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音を扱うという事。音楽家の潜在意識について

”音を扱うという事、音楽家の潜在意識について”という動画を去年作った。アップしたのは今年に入って、一時帰国してからだったと思う。それは、何となくこの類の発信に躊躇していたから。目に見えない事を良い事に、私の持論のこじ付けみたいにしたくなかったから。そして、音楽仲間とはあまりこう言った話題は出てこないから不特定多数の人の前に出す事に抵抗があった。

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でも、やはりこれはアップしておくべきだな、という思いが日々つのりアップするに至った。というのも、その動画を撮った後、音楽仲間でない人と、音や声の波動に関して話す機会が多く、共感してもらえたり、私の見解とリンクする事が立て続けに起こったから。そして、その感覚が私の偏見やコンプレックスから来る歪んだモノではないとの確信に至り、率先してそれを伝えていくべきだと思ったから。

そしたら先日、その動画に感銘を受けたという女性からレッスン希望の問い合わせをもらった。その動画で私は、「音楽家は、音を扱うからこそ、その目に見えない神秘性や波動、その音に、自分の潜在意識が乗るという事を認識すると良い」という事を話した。彼女もそれに共感してくれたそうで、さらにはアップしたばかりの私の演奏動画にも感動してくれた。こうして、発信している立場と言えど、やはりこの様に反応をもらえると、ポジティブなエネルギーを受け取り私自身学ぶ事もたくさん。まさにエネルギーの交流。


(その動画がこちら↑)

自己価値が低かったり、承認欲求が強ければその様な音になるし、愛に枯渇していたり、自分がどう見えるかにこだわる人の音にはそういった波動が乗ってしまう。そうすると、人によっては、その波動を受けて吐き気や頭痛を催したり、聴いていて、違和感を感じたりもするし、まあ簡単に言えば、どこか、感動しない演奏、になるのである。(エンパス体質の私はそういった影響は割と受け易い)奏者の心意気と素直なエネルギーと、音楽への敬虔な思い、ひたむきさ、人生への生き方そのモノが音に乗り、その人の謙虚な姿勢そのものが魂の輝きとなり、人を引きつける立ち姿、琴線に触れる音楽となるのである。

ただ、超一流の音楽家や、又音楽家に限らず、どの分野でもトップの人々は、そこの領域を超越し達観した領域で生きているので、彼らは、それらに向き合う姿勢そのもので人々に感銘を与える役割として生まれて来ているのもよくわかる。

さて、音楽のそれは本来決して不思議な事でも何でもなく、作曲家によっては、そこをものすごく理解しているであろう作曲家も見受けられたり。まだこれも個人的に調査中だけれど、例えば、モーツァルトを聴かせた植物がよく育つ、などはその分かり易い例ではないだろうか。そう、モーツァルトって、舞台で聴いて居ると、めちゃくちゃ波動が高いのだ。そして、モーツァルト歌いの歌手も波動が高い。ただ、奏者の精神性が追いついていないと途端に子供じみてしまうのもモーツァルトの不思議である。

波動の高い低いで良し悪しをジャッジするわけではないのだが、総じてそう感じる。だから、モーツァルトが歌いやすい、歌いにくいって、自分の波動の良し悪しで決まってくる時がある様に思う。勿論どのオペラでも作品でも、どの歌でもそうではあるのだが、明らかに、モーツァルトのオペラの舞台の波動が違って、そして、歌手は愛に溢れた人が多い様に感じるし、作品事態も愛や調和のメッセージが溢れたものが多く感じるが、おそらく、不幸話や悲劇に溺れたい人には多少物足りない内容かもしれない 笑。

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(スカラ座でのモーツァルトの舞台写真を探したのだが残念ながら見つからなかったのでミラノ近郊のコモ湖湖畔の街Bellagio。夏の湖畔は本当に美しい)

あくまで、これは私の感覚での感想でしかないけれども、その感覚と向き合ってきたが故に、今回のレッスン問い合わせでの感想が、まさにそこの部分で共感してくれた方だったので、また一つ、自分の伝えていきたい事に確信がもてた。

勿論、賛否両論あるだろうし、より高みを目指して切磋琢磨し、目標に邁進する事は人生において大変素晴らしい事であるし、そういった経験からより精神性が磨かれ、純粋な音となることは確信している。ただ、私にとっては、こういったエネルギーの観点から音楽との向き合い方を見直す機会にある意味恵まれたので、率先して伝えて行けたらと思っている。

さて、第一次、二次世界大戦中のオペラ歌手たちをよくオペラ黄金期と言われ、私は本当にその時代の音楽が好きなのだが、なぜあの様な、曇りのない淀みのない声が彼らが出せたかというと、単に技術の追求だけではなく、彼らの生き方そのものに淀みがなく、全て自己責任の上で、人生を生きる覚悟と、どう在るかという精神が純粋無垢にそこに存在していたからだと思っている。

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(ミラノの中心街からすぐの、Basilica San Lorenzo Maggiore/サン・ロレンツォ大聖堂)

時代も全く違うので、私たちの世代には到底至らない境地もあるかもしれないけれど、逆に、今の時代の、30代あたりの歌手から、全く新しい精神のフェアで愛に溢れた歌手たちが世界に増えて来てるので、そんな歌手たちを見つけては演奏に触れる、という機会を私は楽しんでいる。

今はもっぱらオンラインでの観賞にはなるが、SNSでも彼らの人となりに触れながら、私もいろいろ感化されながら、そして私も精神性を磨きながらポリシーを持って生徒さんに伝えていけたらと思っている。

最後に、そんな問い合わせをくれた生徒さんからの一言。素晴らしいメッセージをくれた彼女に感謝です♡

いつでも真剣に音楽と自分と向き合う人でありたいと思っています。目の前に存在する曲を、私ができうる限り、キラキラと生き生きとこの世界に存在してほしいから、そのために発声方法とか、表現方法とか色んな事を磨けたらいいなと思っています。


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