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私が、知ってるその寂しさ。

一昨年、青山ブックセンターの閉店から始まった本屋の話は、なぜか今まで続いている。年号の変わり目だった去年の4月末、東京の職人を探しに旅出た秋ころ、そして今年一月、一番欲しがってた所での面接で訪ねた時まで、私は本屋へ行った。六本木の青山ブックセンターでの思いはそれほど多くもないものの、そのさよならがなぜか私へのメッセージのように聞こえた。下北沢商店街で貼られた’78年間ありがとうございます’という文章が悲しく、切なく、愛おしかった。本屋、カフェ、ホテル、ギャラーリー、空間でのグラデーション的な変化を、何なかの形で残しておきたかった。取材しようと思ったのは、もう3年前のこと。東京は今、何をかたってるのだろう。韓国のファション誌、週刊誌、色々書いてはいたけど、取材というのは結局10分の一ぐらいしか書けない、おかしなもので、いまだに言い切れなかったことが、ある。申し訳ないまま、残ってる。WWWの名取達利さんをまた思い出した。

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昔、ほぼ15年前にスペイン坂にある映画館’シネマライズ’で映画を見た。日本語が下手すぎだった時期だから、洋画を選んだが、字幕を追いきれなかった。タイトルすら覚えてない。でも、好きだった。チケットを買って、スパイラルな階段をおりて、廊下の壁には映画のチラシが汚く感じられうぐらい貼ってあり、そのストリートな感じが好きだった。渋谷は、東京住民だった時期にバイト先があった街ではあるが、しても個人的の歴史はそんなない。でも、都市というのはきっと出会うものだと思うのは、東京へ行くたび、そこにいる時必ず思うこと。寂しさを楽しめる街、落ち込まず寂しいままいられる街、一昨年odolのライブをそこのライブハウスで見たのは、だったその程度の確信からだったと思う。ほとんど知らないバンドのライブを、だった一、二日しかない自由時間を使って見た。暗く、寂しく、憂鬱で、綺麗なメロディ。ジンジャエールを片手に持ったまま、泣いて、泣いて、笑った。幸せだった。孤独で嬉しかった。泣いても大丈夫な街。言葉にできないけど、彼らのことが分かってしまったと、私は笑った。渋谷で、一人で。

名取さんは、その私を分かってくれた人かなと、妄想してみる。彼と話を改めて聞いて、なるべくそのまま書いてみた。言葉はやはり無力であまり伝わらない気はしてるが、多分、分かってくれるだろう。本屋での思いは、’東京本屋’という、韓国語のブログでマガジンを作っておいた。思い出になる前に、スピッツの歌を聞く。遅れてるいるが、着実に思い、記録をする。名取さんの話は、まだ分からないが、多分何か教えてくれるだろう。その渋谷だと、きっと。odolのミゾベリョウは、告知時間にリップを塗ってた。泣いたあとに。遅れてごめんなさい。


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