二階崩れの変

 ―― 肥後に不穏あり。
 という草(忍び)の急報が、入田丹後守親誠に届いたのは、天文十八年の暮れのことであった。親誠は驚いたものの、
「さもありなん」
 と、ある程度の予測の範疇内であったようで、さして慌てる様子もなかった。ただ、親誠は発達した顎を鳴らすようにして、
「すぐに御館様に伝えよ」
 と、近習に伝えると、親誠はそのまま上原館に向かった。
 豊後の中心地は府内といった。現在でいう、大分市にあたる。もう少し詳しく言うと大分県大分市顕徳町というところになる。現在ある大分城は、この当時にはまだなく、府内には二つの館があった。
 一つは大友館と呼ばれ、館という名はついているが、実質城の如きものであった。このような建築を守護館と呼ばれ、同様のものに甲斐武田氏の躑躅ヶ崎館がある。ここには当主である大友義鑑が住んでいた。
 が、親誠が向かったのはその大友館ではなく、前述した上原館であった。上原館は大友館の南にある上原丘陵というところにある守護館で、規模も大友館とほぼ同じである。
 恐らく、落城したときの詰城としての機能を持たせる程度のものであったであろうが、とにかく親誠は、上原館に向かった。
 馬上の人となった親誠は、駈歩に近い速歩で上原館の正面門向かうと、そのまま
「入田丹後守親誠である。火急の要件につき、開門」
 と怒鳴った。程なくして正面門が重々しく、控えるようにして開いた。近くの者に手綱を取らせると、親誠は降りた。
「五郎様はおられるか」
 務めてゆっくりと尋ねると、はい、庭にて弓の稽古をしておられます、と答えが返ってきたので、親誠はそのまま庭先に向かった。
 庭では、片肌脱いだ精悍な青年が、二十間ほど離れた的に向かって弓を引き絞っていた。肩の筋肉の筋が浮かび上がるほどに緊張させ、力瘤がほんの少し震えている。
「……!!」
 一気に放った矢は、全身でもって的に体当たりした。
「見事」
 思わず、親誠が叫んだ。青年は、親誠の方を振り向き、一瞥した。細面で体の線は少々細いが、自ら体を酷使したと見えて細いながらも筋肉はしっかりとついている。常に世をどこか拗ねた表情で見ているのは、恐らく青年自身の過去に由来するものであろう。その為か、印象としてはやや鬱屈した感じを受ける。それが、体格に見合わぬから、余計に均衡を欠いた。
「丹後か。どうした」
 といって、また戻って矢をつがえた。
「は。実は、肥後に不穏あり、との知らせが草のものより届けられました」
 青年はつがえていた矢を下ろし、近習に持たせると、片肌になっている腕を着物の中にしまい込みながら、ただした。
「叔父御が?」
 青年は近くの椅子に腰かけた。
「はあ、菊池の義武殿が隙を伺っている、と」
「それでどうした」
「とりあえず、火急の報せと思い、参じた次第」
「親父殿に放り込んでおけ」
「ですが、五郎様」
「五郎ではない。儂は、義鎮だ」
 親誠を大喝で制した。
「では、義鎮様。貴方様は大友家の家督を相続されるご嫡男ですぞ。今のような事では、将来お家の大事があった時にどうなされますか」
「家督?塩市丸が継げばよいではないか」
 義鎮は自嘲気味に吐き捨てた。
「このところ、足しげく継母のところに通っているそうだな。知らぬと思っていたか」
「とんでもありませぬ。阿蘇の方様には、くれぐれもご短慮なきよう、ご諫言申し上げた次第にて、決してそのような大それたことは」
「ない、と言い切れるのか」
 義鎮は親誠を値踏みするように尋ねた。
「ございませぬ」
 言い切った。
「しかし、当主は親父殿であろう。任せればよいではないか。自分の弟を殺すことができるかどうか」
 義鎮は不敵に笑った。
「お望みですか、父上の苦しむさまを」
 五郎様、と親誠は敢えて言った。その証拠に砂利が脛に食い込む痛さをおくびにも出さず、端坐している。義鎮は何も言わず、館に戻ってしまった。
 義鎮様、と親誠はもう一度呼びかけた。が、何もなかった。
