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若者の地域活性化プログラムへカウンターパンチ!

先日、某自治体から相談を受けた。「地域力向上講座(仮)」と題した連続講座の講師依頼である。話を聞くと10代から30代を対象に地域課題の解決に率先して活動できる人材の育成を目的とした講座とのこと。受講生が学習の成果を地域に活かしてもらい、地域の活性化に役立てるのが大筋の狙いである。講座の詳しい内容については、決まっていないので企画からいっしょに考えて欲しいという話だ。

初回の打ち合わせだったので担当者とざっくばらんに意見交換を行った。私からお話したのは昨今、若い世代を苦しませているSDGsや高校生の探求の時間だ。若い世代が、社会的な課題に関心を持つことは悪いことではない。現実社会では環境、教育、福祉、医療、人権、まちづくり、文化・芸術あらゆる分野で課題は山積だ。これからの社会をつくる若い世代が、真剣にこれらの問題について考えて行動しようとしていることはとても明るい話である。一つの希望だ。実際に大学やインターンで出会う学生と直接話しをするとみな真面目で将来のことを真剣に考えている。自分が学生時代にはそこまで考えが及んでなかった。不安定な社会だからこそ自分のキャリアを描く上で、地域や社会に対する興味・関心や具体的な行動(ボランティア、インターン等)が就職活動において何かしらプラスに働くという冷静な判断もあるのかもしれない。いずれにせよ「地域力向上講座(仮)」のようなプログラムへの学生の参加は、地域課題や社会課題について、自分なりに考えて行動した結果である。

そこで前述のSDGsや探求の時間の問題である。「地域力向上講座(仮)」のような類い講座内では地域の活性化や地域課題の解決を目的としたアイディアや企画を受講生に考えさせるプログラムが必ず組み込まれる。その場合、出てくる案がどれも似たり寄ったりでつまらない。ワークショップ、イベント、マーケットなどを実施して地域を盛り上げたりコミュニティにつなげる、あるいは情報誌やウェブマガジンをつくって情報発信をするといったありきたりな案が並ぶ。悪くはないがおもしろくない。真面目な受講生から出てくる案は真面目だ。こういった現象が起きるのは、大手メディアや教育制度によるSDGsや探求の時間に関する刷り込みも影響しているのではないだろうか。知らず知らずのうちに私たちは何か社会的な意義がある取り組みじゃないといけないという脅迫観念に囚われている気もする。「ゴミを減らそう。SDGsだから。」「エコバックを持とう。SDGsだから。」などとにかくSDGsさえつければ社会に役立つことをしていると錯覚してしまう。完全に思考停止である。

学生時代に限って言えば、社会的意義からものごと考えても大したことは浮かばない。知識や経験が不足しているので当然といえば当然だ。むしろ学生時代は自分が「おもしろい」「楽しい」「熱中できる」ことに取り組んだ方がよっぽど健全のような気がする。「おもしろい」「楽しい」「熱中できる」ことに没頭していればいずれそれが企画になり、社会の役に立つかもしれない。正直、役に立たなくたって幸せな人生を送れる。今の学生は社会に良いことより没頭できることを探すことに時間を割いて欲しい。「地域力向上講座(仮)」も「おもしろい」「楽しい」「熱中できる」を出発点にプログラムの構成を考えたい。


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