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濡れた日々の過ごし方

梅雨がやっと終わった。テレビをつけたら天気予報が今週末を機に今年の梅雨は終わりだと教えてくれた。50日を超えた史上最も長かった梅雨。地面は少しうづつ乾き、ゆっくりだけど光が戻りつつあるが、私には何が起こったのだろう。コロナと共に新年を迎え、なんのとっかかりもないまま過ごしてきた私は、今どこにいるのだろう。また1日が過ぎていく音が聞こえた。

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個人的に好きな’ほぼ日’の糸井重里さんは、コロナが始まって6月頭ぐらいに、東京を記録し始めた。突然失った日常が少しずつ戻ってくる様子を中継するとおっしゃった。ただ時間が止まったような、何もかも戸惑う日々の中で私は、ただ無力で先も見えない感覚だけだったけれど、彼はその街のありのままの姿を静かな言葉で綴り始めた。空っぽのような日常が一つ一つ文字に現れ、なんの色もない私の日々にも響いてたのか、少し表情が帰ってくるような、優しい錯覚が訪れた。

スープを飲むみたいに、お粥を食べるみたいに、
だんだんと戻っていく街の様子を、
ここに記録しておきたいと思いました。ー糸井重里

昨年秋頃に東京へ行き、14名の職人の方々に取材をさせて頂き、執筆を終えたのは今年1月ごろ。当時、韓国では不買運動の歯止めがきかない状態で、次はコロナ、あいにく編集の人は二回も変わってしまった。秋が終わり、冬が過ぎ、年が代わり、夏がきた。かなり短気な私はそれなりの悔しさを感じたのだが、2回目の編集者が変更になったというメールが届いた時、私はなぜか平穏な感じがした。職人ってこいうことなのかな、という少し大げさな閃きさえ感じられた。また時間は流れ、今のところ出版は今年秋頃予定なのだが、したらちょうど1年になる。梅雨明けの天気予報が、その時間の流れを私に知らせてくれた。

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14名の職人の中の一人は、名前にファッションデザイナーの山本耀司さんの’耀’の文字を使う。彼の父親がyoji yamamotoのすごいファンで、そう名づけたらしいだが、このくだりにはかなり複雑な事情があり、1943年の山本耀司は可能で、1983年OO耀次はできない理由を探すのに数時間も潰た。日本の戸籍改正法はなぜこんなに頻繁に変わっちゃったりするのだろう。私にはかなりややこしいことになってしまった。下北沢で本屋を営むか方は、インタビュー中、ある映画の台詞を言ったけれど、そのセリフのことで2時間あまりのアニメーションを二度見した。また正確なフレーズをチェックするために、グーグルで見つけたサイト内での全台詞にいちいち目を通し、原稿を修正したのだが、外はすでに夕暮れになっていた。こいいうのってもしかして職人ぽいなのだろうか。

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今日もまた昨日のようで、なに一つ思い出になるようなことは起こらなかった。が、世の中には少し時間が必要で、時と共にその姿を表す、スープなような日々もありうると、私はコーヒを淹れながら少しだけ思った。明日は、また晴れだという。




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