共通テスト会場で暴れた学生から見る座学ばかりの勉強のリスク

共通テスト会場で暴れた学生はシンプルに頭が悪いと思う。
それとは別に被害者の方々の早い回復を願います。

さて供述では東大理3(医学部)を目指していたようです。
医者になりたいとかなんとか。
東大理3は日本中の神童と言われるひとたちが集まってさらに順位をつけるようなところです。医者になる割合も低く、その頭脳を持って違うところに行くひとも多数いるというところです。

正直、東大理3を目指しているなら他の医学部は当然いけるぐらいのレベルでなければいけません。

東海高校の学生ということですが、名古屋では有数の進学校です。
入るには偏差値がかなり高い方だと思います。

さて、この犯人は犯行動機の中で「医者になろうと思っていた。」、「東大理3を目指していた。」、「成績が思うように上がらなかった。」などと言っています。

勝手な推測ですが、これらは親が小さい頃から言っていたことなのではないでしょうか。洗脳に近いものだと思うのです。

僕は前の投稿で犯罪者の多くは頭が悪いことを書きました。
今回の事件の犯人は、偏差値は高かったかもしれませんが、
かなり頭が悪く、その狭い世界の中で追い詰められていたことが伺えます。

おそらく小さい頃から勉強勉強と座学の勉強ばかりしてきたのでしょう。
これは親の意向であることは間違いありません。
本来身体や脳を育てる時期に頭の使い方ばかりに極振りをした結果、高校2年で限界がきて、その歪みが今回の事件だと考えています。

脳を育てないといけない時期に育てることより使い方に労力を振ったことによって、脳の成長が早い段階で限界が来たのだと思います。

例えば、ある子どもの脳の潜在能力と脳の使い方の能力を共にMAX100ずつとしましょう。
就学時前の子どものうちはまだ育ってないわけですから、脳の能力を30ぐらいとしましょう。普通の子どもは脳の使い方なんて半分も使えないぐらいとしたら、
10〜15ぐらいが子どもの時の見える能力値とします。この時使い方について、勉強している子どもは60%ぐらい使えたとしたら見える能力値が18〜20%ぐらいになって周りより少し賢い子どもになるとします。
小学生ぐらいで脳の能力が60ぐらいまで成長した時に脳の使い方がよく75%使えるようになったとしましょう。そうすると見える能力値が45ぐらいということになります。脳を育てている子どもは60%ぐらい使えたとして、36ぐらいということになります。このあたりでは使い方のいい子どもが賢いとされる。

しかし、脳を育てることをちゃんとしていないせいで、脳のポテンシャルの上限が育たないまま成長が終わる。そうすると上限が60になってしまうのだ。

脳が育つ時期は限られている。

育てるということに重きをおいた子どもは中学になる頃には脳の能力の上限が80%とかになってくるわけだ。これだと脳の使い方が60%だとしても見える能力は48%になってくる。上限が60%の子どもは80%使えたとしても見える能力は48になるのだ。

このあたりで段々並んでくる。

そして、脳が育つことは上限を迎えた高校生の頃にはちゃんと育てた子どもは90%まで育ったとしよう。頭の使い方は年を取っても上げられるので、この頃には75%使えるようになったとしよう。
そうすると見かけ67.5ということになる。
しかし、使い方に極振りしていた子どもは上限が60で使い方に関して、めちゃくちゃ頑張って90%まできたとしよう。それでも見かけの能力は54になるのだ。

これが頑張っても成績の上がらない理由だと思う。
実際東大理3に行くひとたちは脳の力も使い方も90%超えてくると思ってもらったらいい。見かけの能力値が81以上あると思ってもらっていい。

そこを目指す人たちの集まりで今回の犯人は上限が60で戦っていたようなものなのだ。それなのに成績が上がらないことを親や周りから責め立てられて、どうしようもなくなり(実際はどうしようもあるのだが)、今回の犯行に及んだというのが今回の事件の結末かなと考えている。

勉強ばかりに目を向けて、他のことを見なかった成れの果てなのだ。

頭がいいことは大いに大事なことだと思う。
しかし、視野が広いというのもそれと同等に大事なことなのだ。

視野が広いだけでも頭が悪ければ理解できない。
それはそれで非常に悲しいことなのだ。

可愛い子どもには旅をさせ、何が向いていて、何が向いていないのか判断をすべきではないだろうか。

少なくとも困った先にナイフを振り回したり、火をつけようとする人間は医者どころか医療関係には不向きであることは間違いがない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?