っていた。
2.もう一つの苦痛と恐怖
私は元々、人と会うことが好きだ。旅行に行くのも、お酒を飲むことも好きだ。そんな人間にとっては、当たり前が当たり前でなくなるのは、大きな苦痛だった。
そしてもう一つ、大きな苦痛と一種の恐怖を感じるものがあった。
私は社会人になってから、やりたいことリストを自分で書き出し、これからの人生でやりたいこと、行きたいところ、見たいこと、着たいもの、色々な◯◯したいを、計画しいつか達成する日を楽しみにしながら日々を過ごしていた。
だが、コロナによって、その「◯◯したい」を達成できないまま自分の人生がおわってしまうかもしれない。
そんな苦痛、恐怖を感じるようになったのだ。
3.来ないかもしれない "いつか"
いつかお金が貯まったら行きたい
いつか機会があったら挑戦したい
いつか痩せたら着たい
いつかタイミングが合ったら見たい
いつか、いつか、いつか
やりたいことリストの内訳は、何かと言い訳や理由をつけて、いつか、と後回しにしていたことも計画していたことだらけだった。
いつか、自分がその気になれば出来る、そんな風に考えていた。
しかし、このコロナ禍で変わりゆく世界と日常の中で、"いつか"は来ないのかもしれないと気づくことになったのだった。
4."いつか" は "今"
日本には「思い立ったが吉日」といった諺がある。
私がコロナ禍で学んだことは、まさにソレだった。
当たり前のようにあると信じている明日は来ないのかもしれなくて、普通に出来ていることが出来なくなるかもしれない。
"いつか" と先延ばしにしていることを達成するための "いつか" が来ないのかもしれない。
だからこそ、制限のある中ではあるが、やりたいこと、やらなければならないこと、やらないと後悔することを後回しにせず、今、思い立ったその時から行動するべきなのではないだろうか。
なぜなら、その "いつか" は来ないかもしれないのだから。
"いつか" は "今" なのかもしれないのだから。
後悔しない最期を迎えるために。いい人生を送るために。やりたいことをやるために。
国内でのコロナが落ち着いてきている今だからこそ、今一度、確かでおきたかった、噛み締めておきたかった、大切なこと。
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