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『団地と移民』と『蒼い時』と『主戦場』


『団地と移民』(KADOKAWA)というノンフィクションを書いた安田浩一さんのこと。

 安田さんは、『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)をはじめ、社会派ルポを本領とするノンフィクション作家というふうに見られている。間違いないのだけれど、安田さんにはカチッとした枠組みからコボレオチルものをすくいとろうとするライターとしての癖がある。脇道にそれかかる。その先々で発見をする。そういう目線をもつ書き手なんだと捉えかたが変わったのは、「わが人生最高の10冊」という週刊誌の企画で本をあげてもらったときのことだ。4年くらい前になる。

 本田靖春『私戦』石牟礼道子『苦海浄土』松下竜一『砦に拠る』といった本をあげていた。1冊だけ毛色がちがったものが入っていた。『蒼い時』だ。
 全冊揃えようと、新刊書店にないものは古書店を探した。ほとんどの本を雑誌記者となってから読んだというが、『蒼い時』だけは彼が高校生のときに読み、『成りあがり』とともに感銘を受けたという。そのときのインタビュー記事を探したら出てきたので、ちょこっと再録する。

「じつは僕は『明星』『平凡』を毎月買うようなアイドル好きで、フォーリーブスに始まり松田聖子、中森明菜などのコンサートにも何度も行っています。そんな中でも山口百恵は別格で、子供時代にテレビで見た姿が、強く印象づけられました。彼女のまとう、虚無のオーラというべきものに圧倒された。僕自身は、平凡すぎる少年だったので、自分にないものに惹かれたのかもしれません。
 この本で彼女は、アイドルとしての「山口百恵」がどのようにして作られていったのか、そこに彼女自身がどう関わったのかを、複雑な家庭環境のにおいをプンプン発散させながら綴っている」

 以来、安田さんは「ひとを知る」仕事をしたい、と思ったのだという。芸能人の自伝がルポライターを志す原点というのも稀だろう。山口さんの本はわたしが書店員だったときのベストセラーだ。文字量の関係で記事には書けなかったが、安田さんは、できることなら『蒼い時』に相当する「中森明菜」の本を書きたい。資料は集めていると語っていた。

 選書の際、とくに順位はないと答えられていたが、連載のきまりだからと考えてもらい、とくに『蒼い時』を1位としたのはわたしの選択で、このひとらしいと思い、同意してもらった。
 その後に出た『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)も、安田さんらしい本だった。

 戦後の右翼の歴史を、特異な人物を中心にたどるという構成ながら、安田さんは当人やその息子や周囲にいた人間たちに会い、サシで話を聞こうとする。
 通史としての面白さの上に、山口百恵に興味を抱いたのとほぼ同一の好奇心から安田さんは思想信条のちがいはさておき、礼節をもち、耳を傾ける。彼らを理解しようとする。
 なぜ「右翼」の道を選んだのか。おもねるわけではない。知りたいのだ、安田浩一は。
 その姿勢は、いま話題になっている『主戦場』の映画監督ミキ・デザキにちかい。

 日系米国人のデザキは、シンプルな疑問から「慰安婦問題」について対立する二つの立場の論者たちを、交互に取材しながら真相を探り当てようとする。「従軍慰安婦」に関する「データがない」。だから日本軍は関与しなかった、あれは売春業者がやったことだと強調する「歴史修正主義」論者の熱っぽい弁舌のあと、わずかに残る一次資料を見つけ出し、当時絶対的な力を有する軍の関与なしに日本軍が進駐した先々にそうした施設を設けられるはずはないと物静かに語る歴史学者とを並べ、対比。両者の語り口がとても印象に残るドキュメンタリーだ。
 敗戦の前日、日本の各地で黒煙があがった。これは、いろんな作家が日記などに目撃体験を記述している。若い頃は、文書を燃やす意味がつかめなかった。

 厖大な公文書が役場から持ち出され焚書されたという過去の話が、自信満々に「データはない」という熱弁によって頭のなかで線になる。なるほどなあ。映画を見て、そう思うひとはすくなくないだろう。都合の悪いものは残すな。燃やせ。役場に対する指示もあとが残らないように伝言だったといわれる。何だがデータ改ざん廃棄と対応に符号する。とくとく語った熱弁者たちもそういうオチがつくとは想像しなかっただろう。

 もとい。話を安田浩一にもどす。『「右翼」の戦後史』でも、これは安田浩一のルポルタージュだとおもわせるのは、「アイドル養成」授業をおこなう、政治思想史専攻の大学教授を訪ねる場面だ(p.198)。

