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「恋愛したい」と、拒否したい自分

デミロマンティックかも、と思いながら、やっぱり戻ってきてしまう恋愛への拒否感。

好きな人との関係をすすめる怖さが、デミロマなのか、そうじゃないのかわからないと前回のnoteに書いたんですが、やっぱり怖さはデミロマとかじゃなくて自分の過去にありそうでした。

そもそも、適応障害になったこともひっくるめて考えると、自分より基本的に人のことばっかり考えて生きてきていたのが私です。
そして、家族のなかでの立ち位置も難しかった。

いわゆる虐待とかネグレクトとかじゃないです。家庭内暴力があったとかでもない。でも、家族の一人をめぐっては、それぞれの立場で、複雑な状態で。そのなかで、私の立ち位置は「我慢する、耐える、うまくやりすごす」ことを強いられるものでした。

これだけだと、なんで恋愛に関係するの?と思いそうなんですが、その一人というのが、家族のなかで一番わかりやすく私を好きでいてくれた人だったんです。わかりやすくというか、明言していたというか。

好意を受け取っている代わりに、私は我慢をしないといけなかった。
組み合わせが、悪すぎた。

自己肯定感が低い理由も、ほめられても否定したくなる気持ちの理由も、根源はここなんです。

カウンセリングで取り組んでる課題の1つでもありますが、占いに行っても、だいたい「ここだね」って話になりすます笑 違う人に違う時期に行ってもそうなる。どんだけ根深いんだよぅ笑

適応障害を経て、ようやく日常的なレベルでは人を頼れるようになってきています。それに、今好きな人のことは、日常的に人を頼れるようになってきている自分だから、好きなんだとも思っています。

めちゃくちゃ時間かかるけど、ちゃんと自分の受け取りたい感情や向けられたい感情を素直に求められるようになりたい。たぶん、もうすでにたくさんあるんですよ。でもそれを認識する力が弱まってる。

もう受け取っても大丈夫だし、受け取るかどうか決められるだけ大人になってるはずだから。

そんな唐突で盛大な独り言でした。

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