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緊急手術の説明責任はどこまで必要なん?

先日、東京高裁で「医師の説明義務違反で、自己決定権の侵害を否定できない」という判決が出た。これだけを聞いたら患者側の主張が通り良かったと思うひとも多いかもしれない。これが実際説明が足りていないのであれば僕もそう思う。しかし、これには前提がある。

これは緊急手術で「手術に伴う危険性や予後について男性に直接説明しなかった」ということで、男性が精神的苦痛を受けたと認定を受けたのだ。

皆さんも考えて欲しい。今回の手術は大腸のほとんどを取らないといけない大手術で、手術自体は適正に行われている(2審でも手術自体が適正であることは認められている)。その後1年半後ぐらいに患者は亡くなっているのだが、術後不良というわけでもない。
ここで認められたのは患者本人に直接説明がなかったという部分だ。
これは裁判官がだいぶ想像力がないように思う。

まず、緊急手術で大腸をほとんど取らないといけない患者がまず説明を聞ける状態だったのかという問題がある。あなたはとんでもない腹痛に襲われている時に手術の説明をする医者の話を聞けるだろうか?

そして、その状況で正しい判断をできるだろうか?腹痛がない状態と同じように判断できるだろうか?激しい腹痛があって「殺してくれ!」と言っていたひとが、腹痛が治った時にそれでも「殺してくれ!」と思うだろうか?激しい痛みのある人間が必ずしも正しい判断ができるとは限らない。

緊急手術になっているぐらいだから本人がケロッとしていたわけではないと思う。行間を察するに術後家族に不満を漏らしたのだろう。家族は説明を受けたが、本人には説明がなかったと。

僕も基本的には家族の決定より本人の決定が優先されるべきだとは思う。今回の争点は本人に説明がなかったことが適正であったかどうかの問題だと思う。
おそらく、説明をしようがしまいが手術は必要であり、手術の方法が変わることはなかったと考える。

患者家族がどう思ったのか、弁護士に唆されたのかは不明だが、今回裁判は2800万円の請求がなされている。おそらく、1年半でも起き上がれていないっぽいので、「手術しないで死なせてくれたら良かったのに」と本人が言ったのかな?
その苦痛分とか考えないと2800万円の請求にはならないかなとは思う。実際認められたのは44万円なのだが、本当に本人に説明していないぶんだけで、予後については問題ないという意味だとは思う。

しかし、それでもなお僕は今回は認められるべきではない。実際1審では遺族の請求は棄却されている。

遺族の目的がどこにあるのかわからないが、44万円勝ち取っても弁護士費用で大赤字だろう。

しかし、病院側としては最高裁まで争ってもらって、病院側に過失がないという状態にしてほしい。そうでなければ、説明があっても後から聞いてないとか理解していないという言い訳が通ってしまうことになる。理解できないひとが無敵になってしまう。

病院がやるべきことをやっていたら基本的には病院側に非がないというのが妥当ではなかろうか?

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