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エドガー・アラン・ポーの名著『黒猫』いじめと大人の無関心が引き起こした悲劇

47歳の時、私はモントリオールにある英語系の短大に入学した。

苦手だった英語(国語として)のクラスで出された課題図書がエドガー・
アラン・ポーの有名な短編小説『黒猫』。怪奇小説として日本でも有名だ。
最終試験だったので、何度も何度も読み返した。何度読み返してもエッセイの核になりそうなものが全く見つからなかった。自分の英語レベルの限界を痛感し、最終手段として日本語に翻訳しているものをインターネットで探してみた。そして、たった1つだけ意訳している人のページを見つけた。

通常、jestの意味は、冗談に[で]面白半分に、ふざけてと解釈される。偶然見つけた日本語訳サイトは、この単語をいじめと訳していた。

持っていた辞書にもいじめという意味での記載がなく、これが正解かどうかわからなかった。それでも英語を母国語とする人達だったら、前後の文章の意味合いからいじめと読むことができるのか?すぐにカナダ人の夫に確認してみた。答えは『いじめと解釈できる』だった。

本格的にエッセイを書き始める前に、英語の先生と面談をした。私が選んだテーマはいじめによる人格形成への影響。先生は、『この作品の中のどこにそんなことが書いてあるのか?』と反論してきた。当然だ。私のテーマは彼が前回の授業で話していた解釈のサイコパスから大きく外れていた。
私は本を開いてjestの部分を指した。

『なるほど。本当だ。こんな論文、今まで読んだことがない』

私はエドガー・アラン・ポーの研究者ではない。それでも、黒猫は一般的に解釈されているような怪奇小説ではないと思っている。この作品は、いじめられた子供とその問題に対する大人の無関心が重なった時にどんな結末を迎えるのか?を描いていると信じている。これはあくまでも私が読んだ感想であって、ポーがどういう気持ちで書いたのかは知らない。

1843年に発表された『黒猫』。ただ単に狂った男の話ではなく、いじめの犠牲者である若い男の人生が描かれた作品として再読したら、あなたはどう感じるだろうか?


最後まで読んでいただきありがとうございました。
是非『黒猫』を再読してご意見をお聞かせください。お待ちしております。

今回、私がこのエッセイを書いたきっかけになったのが、
横山小寿々★古妻日記さんの下記の投稿です。

そして、この投稿ははなまるえさんからのご紹介でした。

多くの方の目に留まりますように

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