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結局VTuberの何が良くて見てるのか?を考えてみた~アイドル性でもタレント性でもない何か~

明日5月15日はときのそらさんの誕生日であること、
そして今月末に私のTwitter運用が実質1周年を迎えることを機に
「なぜVTuberを見ているのか?」の私なりの答えを考えて見たいと思います

これまでVTuberをどのように見ていた/楽しんでいたのかは
下記のnoteでも触れていもいますが
今思うには、大きく2つ挙げられるでしょう

見ている理由①コンテンツの誕生と盛り上がりをリアルタイムで体験したから

1つは「コンテンツが誕生し、大きくなるところを目の当たりにしたから」です
2017年12月、まさしくビックバンのごとく
「バーチャルYouTuber」というコンテンツがあらゆる人たちを伝播し
爆発的に大きくなっていきました
そのとき、リアルタイムでその興奮を感じていた身として
このコンテンツのこの先をずっと追っていたい、という気持ちにさせてくれたのです

noteにもありますが
私は一旦VTuber界隈から離れています
それはコンテンツがいったん成長を止め、ある種マンネリ期に入ったと感じたからでしょうか
(私の友人にはそういう人が多く、2018年半ばで離脱されている場合が多いです)
しかし、2020年からまたVTuberを見出すようになります
それが2つ目の理由

見ている理由②他にない「ワクワク」が感じられるコンテンツだから

これも前々回のnote(また下に貼りますが)でもあるように、「ときのそら」「文野環」そして「月下カオル」と
これ、面白くなりそうじゃない?』とか
今めちゃくちゃ面白い状況なんじゃない?』って
感じることが出来るのが
そう、今のVTuberコンテンツで感じている魅力なのです

「他にない何か」「主流とはあえて別のこと」「最先端」
どれも私の好きな観点ですし、VTuberはそういったことが生まれやすい界隈だと思っています
そこにいる人たちも、主流とは違う感覚やニッチなものであっても受け入れる人たちが集っていると感じます

ホロライブや天使うと、VOMSや雲母ミミのように
グローバルなコミュニケーションが(しかも英語圏や中国語圏のみならず)
ここまで活発なコンテンツは歴史上にも現在の日本発の分野でも類を見ないと思います

いま、日本のコンテンツで最先端の現象が起きているのはここ「VTuber」
であることは疑ってもいません
それだけの場所です

『現象』として楽しむVTuber界
~アイドル性でもタレント性でもない何か~

ここまで述べてきたことを総括すると
私はVTuber界をひとつの「現象」として楽しんでいるのだと思いました
それは正直、聞こえが悪いことかもしれません
でも、素直なところそうなのです

一方で「アイドル性」「タレント性」にはそこまで重きを置いていません
特に「アイドル」的な感情については理解が及んでいないことが多く、
分かっていないことに無理して賛同するのは良くない、とあまりそういうノリには乗っかろうとはしてきませんでした
「推し」という言葉もなるべく避けています
「タレント性」に関しては、もちろんVTuberの方々の動画や生放送などは楽しんでいますが、「タレント性」という尺度では見ていません
これは、単純に私がひねくれているだけなのかもしれませんが…(笑)

「現象」として楽しむ、というのは流行に乗っかるというのともまた違います
個人的には、このVTuber界隈がどんな局面に至ろうとも、最後まで追いたいという気持ちでいます
それもどうなの?という気もしますけどね
でも、これからどうなっていくのかがワクワクして仕方ないというか、
この先が気になるというのが正直な気持ちなのです

結論:それぞれの「好き」の在り方を大切にしよう

私は「現象」としてVTuberが好きなのだと断言しましたが、
「好き」の在り方は人それぞれあり、それは尊重されるべきです
少なくとも自分の好きも尊重しますし、相手の好きも尊重します
それが侵されることが一昔前は多かったですし、今も、
VTuber界隈に対するまなざしに関していってもまだまだあります
しかしながら、そこで崩される信念では足りえないのです

何より、皆さん自分自身を尊重して大切にして日々生きていきましょう
でないと、楽しめるものも楽しめないですからね
ですから、私も日常生活を軸に、余裕ある範囲でVTuber界隈を楽しんでいきたいと思います
誕生日は予定空けとくかな…

では…

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