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差別しない「みんなのお寺」


インタビュールポ、前話(檀家廃止と「長屋寺院」)からのつづきです

聞き手=朝山実(撮影も)

 
 橋本英樹さんが、先代の父親のあとを継ぎ、見性院の住職となったとき、最初にとりかかったのは、「本堂の窓を透明なものに付け替える」ということだった。
 すり窓ガラスを付け替えることがいの一番にとりかかった改革?
 キョトンとしているわたしに、
「外からでも、中が見えるお寺にしようと思ったんです」

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──ああ、そういうことですか。そういえば田中康夫さんが長野県知事になった際、知事室をオープンにされて話題になりましたね。

「そうです。私もあれを参考にしました。『住職の顔が見えない』と言われたこともあって。ずっとお寺の中にいると、自分では気つかないうちに、外のことが見えなくなるんですね。
 もちろん、お寺は商店じゃないですから。聖域的な部分も必要なんでしょうけれども、日本のお坊さんには、そこまでの神秘性もないですし、わかりやすく開かれたお寺にしていかないといけないと思ったんです。
 次にしたのが、掲示板。お布施の料金体系を張り出したのもそうですが、見性院として、いま何をしようとしているのかを伝えていくことをはじめました」


 お布施の料金を明示し、お寺の収支決算もオープンにする。なんだか会社のようだが、「清潔感を出したい」との考えからだという。
 橋本さんはシャッター街の商店にたとえ、檀家が減少する一方の寺院が生き残っていくには、経営的な視点や寺院としての独自性が必要だという。

「残っていくのは、商店なら、そこに行かないと買えないものを売っているお店ですよね」
 
──インタビューの前に、お寺のまわりを見せてもらいました。永代供養塔の墓誌が二通りあるんですね。「戒名」のあるものと「俗名」のものと。

「じつは最初、俗名のご依頼はお断りしていたんです。何故かというと、戒名をつけておられる人に悪いと思ったんですね。
 自分たちは戒名を付けてもらっているのに、付けてない人たちと同じ扱いになるのかと言ってこられる人が出てくるだろう、と。それで一年くらい、俗名で、と言われる場合はお断りしていたんです」

──一挙に変えたわけではなく、変遷があったんですね。

「そうです。いまにして思うと、悪いことをしたなと思っています。仏教は差別しちゃいけないと言っているんですから。
 そもそも、なぜ戒名をつけるのかということですよね。
 戒名は、いうなればクリスチャンネームのようなもので、仏教徒になった証です。キリスト教と異なるのは、生前に授かるのではなくて、亡くなってから遺族がお金を払って付けてもらう。後付けだということです」

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──キリスト教だと、自身の意思で洗礼を受けて信徒になる儀式を設けているのに対して、日本は「家」単位でどこのお寺の「檀家」と決められ、修行せずとも死後に戒名ひとつで「仏さん」にランクアップさせてしまう。ヘンですよね。

「ランクアップかどうかわかりませんが(笑)。俗名だと浮かばれないとかいうようなことは、もともとの仏教の教えにはありません。
 私が考えるに、信仰だと思うんです。戒名の四文字の言葉には、その人の人生があらわれる。よくできた戒名だと、『ああ、お母さんにピッタシだよね』と言ってもらえる。戒名を付けることでケジメがつくというんでしょうか」

 取材者のわたしも、父の葬儀後に戒名について勉強してきたこともあり、ここまでの戒名の話は無理なく理解できた。へーと思ったのは、次の説明だった。

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