入国管理局の放置事件が続いたけど、内情を聞くと報道の切り抜きがひどいことがわかる

入国管理局に出入りしているという人にたまたま立て続けに会ったので、
事件について色々聞いてみた。

入国管理局の人たちの日々の苦労を耳にした。

入国管理局のひとは当然日本にきている外国人の人を管理している。
当然悩まされるのは文化の違いだ。

外国人は自己主張が強く、こちらに忖度しない。
国やひとにもよるが、日本人に比べるとそうだろう。
感情的になる人も多い。

以上を踏まえて大阪入国管理局の放置したことによる裁判を考えてみよう。

ペルー人の男性が後ろ手に手錠をかけられた状態で14時間ほど放置された事件だ。

確かにここだけ切り取ると「14時間も?!」とか「後ろ手で手錠って。」と思う。

しかし、この男性がこの直前に管理局で暴れて備品を壊したり、暴れ回っていたのをなんとか取り押さえて、後ろ手に手錠をされていたらどうだろう?

自業自得ではないか?

14時間という時間の妥当性は不明かなとは思うが、
そもそも監視用に人がいるわけではないし、
強制送還しないといけなかったのかもしれない。
そのあたりは僕が調べた範囲では出てこなかった。

強制送還が必要ならばその処置の間、拘束されていたならそこまで不当ではないと思う。むしろ強制送還の手続きが14時間で済んだなら早い方だろう。

裁判で本人がいるから違うのかもしれないが、
暴れた人間の興奮が冷めるまでにそこまで時間がかかったなら
14時間も妥当だと思う。

たとえ1、2時間で興奮冷めて「すみませんでした。」と泣きながら言っていても演技や嘘ということも十分にあり得る。

それらを考慮すると妥当性は十分考えられる。
それらの情報を排除して、人権問題にするのはあまりにもフェアではない。

僕自身外国人を相手にすることが何度かあったが、
ひとによっては平気で嘘をつく。
それは日本人でもあることと言えるので、外国人という縛りはよくないかもしれないが、あまりにも稚拙な内容だったことがあった。

しかし、相手の文化を理解するのも必要かと思い、
調べると「なるほど!」ということもあった。

サウジアラビアのひとだったと思うのだが、
子供騙しのような嘘をついて自分の意見を通そうとしていて、
僕は呆れた。

しかし、サウジアラビアに限らず砂漠の国のひとは
警察という概念が乏しく、オアシスごとに自治していることが歴史的に多かった。

そうするとどうなるかというと、罰というと自分たちでリンチするという手段になるのだ。その時にちゃんとした裁判などない。
してもせいぜい村の会議ぐらいのことだろう。

これの危険性は素人が素人を捌いているので、真実が大事ではなく、
その場の納得感を得られるかが鍵なのだ。

つまり、何がなんでも自分の意見を通さないとリンチにあうという文化がずっとあったのだ。

しかも、それで死んでも砂漠に捨てられたら死体を誰も見つけることができないし、証拠も何もない。

何がなんでも自分の意見は通さないといけないのだ。
通せなかった人は死んでいる。
通し切った子孫末裔だけが現代人を構成しているのだ。

有名なハンムラビ法典で『目には目を歯には歯を』という言葉がある。
イスラム圏の話なので、砂漠の国の人たちなのだが、
これは砂漠の国の人の激情的なものを表していると思っている人も多いだろう。
僕もその一人だった。

この『目には目を歯には歯を』というのは、

「目だったら目だけ、歯だったら歯だけにしときなさいよ。」
という、そこまでにしときなさいよ
というもっとやばい言葉なのだ。

この区切りを設けていないと、やり過ぎてすぐに殺してしまうことが原因で、
できた言葉のようだ。

「そんなことある?!」と思うかもしれないが、日本人も世界的に先進国では死刑が廃止の方針なのに対し、85%以上が死刑はあった方がいいと回答しているレアな民族なのだ。

それは切腹の文化があったことが根ざしている。
悪いことをしたら死んで詫びるという文化が根ざしているからだ。

入国管理局でよくある話が「帰りたい。けどお金はない。」だ。
本国の家族も文句を言ってきたりするのだが、それなら本国からお金を出せばいいし、自分でお金がない以上帰れないのは仕方がない。

むしろ、問い合わせは自国の大使館に行くべきだろう。

そういったそれを入国管理局に言っても仕方ないよねみたいな主張を平気でしてくるのだ。しかもフルテンションで。

これらの相手をしている末に起きた事件なのであるなら、
その前に被害者とされている人がどういった行動を取ったのかはちゃんと取材をするべきだろう。

今回は日本で起きたことなので、日本の司法で裁かれるべきだと思うが、
個人的には入国管理局を応援している。

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