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意味のないところから意味が生まれる

とある平日の夜、知り合いのプロデューサーを自宅に招いてぐだぐだとしゃべっていた。最近あったおもしろいこと、共通の友人の近況、閉店したお店の情報など他愛のない話ばかりが続いた。普段の会話の90%ぐらいはどうでもよい話をしている。どうでもよい話ばかりをしていると生産性がないように思われがちだが、そんなこともない。雑談の中からおもしろいアイディアのタネがポロッと出てくる時がある。

その後も二人の会話は続き、1冊の本を手づくりしようという話になった。お金をかけずにとりあえず1冊つくってみる。1冊作ればいろいろ改善点が出てくるわけで、結果2冊、3冊と試作品をつくることなる。そこで最初つくった手づくり本はいわゆる「ボツ」になるが価値が全くないわけでもない。「ボツ」の中にも後々振り返ってみると大事なことが書いてあるかもしれない。「ボツ」という一見、価値のなさそうなものの中にも何かしらの価値が眠っている。世の中にたくさんある「ボツ」を使って何かできないかと考える。そこで話のメインテーマが「ボツ」に移る。「ボツ」を掘り下げる。二人の目の前にあるA4用紙の上方に「ボツ」と書き出し、「ボツ」から妄想を膨らます。ボツは漢字でどう書くか、ボツ物を紹介する「今日のボツ」、そういえボツリヌス菌ってあるな、ボツモノ(必要なくなったもの)を集めた「ボツ展」はできないか、などどこにも着地点がない会話が続くがとりあえず忘れないよう用紙へ書き出す。

ある程度書き出したら、お茶を一口飲んで、落ち着いてもう用紙を見返す。そうするとすぐにでもできそうな企画があることに気づく。「ボツ展」は、知り合いからボツモノを集めてまちのどこかのギャラリーやお店を借りばすぐにでもできそうだ。SNSなどに「今日のボツ」を写真で投稿するのもフォロワーから反応があっておもしろそうだ。今すぐにでもできる。

このように他愛もない雑談からちょっとしたアイディアのタネが生まれる。結果「ボツ」がどう転ぶが今の時点では全く不明のため、説得力に欠けるが前段の雑談がなければ生まれなかった産物であることは間違いない。

「そんなことして意味あるの?」「時間の無駄でしょ。」とたまに言われることがあるが、真面目な話からはあまりおもしろいアイディアは生まれてこない。意味のないところから意味が生まれる。普段の仕事にももっと雑談が必要だ。

*ボツのインスタグラムをつくりました。https://www.instagram.com/botsu2024/

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