 右翼とアイドルとの取り合わせに興味をもった安田さんの質問に、大学教授は山本寛斎に特注したミリタリー調のユニホームを見せ、三島由紀夫の「楯の会」を真似たという。早稲田大学生だったとき、「楯の会」に志願したものの、当時45キロの「小柄」を理由に落とされたという。

 自身を「新右翼」と自認するその人物がいう。「アイドルそのものにはたいして興味はない」「僕が関心を持っているのは社会現象としてのアイドル。うねりを生み出し、社会に刺激を与えていく。一種の学生運動みたいなものです」。

 手がけたアイドルユニットの名前が「烈風」「晴嵐」「月光」だという。
『ネットと愛国』でもそうだったが、ヘイトデモの参加者はどういう人たちなのか。「知りたい」という意思に背を押され、デモの中にいた個人に声をかけ、居酒屋など面談し、ときには自宅を訪問。そのレポートに見る、彼らの現場でのテンションとの落差に驚かされる。一人ひとりの参加のきっかけから生活の様子まで、ルーペをかざすようにして見つめ、点としての「個」を並べあげることで、時代の断面を可視化してゆく。その姿勢は安田浩一の取材に一貫したものだ。

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 そうそう、『団地と移民』(KADOKAWA)の話をしなければ。安田浩一さんに会ったのは、10冊の本のインタビュー以来だった。
『団地と移民』は、移民問題に焦点をあてながら団地を取材していったルポルタージュだ。ヘイトデモが襲来、住民自治の再生をはかる埼玉県川口市、原爆スラムから高層アパートに変貌した広島をはじめ、遠くはパリ郊外のテロの温床といわれたところにも足を伸ばしている。

 高度成長の時代に建てられた団地の多くがいまや住民が高齢し過疎化する一方で、入居に際して国籍を問われないUR団地には日本へ就労にやってきた外国人たちが集まるようになっている。当然、異文化が接触すれば問題は起きる。外国人を恐れ嫌い敵視する人たち。ヘイトデモを聞きつけ、おもしろおかしくデマ情報を流すテレビ局の姿勢に安田さんは警鐘をならす。かたや外国人との交流、共存の取り組みをはかる人たちの話に耳を傾ける。暗澹と希望が交差する。

 面白いのは、運動をとらえるときに集団の中の「個人」をベースにしているところである。たとえば、急増する中国系の新住民たちと接点をつくろうと、彼らのバトミントンサークルがあると聞いて、ラケットを買い、やったこともないのにその場に入っていく人物を追う。落語などでよく見かける「おっちょこちょい」が、水と油に見えていた新住民と旧住民の壁をとりはらう一歩になっていく事例はささやかにしてドラマチックでもある。
 そうした「知られていない」出来事を伝えるマジメなドキュメンタリーではあるのだが、わたしが読者として本書を面白いと思ったのは、団地の取材をする過程の中で安田さんが青森県に出かけていく、第二章「コンクリートの箱」である。

 団地といえば、子供の頃に「団地妻」というタイトルの映画が流行ったことを思い出し、日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下がりの情事』の撮影現場となった撮影所近くの団地を見に行く。まあ、ここまではルポとしてはありうることだ。でも、変だ。ロマンポルノから団地の問題を探ろうと図面を拡げるライターは彼ぐらいではないか。
 安田浩一の真骨頂は、そこからさらに「ロマンポルノの巨匠」と呼ばれた西村昭五郎監督の消息を調べ、すでに他界していた西村監督の墓参りのために青森へ向かったことだ。「移民」とも「団地」とも、どんどん離れていく。取材費はフリーランスゆえに自腹である。成果の見込めない遠征は避けたいものだ。にもかかわらず、墓参りに行こうと思ったのはなぜなのか。

 インタビューにあたってわたしが、いちばん聞きたかったのはその一点だった。というのも、晩年の西村監督を支えた女性の話が団地や移民と関係しなくとも、単品でも「昭和」の人物ルポとしてすこぶる面白い。
 名だたる先輩たちの後ろ姿を目にしながら燻る思いで悶々としていたであろう京大仏文出の監督が、日活にとっての倒産危機打開策だった「ロマンポルノ」路線が大当たりし、一躍売れっ子監督に躍り出た。成りあがり人生をいくかのような有頂天な日々。しかし、ロマンポルノの打ち切りとともに西村は忘れさられていく。「女ぐせ」がわるい男だったらしい。監督の依頼もたえ何者でもなくなった。それでも見栄を張らずにいられない男を自身の郷里に呼んで世話し、墓に納めた女性に安田は会いにいく。

