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人気小説家が60にして漫画を描きはじめた理由 『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』を読む




 直木賞作家の荻原浩さんが60代でチャレンジしたのが、漫画を描くことだった。
 作者が直木賞も受賞した人気小説家だということもあり、『人生がそんなにも美しいのなら 荻原浩漫画作品集』(集英社)は、書店を探してもコミックでなく、文芸の棚で見かけることが多い。
 私的な感想としては、うーん、ちょっと残念な気がしないでもない。
 だって、小説家が原作のマンガ本だとコミック・コーナーに振り分けられるのに、今回もある意味そういう本。だから残念だ。たいへん。とても。
 とはいえ、息長く置かれるということなら作家別の文芸棚のほうが残置確率が高いだろう。でも、ずっと昔に書店員だった経験からしてもこれは「漫画」として手にしてもらいたい本だよなぁと考えてしまう。
 小説家の手遊びレベルなんかじゃない。だって、なかなか、すごい作品が詰まった本なんだ!!

 なんか、ちょっと「ひっそり」と売れているという感がするので、これがどれだけ文学的な漫画作品かということを述べていきたい。
 ああ、その前にカバー。
 作者の描きおろしで、収められている全8話のキャラクターや設定などが、さりげなく詰め込まれている。

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 本の造りも、上品で凝っている。
 カバーを外す。
 紙が、折り込んである。
 装丁家(アルビレオ)が作品に敬意をはらい「世界」をつくりだそうとしていることがわかる。

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 8篇の収録品のどれも、三回、四回、五回と読み返してしまった。
 そのたびに「うああっ」となる瞬間があった。
 わたしが気づくのか遅くなっただけかもしれないが、初回、二回目は見落としていた。すみませんボンクラだから。とくに表題作はその「あああっ!?」が大きかった。

 表題作の物語の概要を説明すると、家族や親族がいったん病室から出て、ひとりぼっちになった「93才」のお婆ちゃんが主人公。
 点滴の管がつながった、その手はシワシワで、意識は混濁しかかっているらしい。
 病室を出ていった親族たちは、枕元で相続の話をするなんて不謹慎と思ったのだろう、冒頭一頁目の天井を描いた(お婆ちゃんの目線の先の情景)数コマのわずかなフキダシから、そうした場の空気が伝わってくる。

 ひとりきりの病室に、見舞い客があらわれる。
 まず、ちいさな少女。
 つづいて、両親(顔の皺などから、ふたりの年齢はだいぶ離れているように見える)。
 そして、兵隊姿の若者(夫らしい)

 彼女に残された時間はわずか。おそらく、幻影を目にしているのだろう。
 見舞い客に話しかける若々しい彼女と、彼女の目に映る相手。「脳内」の光景と、彼女ひとりしかいない病室の「現実」をコマを使い、巧みに描き出している。

 ここからはネタバレにはなるので、そういうのを読む前に知らされるのはゴメンだというひとは、読まずに本を手にとってもらえたらうれしい。
 でも、手にしないだろうなというひとは、どうぞこの先を読んでください。もちろんスジを知ったからといって、この作品を読む面白さは半減なんかはしない。断言していい作品です!!

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 じつは作者の荻原さんにインタビューするまで、わたしは誤読していたんですよね。お婆ちゃんの見舞いに現われる「文子」。
 小学生くらいの年恰好だから、姪っ子か孫なのかなぁと予想していた。つまり、生きているリアルな少女だと。
 それに対して、荻原さんは、
「どう解釈してもらってもいいんですが、妹なんですよね。ええ。本当は、戦争中に亡くなった」
 おもわずスットンキョウな声を、わたしは出していた。

「あ、気づきませんでしたか?」
 荻原さんに促されて、空襲のコマがある下に描かれた「文子」を見る。
 お見舞い品のカステラに、無心でかぶりつく少女の片足。
 その足元を見ると、靴がない。片方だけ裸足なのだ。
 そうか。
 空襲の最中に脱げたのか……。

「文子」は戦時中に亡くなった妹で、言われてみると、だからかと納得することがあった。
 最初、ふたりの距離感が、文子が、お婆ちゃんに対して遠慮深そうな態度を見せていたのが、カステラを手にするや無遠慮なくらい様子を変える。この変化はしばらく会ってなかった「きょうだい」だからなんだということがわかってくる。
 気づいたとたん(荻原さんに教えてもらったのだが)、すごく深いものを見たという感覚になった。

