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2018年のトラトラトラ


 沖縄まで行ったことや、打ち上げの店で遠藤ミチロウPANTAが話しているのを傍で聞いていた記憶はあるのだが、いったい何でその場にワタシがいるのか? 夢? 妄想?

 トランジスターレコードの岡さんに聞くと、あの頃アサヤマさんはハコさんの取材をしていて、ハコさんも参加するというので沖縄に来られたんじゃなかったかしらと。そっか。山崎ハコさんの追っかけ取材をしていた流れだったのか……。



 トラトラトラという、寅年の佐渡山豊さんが音頭をとって沖縄でミュージシャンを集めてイベントをやる。でっかい体育館みたいな会場で、頭脳警察や遠藤ミチロウに中山ラビさんとかもいた記憶がある。第一回のことで、2002年のことらしい。
 といったことをウダウダ思い返しているのは先日、学芸大学の近くのライブハウスで「トラトラトラ2018」というライブを見たからだ。

 頭脳警察のドラムの石塚俊明さんが挨拶に立ち、オープニングは山崎春美さんが歌うというか、シャウトしていた。米ソに英仏が加わり、核保有の先進国が太平洋上の小島の形が変わるくらい、原爆や水爆実験を繰り返してきたことを、語りかける。
 サックスの音とフリージャズのような朗読で、とりわけアメリカのやったテキサスの地下実験では核の爆風が地上にまで吹き上げた。だから風向きを考慮して、白人の住む都市とは反対の、ネイティブアメリカンの居留地に向けて流れていくタイミングを狙って何度も何度も続けたという。ゴジラ誕生秘話みたいな話を、古老が若者に聞かせるように唄っていた。
 身がふるえたわ。
 そういえば、先年亡くなった船戸与一豊浦志朗の名でそういう話を書いていたな。最初このひとだれ? と思った山崎さんだったが、えらくインパクトがあった。
 
 その後にあらわれたのがPANTAで、「頭脳警察になってしまうから」と石塚さんはあえて参加せず、ギターひとつ椅子に座りながらだけど一時間半くらい唄いつづけていた。ちょっとポッチャリしたけど声は昔のまんまで、というか丸みを帯び、たっぷり力がこもっていて、歌い続けている人間ってすごいもんだと思った。
 PANTAが佐渡山との接点について、こんな話をしていた。
 ある曲のレコーディングのときに、ハーモニカの吹けるのを探していて、あいつがいいんじゃないかと呼び出したのだとか。でも、所属するレコード会社の壁みたいなものがあり、アルバムには「佐渡」としてクレジットされたんだという。
 当時は、佐渡山豊もPANTAもよく聴いていたし、世の中に対するポジションでは通じるものはあったにせよ、土着的なフォークと叩きつけるようなロック、音楽的な交流があるとは想像もしなかった。
 そういえば、PANTAさんも佐渡山さんも、今日ここにミチロウがいるはずなんだけど、と病状について口にしていた。第一回のトラトラトラの打ち上げでミチロウとはこんなことを話していたとPANTAさんが語っていた。

佐渡山豊とPANTA 、ドラム石塚俊明 
ステージ写真撮影©木下頼子さん

 みんなもうすぐ70だよ。PANTAは椅子に座りながらだけど客席からも額に汗が吹き出るのがわかる熱唱で、トシさんのドラムも激しく、若々しい。佐渡山さんもずっとスタンディングでギターを弾きまくっていた。

 この前、佐渡山豊を見たのはHONZIがバイオリンを弾いていた、新大久保のどこかのホールだった。これ以上の佐渡山豊はもうないだろうと思った記憶がある。鬼気迫るものがあった。
 HONZIさんが亡くなったと知ったのは、それから数年もしないときだった。
 もともとライブという空間には閉所恐怖症的な居心地悪さを感じ、足を向けないようにしてきた。久しぶりに足を運んだのは、40年近く帰郷のたびに立ち寄っていた喫茶店のママさんが先日亡くなり、ふと何気に佐渡山豊のことを思い出し、夕暮れになると「存在」のCDをかけていた。今年は相次いで接点のあった人間が向こうに行ってしまい、いささかまいっていた。

 どうしているのかなぁ、佐渡山さん。生存確認のようにネット検索していると、「トラトラトラ」のライブがあるという。頭脳警察も出るという。ひきこもり体質でライブハウスというのは躊躇するところではあったが……。






