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育児や教育のなんたるか

ずっと子育てについて考えてきた。
親は子を守るものだ。
しかし、過干渉で何もさせなくすると失敗はないが、
自分で問題解決する能力の欠けた子供になってしまう。

子供のしたことに責任を持つのは親であるが、
子供になんでもさせてあげるのもまた
親の仕事であるように思うのだ。

ということで、勝手に自分の中で育児をする上での、
親の仕事を定義すると、

取り返しのつく範囲の失敗を安全に子供にさせること

ではないかと思うのだ。
取り返しのつかないというのは生き死にや、一生傷や、
犯罪などは避けるという程度のものだ。

特に小さい子供にこうしたらこうなるでしょみたいなことはわからない。
実際に起きないとわからないのだ。

実際やってみて失敗してみて初めてわかるのだ。
なんなら1回でわかるとも限らない。
2回3回と繰り返してやっと身に染みてわかるのだ。

バカな親ほど「なんでわからないの!」と口汚く子供を叱っているひとを見る。
それが小学校の高学年以上ならまだわからなくはない。
それ以下の子供、ましてや就学前の子供であればほぼわかるわけがないのだ。

こうしたらこうなるということがわからないから、
自分の中で実験してみて知りたいのだ。

それが、小さい子供の危ない行動の正体だ。

つまり、大怪我しない範囲、周りに迷惑をかけない範囲では
させてやった方がいいのだ。

それに対して痛い思いをして泣いてもいいのだ。
むしろそうしないと本人はわからないままなのだ。

僕が子育てを色々勉強してきた上で、感じているのは

子供は感性を育てるべきなのだ!

季節感や、その時々の風や湿気、日の光、を肌感で感じるということ
が大事だと思うのだ。

暑い時に暑いと感じる、寒い時に寒いと感じる、
旬のものを食べ、美味しいと感じ、季節の行事を楽しむ。

そういう感性や感覚(センス)を養われた人材こそが
これからの社会に必要な人材だと思う。

それは何故か?

これからひとは仕事をロボットと取り合いになるからだ。
ロボットができそうなことはこれからひとはしなくなるのだ。
むしろロボットができる仕事をロボットと取り合いをしてもひとに勝ち目はない。
相手は24時間休みなく働いても文句一つ言わないし、
労働基準法もないからだ。
ロボットができない、もしくはわからないものだけが、
ひとの仕事になるのだ。

例えば、僕が思う危ない職業は、電車の運転士や、薬剤師などだ。
どれもロボットでもできそうだし、電車に関してはすでに無人の電車が存在している。
薬剤師は医師から指示を出された薬を規定された期間、個数の計算を出すという数字の部分はロボットの方が得意で勝ち目がない。
デジタルでできるところは、入力さえできればロボットが高水準で、
してくれるのだ。

これから差が出るのはアナログの部分。
デジタルはできて当たり前、アナログの部分で差が生まれるのだ。

昔はデジタル機器が扱えることが一つの能力として認められていた。
今は、誰もがスマホを持つ時代。
デジタル機器は扱えて当たり前なのだ。
そしてデジタルは使えさえしたら同じ結果が出せる。

凸版印刷がプリンターに追い出されたように、
時代とともに消えてしまう職業にはなるべくつかない方がいい。

理想を言うなら子供には今までにない職業について欲しいなと思っている。


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