 親誠は、つないでいた馬の手綱を外し、再び騎乗すると、恨めしく上原館を睨み付けた。
「全く」
 つぶやいて、馬首を返して、大友館に向かった。その途中、
(このままではどうにもならん)
 雪隠詰めにあったように頭を振った。
「丹後殿」
 後ろから声がかかった。向けば、同じ守役の斉藤播磨守であった。
「播磨か」
 親誠は馬を下りた。
「いかがなされた」
「実は」
 といってこれまでのあらましを播磨守に伝えた。
「義鎮様が今のままでは、いずれ大友家の棟梁となられたときに、この家が持つかどうか」
「滅多な事を口にされまするな。若はいずれ、この大友家を背負って立つお方でござるぞ」
「今のままでよいと申すのか」
 という親誠の言葉に、播磨守が黙った。
「確かに、若のご気性、器量共に芳しからず。されど、嫡男が家を継ぐは道理でござる。それに、若の生い立ちを考えれば、ある程度は致し方のないことでござろう」
「それが甘いのだ。確かに、幼小に母を亡くし、阿蘇の方様を迎えた御館様より疎んじられたことには、憐憫を持たざるを得まい。しかし、もう二十歳ともなれば、男子として覚悟を決め、その所行は改めなければならぬ。その為にも、儂が幾度となく諫言申し上げたが、一向に改まらぬではないか」
「丹後殿の申すことは尤も至極。それは我々守役も十分に配慮しております。若がいずれ然るべき場所に立てば、おのずとそのお心も改まりましょう。それがわれらの務めではござりませぬか」
「分かっておる。義鎮さまの器量はそれがしとて承知しておるつもりだ。だが、今のままでは。……」
「無論、それも若はご理解しておいでのはず。ただ、今は父君がお元気ゆえ、少し甘えておられるだけでござる。今にきっとこの豊後を背負って立つにふさわしいお方におなりになるはず」
 播磨守の言葉はそのまま親誠にとって、願望であった。親誠は、
「そう願いたいものだ。……では、儂は御館様のもとに向かう。何かあれば、大友館に来られよ」
「承知仕りました。では」
 播磨守はそのまま、上原館に残り、親誠は大友館に向かった。

 親誠が大友館に着いたのは、正午を回って、ほんの少しだけ日の当たりが傾き始めていたころである。
「入田親誠、参上いたしました」
「大儀」
 という短い答えの中に、親誠は大友家当主である大友義鑑のどす黒い怒気を敏感に感じ取った。
「あのうつけが。あそこまで愚物であったとはな」
 義鑑は、細胞一個でも世に残すことを許さぬほど、憎悪している。
「何のために肥後にやったのか、いまだに分からぬと見える」
「御館様。されど、ここで争えば島津や諸豪族らが動いてくるやもしれませぬ。ここは、穏便に」
「できるか。何度も刃向ってきおって。禍根は絶つに限る。弟のくせに生意気なのだ」
 義鑑は扇子をへし折らんばかりに曲げている。扇子のひび割れる静かな亀裂音が聞こえてきそうである。
「重治は己の器量をわかっておらぬ。あやつは菊池を束ねておればよいのだ。それを欲に駆られて楯突こうとする。できることなら首を挿げ替えてやりたいくらいだ」
「ご自重なさいませ」
「息子といい、弟といい、どうも身内に縁が薄いのう」
 今度は力なく笑った。
「義鎮はどうしたのだ」
「は」
 親誠は、黙っている。
「どうしたのだ」
 今度は苛立っている。
「いかがした、と聞いておるのだ」
「そ、それが『御館様のご随意に』と申されました」
「それだけか」
「左様でございます」
 義鑑はへし折った扇子を思い切り投げつけた。折れた扇子が勢いよく戸に当たった。
「義武が愚か者ならば、義鎮はうつけよ」
「ですが、義鎮様は嫡男でござれば、家督を継げば、今のような態度は必ず改まりましょう」
「といって、何年になる。そちを守役につけ、五年十年ならば、言いようもあろう。しかし、義鎮は元服を終え、すでに二十になろうとしておる。それでも改まらぬのは何故だ」
 義鑑は足を踏み鳴らして立つと、そのまま縁側に出た。