 たがいの「生存確認のようなもの」と佐渡山さんがステージで冗談まじりにこのライブについて話していたが、こんなに心底楽しめたライブは初めてかもしれない。気づいたら足を踏み鳴らしていた。なかでも「ドゥ・チュイム・ニイ」だ。
 HONZIとのドゥ・チュイム・ニイが「月光」とするなら、この日のドゥ・チュイム・ニイは「熱帯」だ。
 本来「恨」の唄だと思う。
 沖縄の言葉がベースとなり、本土に期待を寄せながら裏切られつづけてきたオキナワのかなしみ怒りが吹き荒れる、あなたたちのことを信じたらいいのか、どうなのかと訴えかける。「怒」の唄だと思い込んできた。

 違和感というか佐渡山の傍に立つギタリストを見ていて、なんともハナにつくギターだと思った。黒いチューリップ帽に肩をこす長髪、まるい黒眼鏡。魔女をおもわす、70年代にはいたいたという格好。高校時代、たまにしか学校にこず、持参したギターケースが目立っていたタカシマくんのことを思い出した。休み時間、彼のまわりには女子の人垣ができていた。いまどうしているのか。いきてるかな。
 前に出すぎだよ。弾き方がイチイチ目立つんだよ。佐渡山豊の唄とは対極に思え、心中ギタリストに毒づいていた。気になってしかたない。それくらい音色もプレーもインパクトがあった。
 黒眼鏡をとると、意外なほどに若い。おまけにイケメンだ。佐渡山とでは父子くらいの年齢差があるんじゃないか。どうして、70年代ファッションなのか?

👆「2018トラトラトラ」写真©橋本真由美さん

 

 佐渡山がギターを横目にしながら唄う、ドゥ・チュイム・ニイは「恨の唄」でありながらも「宴」を連想させる。怒りの唄でありながら、やさしさや、いたわりを感じさせる。
 長髪のギターがニコニコしながら弾くのを見ていると、魔法にかかったように楽しさが感染してくる。表情を追ってしまう。佐渡山とギターを交互に。
 佐渡山がまた楽しそうに唄っている。「恨」なのに「楽」という矛盾したものが一体となっている。自然と身体を揺すり、知らず知らず床を踏んでいた。掌が拍子を打っていた。狩撫麻礼の劇画のライブの場面が頭に浮かんだりもした。
 
 衝撃といえば「人類館事件の歌」だった。
 100年ほど昔に大阪の天王寺公園で催された「万博まがい」のイベントについて歌った曲で、人間が檻に入れられて展示されていたという。マレー人、朝鮮人、台湾人、アイヌ、そしてオキナワ人が檻に入れられ、観客が目にしていたという。沖縄人である佐渡山豊は、穏やかに、とても穏やかに遠い過去の出来事を唄うのだ。
 あなたは、知らないでしょう。むかし昔のことですから。でも、あなたは、いま、このことを知って、どう思うのだろうか、と。
 歌唱スタイルが独特だった。怒りをあらわにするわけでは、ない。感情を抑えて、おさえて唄う。淡々としてさえいる。
 そして、ある沖縄の人間が新聞に投書したものを紹介する。けしからんじゃないかと。
 憤りは然りなのだが、投書の主は、アイヌや朝鮮人たちと一緒にされたことを憤っていた。自分たちは日本人で、あんな連中とは異なるのだと。
 穏やかに佐渡山豊は唄う。
 客席は張り詰めている。
 あなたは、どう思うか。
 どう思うかは、自由だと佐渡山は唄う。やさしく。「怒り」をやさしい声で、ただただ話しかけるようにして歌う佐渡山豊は、つよい。


 もう一曲、印象に残ったのは「四人のゲリラ」だ。
 無名のゲリラ戦士が、これから戻ることのできないだろう場に出撃しようとしている。はじめて聴いたのはHONZIとのステージだったと思う。
 砂漠の光景と「オリオンの三ツ星」になりたいと日本を旅立った若者たちのことを想い浮かべてしまう。
 これもまた「恨」の唄である。が、この日長髪のギターを伴った佐渡山は違っていた。トシさんの激しいドラムがここに加わり、佐渡山の言葉の連射も激しくはあるが、悲壮感を前面に押し出さず、ドゥ・チュイム・ニイ同様、笑みさえ伴い、唄うことを楽しんでいるのが伝わってきた。
 唄はメッセージである。であるとともに、まわりを巻き込み興じるものでもある。宴だ。この日、佐渡山豊にそれを教わった。
 末尾になったが、あの長髪のギタリスト。佐渡山さんが何回もメンバー紹介で「クニヨシリョウ」と紹介していた。若者はライブが終わると、客席の前列にいた年配夫婦らしき二人に礼儀正しく挨拶し、両手を握っていた。少年みたいな笑顔を目にして、ついネット検索してしまった。国吉亮。覚えた。2018年12月8日のアピア40、PANTA やトシさんのドラムも観れたし、ぜいたくな一夜だった。

ステージ写真(組構成以外)©木下頼子さんからご提供いただきました。


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