 興奮するわたしに、荻原さんはさらにこう質問してこられた。
「もしかして、その前に載せている『祭り』の漫画のラストの頁、そこにいる女の子の靴も、片方ないというのはお気づきになっていられますか?」

 えっ!?となり、その頁を探した。
 またまた、スットンキョウな声をあげてしまった。

「そうなんです。前の短編に出てくるこの子と、文子は同じ子どもなんです」

 荻原さんは、そうした説明めいた記述はどこにもないので、気づかれていなかったとしても構わないんですけど、と言う。

 収録順でいうと2作目にあたるこの「祭りのあとの満月の夜の」は、小学生くらいの男の子と、年上らしき女の子が縁日に出かけていくという、シンプルな話だ。
 ただ、読んでいくと様子がおかしい。
 これも三度くらい読み直した。

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 ふたりは「死後」の世界にいて、夜店が並ぶ「縁日」はどうやら生きている者たちと亡者の世界が交差する場でもあり、生きている人間に遭遇したふたりはあわてふためく。
 そういう話だと、構造がしっかりつかめるのは三読めくらいで、それまで幼なじみか姉弟か、いとこなのかと思い込んでいたふたりが、死後に出会った関係だと理解できるにいたったのは四読したころだった。

 男の子が大事そうに被っていた南海ホークスの野球帽が出まわっていた時代と、少女が生きた時代は違っている。何十年ぶんも。

 ラストのコマに、ふたりのこんな台詞のやりとりがある。
 縁日の日が終わろうとする。山から下界を見下ろし「空襲を思い出す」と少女がいい、男の子が「くうしゅうって何?」と問いかける。
 女の子は間をおいて「忘れた」と答える。
 ふたりの背後に見えるのは、墓石だ。

 空襲を体験したものが「忘れた」などということはあるまい。だとすると、この台詞の意味するところは何か。
 いやなことを、男の子に教えることもないというやさしさ?
 わたしの問いかけに、荻原さんは「解釈はおまかせします」
 ただ、よく見てもらえたら女の子の片方の足、あれ裸足なんですよねと言われたのだった。

「スルーされても構わないことではあるんですが、意識して書いた部分でもあるんです」
 本にまとめるにあたって、「文子」が登場する二篇の並びは決めていたことだという。

 荻原さんとわたしは同じ1956年生まれということもあり、インタビュー中、つい子どもの頃に見たテレビ番組の話になった。
 7話めの「口」は、唇の形状をした寄生体がどんどん巨大化していく短篇で、「ウルトラQ」みたいですよねというと、荻原さんも、
「懐かしいですね。30分くらいの間に、どんな大異変も終わってしまう」
 バルンガ覚えています? 東京を襲う巨大風船の話。
「ああ、ありましたね。それでいうと、マンモスフラワーというのを覚えていますか?」

 どんどん話がそれていきそうだったが、荻原さんの狙いとしては「地球が破滅するまでを16ページ」で描きたいと思ったそうだ。

 空想忌憚ということでいえば、その前に載っている「地球最後の日」という作品も変わっている。
 むじゃきに「昆虫採集」する男の子と、「地球侵略」にやって来た宇宙人たちが遭遇する。
 まったく台詞がないままに展開し、誰も気づかぬままに「地球は救われていた」という物語で、わたしは奇妙にも「凶悪」な顔つきをしている宇宙人に同情の念がわいてしまった。

 そもそも一篇一篇を描きはじめた当初は、荻原さんに本にするという計画があったわけでもないという。一球入魂で取り組んでいたら、編集者から本にする話が飛び込んできたそうだ。
 ホラーから、淡い恋愛ファンタジーまで、作品趣向も多様だが、通して読むと「荻原浩の世界」だなぁという納得がある。

 もう一篇だけ、最後にふれておきたい作品がある。
 巻末に収録されている「とうもろこし畑の伝言」だ。

 とうもろこし畑が広がる田舎町を舞台に、男の子が不思議な「青年」と出会う。
 何度もくじけそうになるたび少年は、この青年に会いに行く。青年から助言をもらうと、彼は自分を鼓舞し、いじめっ子たちに立ち向かう。
 やがて成長し若者となった彼は大きな決断をする、という物語だ。

 たとえばイジメを受けていたとき、
「闘え、勝利を信じて」
「右のほうを打たれたら、左のほうを出せ」
 と青年の言葉を耳にする。このシーンでわたしは、少年時代に読んだ「あしたのジョー」が思い浮かんだりした。