「ですから、家督を継げば」
「儂に死ねと申すのか」
 義鑑の視線に親誠はかしこまった。
「そうではござりませぬ。早くに御正室様を亡くされ、慈愛を受けることもなくお過ごしになられ、さらに病弱であるがゆえに初陣も飾れず、上原館に移された義鎮様の御心情は察するに余りあるほどでござりまする。さすれば、今少し御猶予を」
「猶予を持っていかがいたすというのだ。隙を伺うて、儂の寝首をかくつもりか」
 義鑑は首をぴたぴた叩きながら笑ったが、明らかに嫌悪が混じっている。
「まさか、断じてそのようなことはございませぬ」
「まあよい。……そうだ、いっそのこと、義武を滅ぼして、義鎮を菊池の跡目に挿げ替えて、塩市に家督を譲るか」
「御冗談であってもなりませぬ」
「冗談ではない。あやつの顔を見ておると、今にも斬り殺したくなるのよ」
 義鑑は侮蔑している。
「御館様。同じ我が子であって、何故義鎮を遠ざけられるのですか。それほど、塩市丸様が愛おしゅうござりまするか」
「義鎮は不憫である。だが、儂にはどうしても義鎮をどこか許せぬのだ。義鎮に、どこか父の影を見ているやもしれぬ。そう思えばますます憎々しいのだ」
「と申して、廃嫡などもってのほか。義鎮様の御器量は、今にきっと満天下に咲く向日葵のように大きな花をつけましょう。それまでは、ご辛抱でござりまする」
 親誠は床を額で割らんばかりの勢いで頭を下げた。
「わかった。廃嫡の件はひとたび置いておく。義武は、肥後から動けぬようにしておけばよい。あの程度の器で軍勢を整えることもできまい」
 義鑑はようやく落ち着いた。

 果たして義鑑の言うとおりに事態はなった。
 年が改まった天文十九年の初めには、すでに菊池の軍勢は肥後に下がっていた。
 結局、義武は小競り合いをした程度で、すぐに竦めるように軍勢をひかせ、あとは沈黙した。
(おそらく、お家の隙を伺ったのかもしれん)
 親誠はそう考えている。
 義鑑と義鎮の不和は公然の秘密であるといえ、そこかしこにスパイがいるようなこの戦国という時代では情報は筒抜けであったであろう。義武はそれを確かめるべく、風船を針でつつくように軍勢を繰り出したと考えれば、この行動にも道理がいくのである。
「そこまで義鎮様は考えておられたのか」
 と親誠は考えるが、そうとも見えず、長らく側にあっていまだに義鎮という男の心底が図りかねるのである。
(とんでもない大物か、あるいはおおうつけか)
 その評価は府内にあっても二分して定まらず、それが猶更、義鎮という男の精神に瘤を作らせているのであろう。しかもこの二分は、家臣団の中にもでき始めていて、恐らくこの時代に選挙制度があったとして、家臣全員が投票したらば、どちらも過半数を取ることが出来ぬほどに拮抗している。
 親誠はこの状態が、肥後の菊池義武をはじめ、伊東、身内でもある大内に利することを十分に理解している。ならばこそ、一刻も早い義鎮の精神的自立を求めているのである。
 が、一方の義鎮からすれば、
「都合のよい方便だ」
 という考えを禁じ得ない。義鎮は半ば世の中を捨てているような雰囲気を常に出していて、それを直そうとしない。恐らく他の大小名の凡そ経る筈であろう過程を、義鎮は経ていない。これと、彼自身の生い立ちでの不幸が、彼自身の性格を作り上げてきたのである。ゆえに、それを今更直そうとてしも、手のつけようがないのが、実情であった。
 上原館に半ばひきこもるようにして義鎮が過ごしているのも、それと無関係ではない。
 義鎮は何より軍事を好んだ。鷹狩であったり、弓術であったりあるいは剣術といったとにかく刀槍の術に関するものであったならば何でもよかった。病弱であった幼少期の反動であった。
 親誠が肥後との小競り合いがおさまったことを告げに再び上原館に出向いたとき、今度は剣術に凝っていた。
「その様子だと、叔父御はすぐに兵を引いたか」