 読者としては、この話を聞くために行ったというふうに解釈しがちだが、そうではない。「行けば、何かあるかもしれない」という動機だった。それも日活ロマンポルノの本を書こうというのではない。テーマは「団地と移民」である。
 西村を追ったその動機について、重ねて聞くと、こんなことを安田さんが笑いながら話した。ちょっと、音源からの文字起こしを載せておく。

安田さん この本に限らずなんですが、僕は、誰か会いたいと思った人が亡くなっていると知ると、お墓に行きたくなる。取材に生かせるかどうかは別にして。見てみたい。それであのときは、最後に(西村監督が)が同居していたひとがいるというのを知った。
 あと、八戸というだけだったら、まだ心は動かなかったんだけど、その女性に電話番号をしたら、いつでも来なさいと言われた。どのあたりなんですかと聞いたら、サメの近くだという。サメ? 「鮫という駅があるのよ」。それに惹かれて、俄然行く気になったんですよ。

──まさか、駅名に惹かれたからって。ハハハハ

安田さん でも、そうですよ。たしかに、行ったからどうのというわけでもない(笑)。

──本のテーマからすると完全に脇道でしょう。

安田さん そうなんだけど。鮫という地名と、京大の仏文を出た監督が鮫で亡くなっている。僕にとっては、聞いたことのない土地で一生を終えたというところに惹かれた。

──結局、晩年になって西村さんは別居していた前妻と80を過ぎて離婚し、メイクの仕事から声をかけ、付き合いのあったその女性と再婚したんですよね。

安田さん これは書いていないし、大きな声では言えないけど、会ってすぐに「あんなに○○○○が好きな男はいなかった」という。ドキッとする。とにかく女にフラフラして、穴さえがあればなんでもよかった。そういう男だったと悪しざまに言う。美談めいたイイ話にはもっていかない。だけど、最後まで面倒を見たというのは、それだけ好きだったということでもあるんでしょうね。

──過去のひととなり、まわりに人がいなくなった。そういう男の面倒をみる。会話のやりとりから、女性には自負心もあったのかなぁとか、いろいろ想像させられます。

安田さん そういうことなんでしょうね、看取ったというのは。言われれば、勝者という感じはしましたね。

──あと、一般的な編集者だと、この話はテーマから外れているからと止められそうなのにそうならなかったんですね。

安田さん そういう意味では、いい編集者だったと思います。でも、この本のインタビューで、こんなことを聞かれたのは、はじめてですね(笑)。それに、僕が子供のときに過ごした団地に行って、そこで写真撮影をしたいという人もいない。きょうは面白かったですよ。

 最後に、安田さんに聞いてみた。ルポに登場する人の数の多さもそうだが、よくこういう人を見つけてきたなぁと感心しながら読んだ。多くが市井のひとだ。仕掛けというかコツみたいなものがあるのだろうか。

「とにかく歩くこと。誰かにめぐり合えるんじゃないか。常に思っている。
 僕は無神論者だけど、「取材の神様」というのは信じている。その神様は、足を使わないとあらわれない。だから何度も現場に通う。神様があらわれるのは、歩いた距離に比例する。ひとに会い続けたら、あきらめなければ面白い人に出会える。確信が僕の中にある。百人に罵倒されも、百一人目に神様に会える。それが取材の醍醐味だと思っている」

 安田さんは、そう話す。それは、長く記者として仕事をしていた週刊誌が休刊し、窮していたときにアシスタントとして傍についた佐野眞一氏から学んだことだという。

「佐野さんをすごいと思ったのは、取材を断られることにめげない。よく覚えているのは、僕が『この集落でもう10軒、断られました』というと、佐野さんは『そうか、じゃ次の集落に行こうか』。あきらめない。11軒目に何かあるかもしれないというんです」

 ノンフィクションの大家となってからの佐野さんに対する評価はともかく、一緒に取材をしたときの言葉はよく覚えているという。

 インタビューの記事を参考までに載せておきます。カメラマンの小山幸佑さんは、ちょっと変わったひと。この本のインタビューだからと見せると、しばらく目を通し、団地を見てまわるうち、「ここで子供の頃を思い出して投球してもらえませんか」という。

 本の中に、団地の記憶のひとつに、小学生のときに壁に向かってひとりで練習していたという記述がある。それに何か思うところがあったらしい。五回、六回と投げ込む動作をしながら、安田さんも楽しそうだった。

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安田浩一さんが選んだ「10冊」のインタビューはこちらで読めます👇
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/46145


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