 青年のアドバイス、その一つひとつは的を射たものに見えるのだが、しかし胡散臭くもある。どこかで聞いたような、安っぽいというか。そこが面白い。

 もしかしたら、この青年は少年がつくりだした幻影ではないのか。その仮説に立って読めば、描きこまれている、いろんなものがまったく違って見えてくるのだ。
 この作品について荻原さんと話しこみ、そうか、そうだなぁと思ったことがあった。

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 ひとには誰しも、ひとつは生涯の支えになる言葉があるもので、内容もそうだけどタイミングもある。ネタバラシになるけれど、「青年」は案山子だったらしいと最後のコマであきらかとなる。
 うすうす、そうじゃないかと察知させる流れになってもいるし、ここでのドンデン返しのオチでもないのでネタバラシは許してほしい。

 なにより、少年が何かに窮するたび畑に行き、じつは案山子に相談していたという事実がわかることでこの話は深みを増してくる。
 胸のうちを打ち明けることの出来る相手が彼のまわりには、唯一案山子しかいなかったということだ。同時に、彼はたったひとりでいつも道を切り開いていった、ということに気づかされる。

 では、彼が支えとしてきた「名言」の数々を、彼はどのようにして得ていったのか?
 じつはそこがこの作品の妙味である。
 真相を理解すると咄嗟に笑ってしまう。これは伏せておく。しかし、わかった上で読み直すと、コマを追い、ジンジンしてくる。

 すこし脱線するけれど、30を越して会社をやめて、わたしが東京に出てくるときにも、支えになった言葉があった。
 いまのようにインタビューの仕事をする前のことだったが、大阪出身の同年代の映画監督に「東京はどんな街か」と尋ねた。
「冷たい街」
 端的な答えのあとに彼は、
「でも、仕事をするにはいいところ」と付け加えた。

 よく大阪は「人情の街」だといわれる。彼が撮ったデビュー作も、そういう泥臭い街のにおいがする映画だった。しかし、彼もわたしもセットのように語られる大阪の「人情」には懐疑的で、むしろ「人は冷たいけど、東京は本気で何かやりはじめると助けてくれる人が出てくる」という言葉が、大阪を出ようとか迷っていたわたしには響いた。
 そのとき監督が「子どもの頃から友だちが少ない自分には合っている」といったのも踏み板になった。「とんぼ」がヒットしていた頃だった。

 あのとき支えになったんですよ。
 東京で暮らすようになった後、監督にあのときの言葉がねと話すと「ぜんぜん記憶ない」と笑い返された。
 そうだろうかなぁと思いもしたが椅子から転げ落ちそうになった。
「ありますよね。そういうこと」と荻原さんが応じてくれたので、ほっとした。

「だから琴線に触れるものであれば、じつは、どんな言葉でもいいというか。そう、むしろ、どうでもいい言葉のほうが響いたりするんですよね。言葉って、そういうものかもしれないなあ。
 ぼくがコピーライターになるきっかけも、広告研究会に入っていたときに『荻原くん、文章うまいねぇ』と言われた。そんな声を一つ二つ聞いただけで、文章のほうに来ちゃったんですよね(笑)」

 荻原さんが、のちのち振り返ってみたとき、大学の広告研究会の仲間たちは文章を書くのは面倒だと思い、みんなが避けたがる役目を押し付けたのではなかったのか。そう思い始めたのはコピーライターとなった後のこと。さらに小説家に転じていくわけだから、選択は間違っていなかったことになる。
「でも、あの頃はまわりが見えていなかった」

 だから、ひとは自身に都合のいい言葉しか耳に残らないものかもしれない。
 そういう話をしていると、荻原さんがこう言った。
「背中を押してもらえることもあるし、逆に凹んでしまうこともあるでしょう。だったら、響いた言葉を勝手に自分の応援歌にしてしまえばいいんですよ。いまアサヤマさんに言われて、とうもろこし畑の一篇の意味がわかったようになりました(笑)」

 ぜひ、荻原さんには「漫画家」としての2冊目も描いてほしい。まだまだいろんな作品が読めそうな気持ちがしているからだ。

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「週刊朝日」2020年6月26日号掲載の荻原浩さんの記事
ネット転載されたものがこちらで読めます👉https://dot.asahi.com/wa/2020061900011.html

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