 一通りの稽古を終えて、義鎮はいつものように椅子に腰かけた。
「お察しの通りでござりますれば、まずは祝着至極」
「祝着なものか。また怒っておったであろう」
 義鎮は北の方角を向いて笑っている。
「義鎮様、もうそろそろご嫡男としての心構えをお持ちなさいませ。いずれ、お家を継ぐ身なれば、改めなされまするよう、入田親誠、伏してお願い申し上げまする」
「何を改めよというのだ」
「先日、小姓の一人を御戯れに斬って捨てたそうですな」
「あやつは儂に諫言しよったのだ。『今少しお改め願い等存じまする』とな。そのような連中はいらん。だから斬って捨てたまでだ」
 義鎮には全く罪の意識がなかった。
「ただでさえ、家臣が割れておるこの時に、斯様な事を致せば他国から嘲られ、義鑑様ともますます疎遠になること必定。のみならず、家臣や民百姓も恐れおののきまする。それでもよろしゅうござりまするか」
「どのみち、塩市丸に継がせるのであろう。ならばそれでよいではないか」
 取り付く島もなかった。
(もはやこれまでか)
 親誠の中で何かが外れた瞬間であった。
「……では、これにて」
 親誠は、無表情であった。

 親誠が上原館にほど近い屋敷に戻ったのは酉の上刻、時期的にもすでに日は落ちているが、裸の三日月がそのまま屋敷の屋根に乗っているように明るかったのが幸いした。
 少し遅めの夕餉を終え、蝋燭の明かりでゆるやかに書物を読んでいた。
「御館様のおなりでござりまする」
 という小姓の言葉に、すこし戸惑ったが、
「お通しせよ。酒も用意しておくように」
 と言いつけておくと、客間に向かった。
 すでに義鑑は上座にあって、蓄えている髭を弄っている。
 親誠が、客間に入った。その場に座って両拳を床に着いた。
「すまぬな。このような時分に」
「いえ、しかしまた何故でござりまするか。翌日にでもお伺い致すつもりでしたが」
「そうであったか。だが、おぬしにどうしても内々に申し渡しておくべきであったからな」
 という義鑑の言葉に、親誠の勘が正解を導き出した。親誠は、立ち上がり、急いで近づいた。
「やはり、義鎮様をご廃嫡なさるおつもりですか」
 義鑑は伏し目がちにうなずいた。正視できなかったのであろう。
「義鎮に、今の大友をまとめ上げるだけの器量があるとは思えん。その点まだ塩市丸は幼い」
「猶更、義鎮様に家督をお譲りするべきかと」
「いや。塩市丸は小さい。ゆえに、今からしっかりと養育を行えば、いずれ義鎮に劣らぬ武将になろう」
「それは、ご本心ですか」
 親誠は義鑑の全身の、微動をも見抜くような視線でもって義鑑を捉えている。
「阿蘇の方様の入れ知恵ではござりませぬか」
「そうではない。そうではないのだ」
「では、なにゆえだしぬけにこのような形でお話になられまするか」
「思い立ったが吉日と申すであろう」
「では、それを家臣を参集し、その上でそのようにお話しなさいませ」
「できぬから、このようにして忍んでおるのだ」
 忍んでいるとはとても言い難いほど、二人の口論の音量は大きい。
 そのあとの二人は、もはや単なる押し問答になっていた。
「それほどまでに塩市丸様が可愛らしゅうござりまするか」
 大喝であった。屋敷が一斉に騒いだ。
「何もない。控えておれ」
 親誠の言葉で、屋敷はまた沈黙した。
「丹後、この通りだ」
 義鑑は上座の座布団を蹴飛ばして、床に這いつくばった。
「御館様。なにをなされまするか」
 懸命に体をあげようと両肩を持ち上げるが、義鑑はびくともしない。
「義鎮は大友の家を継げるような男ではない。塩市が愛おしいだけではない。義鎮が家督を継ぐようなことになれば、恐らく他の連中は豊後を奪おうと躍起になるはず。義鎮が今のまま家督を継げば、何も出来ぬまま大友の家は消えるであろう。それを防がねばならんのだ」
 義鑑はすがっていた。豊後を治める戦国大名の姿である、と誰かに見せたとしても、その者は全く信じなかったであろう程の醜態であった。
