春が来るたびに僕は「桜」を聴き続け、Janne Da Arcが忘れられないで生きている。
桜舞う季節に
こんなショートスパンでJanne Da Arcネタを書こうとしているのはどうかと思いながら、この季節だからこそ書かなければならないという使命感に駆られています。
ちなみに前回記事ではJanne Da Arcの「ヴァンパイア」について書きました。よかったらこちらもぜひ。
Janne Da Arcの「桜」は人生
さて、Janne Da Arcの「桜」と言えば、印象的なイントロのシンセとギターもさることながら、切ない情景を思わせる歌詞も印象深い楽曲です。
何らかの理由で恋人と別れた男性が、舞い散る桜を見てかつての恋人に想いを馳せる、といったストーリーですが、別れた理由などは明言されません。
楽曲としても明るさと切なさを内包したアレンジで、別れがどんな形だったのかを想像させるかのように、「桜」という美しくも儚く散る花のイメージにぴったりな作品となっています。
yasuの歌声が持つ「力強さ」の中にある微かな震えや掠れが、より美しくも儚い印象を際立たせていて、楽曲と歌声の相性の良さもまた、代え難いものへと昇華していると言えるのではないでしょうか?
初めてこの楽曲を耳にしたときから現在に至るまで、ぼくの心に深く深く刻まれ、桜を見ただけで脳内に浮かんでくるフレーズです。
そしてこのフレーズのあと、大サビの部分ではより疾走感のあるアレンジになり、さながら風に舞い上がる桜の花弁を連想させるかのような美しい演出があります。
これらの展開は脳裏に桜の舞う映像が浮かぶようで、ともすれば涙を流してしまいそうになるほど、聴く人の心を捕らえて離さない魅力があります。
これほどまでに印象的かつ心に刻まれた楽曲は少なく、これまでも、これからも、春が来て桜が咲くたびに、この曲を聴きながら人生を歩んでいくんだろうと思っています。
おわりに
春は出会いと別れの季節です。
美しく舞い散る桜を見ながら、かつての記憶に想いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか?
5年前の4月1日、ぼくの人生と共にあったバンドであるJanne Da Arcが解散となりました。
以前から活動はありませんでしたし、復活は絶望的だと半ば覚悟は決まっていましたが、まさかこんなタイミングで、と驚いたのは否定できません。
当時、解散のニュースを見ながら「桜」を聴いていて「あぁ、これから先ずっと、桜を目にするたびに思い出すんだな。。」と思ったことを強烈に記憶しています。
あまりにも最後が呆気なくて、そのくせ何年経っても忘れられなくて、この「桜」に登場する男性のような気持ちで、これから先もずっと好きだった記憶と感情を抱えたまま生きていくんだと思います。
最後にライブで観たかった……。
以上、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。