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筋トレは間違っている!?

武術研究家のモノノフです。

どうにかみんなに武道や武術に興味を持ってほしいなと思っています。
ということで、身体の使い方についてお話したいと思います。

筋トレ(ここではマシーンやウエイトを使った筋トレを指す)は間違っているのかという問題ですが、結論を言うと

「最終的に間違っている」

といった感じだと思う。どういうこと?ってなりそうだが、まず筋トレのいいところを説明しよう。筋トレに関して論文レベルでわかっていることがあるそれは、

・メンタルの改善
・睡眠の質の上昇

だ。これは科学的根拠があるレベルでわかっている。正直、筋トレでなくても運動をすれば同じ結果が得られるだろうが、筋トレは定量化しやすく、実験結果を出しやすいからだと思う。つまり、現代社会の成人はおおよそ運動不足で、現代社会ではジムでの筋トレが一番やりやすいので、いいんじゃないかということだ。
それで「メンタル改善」して「睡眠の質の上昇」を見込めるなら非常にいいことだ。

さて、では何故最終的に間違っているのか?それは、身体の使い方を間違っているからだ。僕はヒトの身体は力を流すために身体をつなげなくてはいけないことを大前提としている。他の武術の理論の軸を作るとか、相手に力を伝えるとかも全部それができてからの話だ。

それなのに筋トレとは部位ごとに鍛えることが多い(全部ではない)。つなげて使わないといけない身体をバラバラに使うように矯正してしまっているのだ。かといって負荷は強大な重さにしたりする。結果、関節を痛めるのだ。僕は筋トレによって関節を痛めた素人を何人も見たことがある。もうなんのための筋トレかわからない。

ただ、誤解しないで欲しいのは筋トレを全否定しているわけではない。現代人はそもそもの筋力が少ない。それを補うのに現代社会の中では筋トレは悪い選択肢ではない。運動してこなかったひとで取っつきやすいならしたほうがいい。それに、ボディビルダーのプロの方。アマチュアでも競技に出るような方に関しては部位ごとに鍛えることをしたらいいと思う。それは何故かというとそういう競技だからだ。それにケチをつけるのはボクシングをしているひとに「何故蹴らないの?」といっているようなものだ。ヤボ過ぎる。

僕は基本的にアスリートを尊敬している。スポーツをしているひと、武道をしているひとのなにが素晴らしいかということを考えたことはあるだろうか。
僕はそれを

「生きる上で必要のないことに全力を注ぐ美しさ」

だと考えている。別に筋トレしなくてもスポーツしなくても生きてはいける。必要ないことといえば必要ないことなのだ。ただ、生きることに関係ないことに全力を注ぐということの美しさや尊さがあるのだ。自分の価値観でそこまで研ぎ澄ますことのできる精神性の高さに僕は敬意を表さざるおえない。

身体の使い方を口を酸っぱくいっているのは、その尊敬している多くのアスリートにケガをして欲しくないからだ。多くのアスリートがケガで泣いてきた。仕方ないケガもあっただろうと思う。しかし、アスリートのケガのほとんどは予防できるのだ。どこか痛めたりするのは身体がうまく使えていないことによる力の歪みなので、身体をちゃんと使えるとそういう痛みは起きないのだ。

スポーツは基本的には西洋から来ている。何が問題かというと「静的な解剖学」をベースに作られていることだ。要するに身体の使い方が死体を解剖した知識で作られているのだ。これが身体をバラバラに使うようになる原因の一つだ。これもまた全否定するものではない。この静的解剖学の知識はあったほうがいい。これがないと気の概念(気はあると考えているが、あくまで物理や解剖などを突き詰めた先にしかないと考えている)に逃げたりすることとなる。なんとなく合っているのだが、細部のディテールの甘い理論となる。
ここで大事なのは「動的な解剖学」だ。「動的な解剖学」とは何かというと実際動いて身体を使って判断していく解剖学だ。「静的な解剖学」より実際の動きに即している。しかし、ベースの知識として「静的な解剖学」は必要だ。こうして動いているとわかることがある。例えば背骨の湾曲だ。S字がいいとされている。あくまで僕の感覚的なものだが僕のベストは「静的な解剖学」で教えてもらった感じより、曲がり方が少ない。教えてもらった角度よりも腰骨も立っている。こういうことが起きるのだ。あくまで僕の研究の範囲だが、解剖学の本は外国人が書いていることが多い。日本にある解剖学の本はそれを日本語訳したり、それをベースに日本人が書いていることが多い。
この背骨のアール(曲がり加減)や、腰骨の角度は民族差があると僕は考えている。西洋人(特に黒人)はお尻がプリっとなるような角度での骨盤の位置がいい。お尻の肉付きもいい。狩猟民族が多く、走るための進化だと思う。その点日本人は農耕民族だ。それも、島国でガラパゴス的な進化を遂げてきた混じりっ気なしの生粋の農耕民族だ。農耕民族は瞬発力より持久力だ。しかも重いものをもつ必要がある。島国で日本の場合は山を歩かなければならないそのため背負うのだ。西洋人(この場合は主に黒人。白人は奴隷の文化があり、あまり重いものをもつ文化がない)はどうするのかというと、頭の上に乗せるのだ。大陸の国は平野が続くことが多い。一定のスピードで歩くことができるのだ。この重い荷物の持ち方を日本でしたらストップアンドゴーや、山登りをしてバランスを崩して首を痛める。

こういった文化や生息地の違いなどで進化してきているので、特に日本人は海外の論文通りのデータに乗らないことが多いので注意したほうがいい。最近でいえば新型コロナウイルスのデータも欧米諸国と日本ではデータに大きい開きがある。

さらにいうと、最終的には個人個人でも差がある。だから、自分の感覚を大事にしないといけない。各々が自分の身体の感覚を研ぎ澄ますことが大事なのだ。日本人は本来自分の身体の感覚の優れた民族だ。四季があり、農耕をする上でこの身体感覚を駆使しないと、作物がとれなくなる可能性があるからだ。自分の感覚を研ぎ澄まして欲しいと僕は思う。

この自分の感覚を研ぎ澄ました時に基本的には筋トレのバラバラに身体を使う行為には疑問を抱いて欲しい。明らかにおかしいのだ。全身をつなげたほうが大きい力を発揮するし、怪我もしない。

これが最終的に筋トレが間違っている理由だ。

モノノフ





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