「とにかく、面をお上げくださいませ。御館様は豊後大友家の当主であらせられる御方。みだりにそのような醜態を見せてはなりませぬ」
 義鑑は落ち着いて、上座に座った。
「確かに、義鎮様のいじけようはそれがしの手に余りまする。しかし、嫡男を差し置いて御三男であられ、しかも御正室様のお子でもない塩市丸様を当主を据えるとして、家臣にはどう説明されるおつもりでありましょうや」
「義鎮の日頃の所行については皆が知るところである。それを堂々と本人の前で言い聞かせればよい。……丹後、そちを加判衆に加えたのは儂だ。頼む、諾と言うてくれ」
 加判衆とは大名家において評定会議などに列席する、わかりやすく言えば家老や宿老といった大名家の中でも影響力の大きい役職である。古参であったり、あるいは当主本人を古くから支えてきた重臣たちが任命されることが多い。親誠も、その一人である。
「……わかりました」
 苦悶の表情を浮かべながら、そう答えるのがやっとであった。

 義鑑がそれほどまでに義鎮を忌み嫌った理由は、今となってはわからない。正確に言うと、これといった大きな分岐がないのである。義鎮は幼少からその不遇といえる境涯にあって、人格形成が多少歪んでいるのは前述のとおりであるが、それは大なり小なりどこにでもある話で、さしたる大きな影響はないであろう。ほかに考えられるのは、義鎮の血筋である。義鎮の母親は周防の一大勢力であった大内氏から来た者で、当時の大内氏は長州と北九州を支配下にしていた。後、家臣である陶晴賢によって衰亡し、毛利家によって滅亡するのだが、義鎮はその大内氏の血筋を引いているのである。その大内氏と激戦を繰り返した義鑑にとって、義鎮が家督を継ぐことは大内氏にすり寄るかもしれない、と考えたのかもしれない。
 いずれにせよ、義鎮がたいへん複雑な性格になっているのも、義鑑が廃嫡を目論んでいるのも、その血筋が根本にあるとすれば、それは滑稽な悲劇と言わざるを得ないであろう。
 その義鎮が大友館に久方ぶりにやってきた。
 館内に緊張が走ったが、義鑑は共が少ないことを聞いて、
「よかろう。会おう」
 といった。
 義鎮は傍らに戸次鑑連という、角ばった顔に出っ張った両目という異相といえる共をつれていた。戸次鑑連とは、後の立花道雪である。
 二人はあたりを警戒しつつ、案内されるままに義鑑のいる広間に向かった。
 広間には親誠の姿はなかったが、義鑑付の家臣が数名居並んでいて、上座に義鑑が座っている。
「義鎮、まいりました」
 義鎮は中央を進み、広間の中央あたりで座り、両拳を床につけた。鑑連は義鎮の二歩ほど後ろに下がって、同じように礼を取っている。
「よう来た。で、何用だ」
「つきましては、すこしお暇をいただきとう存じまする」
「暇乞いか。で、どうするのだ」
「近頃、また体が思わしくないようで、別府にてすこし養生を」
 義鑑は少し訝しい表情になったが、すぐに
「よかろう。ゆるりと湯治をして参れ」
「それにつきまして、今一つ」
「なんだ」
「臼杵鑑速と吉弘鑑理を連れていきとう存じます」
 義鑑は渋った。義鑑にとってこの二人は扇の要と言える存在である。無論、それは義鎮にとっても重要この上ない二人である。
「鑑連がおるではないか。一人では不安と申すか」
「いかにも」
 鑑連は出目金のような大きな目をひん剥いたまま微動だにしない。仁王が睨み付けているようであった。義鑑はこの鑑連の目が苦手であった。ゆえに、義鎮にいるときは安息していたが、ほかの二人まで連れていくとなると、義鑑は大いに不安を感じていた。
「他の二人は置いていけ」
「では、当人にお尋ねいたしましょう」
 鑑速と鑑理の二名はすでに控えていた。
 義鑑は最後の最後まで渋ったが、押し切られる形で許可を出すと、義鎮らはすぐに別府に向かった。

 大友館に残った義鑑と親誠は、すぐに塩市丸家督相続の為の密謀を始めたが、
「御館様、おやめになるのなら今のうちでござりまするぞ」
