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じいちゃんの通信簿

祖父はシベリアで2年間強制労働させられてから日本に帰ってきた。
白い着物のような粗末な衣服。その縫い目にはダニの卵がぎっしりついていた。家族との再会を喜び合うのもつかの間、その汚れた服を剥ぎ取り熱湯消毒が始まった。

その後、社会復帰。建設会社に勤めていた祖父は、接待で毎晩のように飲んで夜遅く帰ってきた。家族を省みることはほとんどなかった。

私が物心ついた頃には祖父はすでに定年退職後で、よく入退院を繰り返していた。母に連れられて時々お見舞いに行ったけれど、おとなしい子供だった私と口数が少ない祖父が会話することはなかった。

ある時、祖父の家の寝室で二人っきりになったことがある。昼寝させてほしいと母が頼んだのかもしれない。昼寝嫌いの子供が寝るはずもなく、ベッドの隅っこに座っていたところへ祖父がやってきた。隣に座り、黄ばんだ紙を差し出した。その手には祖父の学生時代の通信簿があった。

漢字ばかりが並んでいる通信簿に面食らっていると

「昔は甲・乙・丙だったんだよ。甲が一番いいんだ」

ほとんどが甲だった。

「甲ばっかりやね。じいちゃん、すごかったんやね」

と言って祖父のほうを向くと、ちょっと得意げな顔がそこにあった。この時が最初で最後の二人きりの時間だった。

高校生の時、祖父は亡くなった。言い違えることはないくせに、お年玉袋の私の名前の漢字は一度も訂正されることがないまま旅立った。

先日、通信簿を見せてもらった思い出を母にしたら

「私でも見せてもらったことないのに」

と、ちょっとむくれていた。
あれ?話したことなかったっけ?
憶えていないけれど、じいちゃんと約束をしてたのかもしれない。

「しーっ!みんなには内緒だよ」って。

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