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伸びる学力、下がる体力

僕には子どもがいるのだが、困ったことがある。球技や水泳ができないのだ。小学校に入り、6月からは水泳の授業があるという。

僕は幼少期に父に堤防の先から海に投げ捨てられて泳ぎを覚えた。これは大袈裟に話を盛ったりしていない。文字通り堤防の先から海に捨てられた。
その時のことを明確に覚えている。
堤防の先に父がいた。父に呼ばれた僕は堤防の先に来た。
父「万歳してみ?」
僕は当時5歳ぐらいだったと思うが、浮き輪を受けた状態だった。万歳したら仮面ライダー柄の浮き輪がポトンと落ちた。
そしたら急にフワッと身体が浮いたのだ。
父に海に投げられた。足などつかない深さだし、陸までも50mはあっただろうか。自分の身体の感覚なので、もしかしたらもっと近かったのかもしれない。しかし体感ではそれぐらいだった。
僕は思った『仮面ライダーは助けてくれない!』と。
夏には海に連れて行ってもらっていたが、浮き輪をつけてパチャパチャ泳ぐ程度だった。5歳ぐらいなので毎年だとしても数回といったところだろう。
この時の記憶は明確にある。
父や母がどのように泳いでいたかを必死に思い出し、犬かきとも平泳ぎとも取れないような泳ぎ方で陸まで泳いだのだ。僕はこうして泳ぎを覚えた。自分の子どもには流石にそんなことはできないが、川や海には連れて行った。
僕は自分の経験から泳げはするが独学だったし、今ほど情報もなかったので、フォームやスピードに難があった。距離は気合いでなんとかしていたが、それは良くないなと思い、子どもを連れてスイミングスクールの体験に連れて行ったのだ。

すると、泳げる泳げないどころか水に顔もろくにつけられないのだ。

これはショックだった。僕の子どもは水に顔もつけれないのか。しかし、周りに聴取をしてみると、昨今は水に顔もつけられない小学生が多いというのだ。
僕が子どもの頃はほとんどそんな子どもはいなかったし、そんな子は水泳の授業も四苦八苦しながら泳がされていた。
今は泳げない子は泳げない子でいいらしい。

いいわけあるか?

海や川に放り出されたら身体一つで泳げないといけない。
泳げないはかなり不利な特徴になると僕は考える。
できない子は違う分野でという以前にかなり根本的な能力だと思う。
何か障害があってできないのは仕方ない。しかし、五体満足で泳げないのはいかがなものか?昨今「男の子だから」とか「女の子だから」と言うのが良くないのは知っている。しかし、泳げない成人女性はまだ可愛い(それも微妙か?)が、泳げない成人男性はどうだ?もし僕に娘がいて結婚しますといって連れてきた彼氏が泳げなかったら「マジで?」と思ってしまう。

僕の中で泳ぐという行為は「文字が読める」とか「四則計算ができる」と言うレベルのことなのだ。小学校を卒業したらほとんどの人がクリアできて当たり前のことなのだ。スピードが遅くてもいい。しかしできて当たり前のことだと思うのだ。

そして逆に文字を読み書きできるという能力に関しては小学校に入ってからではなく、小学校に入った時にはもうできて当たり前になっている。
この学力の水準は上がっているのだ。

昔でいったら虫歯だらけの子どもと言うのがクラスに1人2人いた。しかし、今ではそんな子どもがいたら虐待を疑われる。役所に通報しなければならないレベルなのだ。

昔は良かった今はダメだとか、今はいい時代になったとかいう気はない。僕が時代遅れなのだろう。しかし、今の基準に僕は疑問を抱いている。多少は遺伝子による差や障害の有無もあるだろう。しかし、泳ぐことが物理的にできない障害はある程度限られると思う。

ということで、子どもには僕がつきっきりで猛特訓をして水に顔をつけたり、泳げるようにはなってもらった。多分これも現代ではあまりやらすべきではないような特訓をした。全くのはじめなのもあるので質より量で練習したのだ。
子どもなのもあるし、まずは慣れることが大事で水の感覚を養うのが先だと思ったからだ。そして子どもの体力は無尽蔵だ。それを大いに利用した。

無事にバタ足で息継ぎできるぐらいにはしたのだが、もう少し泳ぎ方を教えようとは思う。僕は子どものうちは運動能力と頭脳は比例すると考えている。頭の使い方など後付けでいいのだ。今は脳と身体をつなげて育てる時期なのだ。使い方を小賢しく学ぶ時期ではなく、ガンガンに動かして成長ホルモンを出して、育てる時期なのだ。

学力が上がるのはいいことだと思っている。しかし、体力が下がる必要はない。体力も上げていけばいいのだ。


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