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女性とフェミニストを区別してみてはどうか(ポストフェミニズム試論)

日本のフェミニストの抱える矛盾の一つに
・保守的な価値における女性優遇
・男女の機会平等
みたいな、どう考えても両立しない、相反する事柄を同時に主張する点があることは、よく知られている事実である。
こないだ、ある知人のフェミニストが「最近は、色々平等になってきたけど、家では財布の紐が握れなくなって、今の女性は昔に比べて不幸だっ!!」と怒っていたが、この明らかな自己矛盾を認識できないのがフェミちゃんなのだ。
フェミニストは女性の代表のような顔をしているが、女性の中にもフェミニズム嫌いの人は多く、彼女達の多くは「保守的な価値における女性優遇」を享受してる人たちだ。日本は女性の幸福度と長寿が世界でもトップクラスの国なんだよ、日本の女をなめるな。
中学生ぐらいの頃、なにかのニュース番組でフェミニストのデモみたいなのを見た。「過労死まで男女平等はごめんだ」と書かれたプラカードを掲げて叫んでる中年の女性たち。女性労働者の残業規制撤廃に反対してのことらしい。フェミニズムって単なる強欲の言い換えなのでは?と当時ぼんやり考えたのを覚えてる。

優遇と平等を同時に主張するのはやはり無理があるし、フェミニズムと無関係でいたい女性も多い。
では、どのようにすれば皆が幸せになるか、その秘策。

フェミニストと女性を制度的に分けてしまう。分別のつく年頃に「どちらの生き方をするか」決めてもらう。

■女性コースの場合は、性差を是と認め、危険で過酷な仕事から守られ、つまり女性としての優遇を取る。結婚して幸せな母親になる。つまり「サザエさんの世界」みたいな。パターナリズム万歳。

■フェミニストコースの場合、法的、制度的には全て男性として(医療は例外)扱われる。男女平等の世界で、バリバリやる。攻殻機動隊の草薙素子みたいな感じだ。泣かないし戦争にも行けるし売春にAV出演大金を得る、女性用風俗にも行く原発処理だってできる、自由はすばらしい。

こうすればフェミニストが女性を迫害する事も正当化されなくなる。

優遇が平等か。これを一人一人の女性が「自己決定」(この言葉は嫌いだがこれを使うとフェミも納得しそうなのであえて)すればよいのではないか。性別だって選ぼう、みたいな時代ですよ(・・)



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