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スプートニクの恋人はいいぞ

 シンガーソングライターのクボタカイさんがTwitterで"人生で一番良かった本を教えて下さい"と投稿していた。ハイハイハイ!と挙手してレコメンドしたかったのだが、そんな度胸は1ミリも持ち合わせていない...ソーメンくらい肝が細いんです。肝って肝臓なんだね。

 僕が今のところ人生で一番良かったと思うのは、村上春樹さんのスプートニクの恋人。この本は僕に指針と呼ぶべき言葉をくれた。「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」

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 あらすじの紹介を。小学校教師をしている主人公には想い人がいる。すみれという名の大学生時代の友人で、彼女は小説家になるために日夜文章を書く。いささかユニークな性格で女性らしさなど少しも持ち合わせていないのだが、独創的な言動と生み出される文章は、主人公にとってとても魅力的だった。主人公は叶わない恋とわかりながらすみれの良き理解者でもあった。

 そんなすみれがある日、恋に落ちた。全てのものを破壊するような記念碑的な恋だった。相手はミュウという女性で、年齢は17歳も年上だった。彼女と出会ってオフラインだった生活に変化が生まれ、ミュウの仕事の秘書として世界を飛び回ることになった。目の前でどんどんと大人の女性になっていくすみれを主人公は穏やかな寂しさと共に見守る。しかしすみれから長い手紙が届いた数日後、主人公の元に電話がかかってくる。相手はミュウでその内容は、旅先ですみれがいなくなってしまったということだった。急いで主人公はギリシャの島へ向かい、すみれを探すのだが...という所から話が展開していく。とても面白いので是非読んで欲しいです。

 まず見所としては傍若無人なすみれの言動と、それを肯定する主人公の関係性だ。僕が好きなシーンは、すみれが深夜の公衆電話から主人公に電話をかけるところ。

 ねぇ、こんな時間に電話をかけたのはたしかに悪いと思うわよ。心からそう思う。ー 気の毒なお月様が東の空の隅っこに、使い古しの肝臓みたいにぽこっと浮かんでいるような時間に。でもね、私だってあなたに電話をかけるためにまだ暗い夜道をとぼとぼここまで歩いてきたのよ。ー テレフォンカードを小さな手に握りしめてね。ー靴下だって右と左で違うものをはいている。片方はミッキーマウスの絵がついていて、もう片方はウールの無地の靴下。部屋の中がでたらめで、どこになにがあるのかわけがわかんないの。大きな声では言えないけど、パンツだってとんでもないものなのよ。下着泥棒だってたぶんよけて通るようなやつ。

 センスが冴え渡っていますよね。すみれのひととなりをよく表した部分だと思います。そしてこの時間にかまわず電話をかけることができるところから、主人公に大きな信頼を寄せていることも見える。心地よくもどかしい気持ちは常に付き纏っていたことでしょう。

 そしてこの物語では「血は流されなくてはならない」「こちら側の半分とあちら側の半分」という重要なキーワードも存在する。すみれはミュウと出会って文章があまりかけなくなる。自分のアイデンティティを新しい感情の芽生え(半分)と同時に喪失(もう半分)してしまい、すみれは混乱した。そして失踪。村上作品では登場人物が急にいなくなることが多いが、精神世界では私たちも同じようなことが起こりますよね。自分自身が何を拠り所として、誰に必要とされているのか。すみれの失踪は、それがわからなくなったことのメタファーかなと。

 すみれを探して奇妙な出来事に遭遇しながら、見つからないままに主人公は帰国。しかし何も成果がなかったわけではなく、主人公に大きな変化が生まれる。もともとすみれに対して持っていたあらゆる欲望は、主人公の教え子(にんじんと称されている)の母親である年上のガールフレンドが解消していたわけだが、帰国後に突然その関係に終わりを告げる。きっかけはにんじんが万引きをし、補導されたところに駆けつけた際、以前とすっかり様相が変わっていたことにあった。話がまとまった後、にんじんと二人きりになった主人公はなぜか、自分が大切に思うすみれがいなくなって心から寂しいことを打ち明ける。一見、突飛で自己中心的な描写に見えるが、主人公が本音を漏らす希少なシーンであり、にんじんは少しだけ以前の様子(主人公を許した)に戻った。このシーンも非常に印象的で、先述した「血が流れなければいけない」というのはこの事ではないだろうかと僕は推測する。自分自身を再確立するためには、冒険と喪失と犬(すみれにとってのミュウ・主人公にとってのにんじん)の首を切ることが必要だったはず。

 理解は誤解の総体である。どんどん確立される人生の中で、知っていると思っていたものが知らないものだったとしたら...そう考えると僕はいつも救われるなぁと思います。

 村上春樹作品が批判される時によく見かける内容は「例えがくどくてわかりにくい」「なぜ主人公が無気力な風でセックスばかりしているのか」というものが多いと思うのだが、ファンとしては是非"核"に注目して読んで欲しいとお願いしたい。きっと気に入ってくれるはずです。そうよね?その通り!

 

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