 親誠は、最後の説得を試みた。
「今更、変えられるか」
 義鑑は怪訝な顔で、親誠をにらんだ。
(事ここに窮まれり)
 親誠は漸く腹を決めた。
「義鎮が湯治におる間に事を進めねばならん。その為には、義鎮の側近を調略せねばならぬ」
「は、それがしを除いて、斎藤播磨守、小佐井大和守、津久見美作守、田口蔵人佐の四名にござりまする」
「丹後、この四人を説得できるか」
「御館様の御直々とあらば、あるいは」
「では、手配をいたせ」
 親誠はすぐに上原館に向かった。
 すでに夕方になって、薄暗い府内の道を走っている。
 上原館には四人のうち、斎藤播磨守と小佐井大和守の二人が残っていて、ほかの二人はその場にいなかった。
「丹後、どうした」
 ちょうど、酒を体に入れ始めていた二人は、親誠の思いつめた表情をみるなりそういった。
「すまんが、酒を置いて来てくれ。御館様から重大なお達しがあるのだ」
(お達し)
 という言葉を聞いて、二人の頭には漠然とした、それでいて勘付いた不安が駆け巡っていた。
「……わかった。行こう」
「他の二人はどうしたのだ」
「知らん」
 小佐井大和守は即答した。実は二人がどうしているかは把握していたのだが、このどうにもこびりついた不安をして、親誠に伝えるのを憚らしめたのである。
 二人を従えた親誠は、そのまま館の広間に入った。
「播磨、大和」
「重大なお達しがあるとのことで」
「実はな」
 といって義鑑は切り出した。二人もある程度の予測はついていなかったので驚きはしなかった。
「どうだ。ついてくれるか」
 二人は端坐しなおすと、われらの主君はあくまで大友義鎮様でござりまする、喩え天地の理が変わろうとも、これは譲れませぬ、ときっぱり言った。
「どうしてもか」
 二人、無言。
「仕方あるまい」
 というのが義鑑の合図であった。抜刀した武者連中が、二人を取り囲んでいる。義鑑が顎でしゃくってみせると一斉に斬りかかってきた。
 二人は刀を引き寄せ、抜刀せぬまま数人を何とか打ち負かすと、そのまま庭に出た。
「必ず殺せ」
 義鑑の顔はすでに人間のそれではなくなっている。
「丹後は、丹後はどこだ」
 二人が口々にわめくが、すでに丹後の姿はなく、声が空しい月夜に消えゆくのみであった。何度も何度も叫びながら、美作守は腕といわず足といわず大小の傷を負い、播磨守も衣服がすでにささらのようになっている。髷は散らかり、両目は充血している。息も荒い。
 刀を抜く暇もなく、乱刃の中を潜り抜けようと試みたが、美作守は腹を割られ、播磨守も誰のものかわからぬ一閃によって額を割られた。両者とも即死であった。
「上原館に行け。残る二人を説き伏せ、さもなければ斬れ」
 
 上原館に残っていた津久見美作守と、田口蔵人佐は帰ってこぬ二人に苛立っている。
「どこに行ったのだ、あの二人は」
「近くにおるかもしれん。探してこよう」
 田口蔵人佐はそういって松明であたりを探していると、大友館の方角からいくつもの松明が見えた。
「美作守」
「いかがいたしたのだ」
「こちらに軍勢らしきものがきておる」
 何、と美作守は館の二階にあがってあたりを探った。すると、松明の一団が館に向かって唸りを上げているようにして走ってくる。
「美作守。表門を直ぐに閉めさせよ。裏門から出るぞ」
 上から聞きつけた蔵人佐は館の者に命じた。
「義鎮様にはどうやって伝えるのだ」
 二人が悩んでいると、
 ―― それがしが行こう。
 二人はその姿を見て安堵した。
「佐伯殿。義鎮様にはついて行かれなかったのか」
「行きそびれたのだよ。だが、それが幸いした。貴殿らはどうなされる」
「恐らく、ここに来たという事は二人に何かあったのは間違いないであろう。佐伯殿はこのまま我らと共に裏から出、別府に向かってこの事を義鎮様にお伝えしてくれ」
「お二人はどうなされるのだ」
「われらはこのまま大友館に参る所存。二人の無事を確かめねばならん」
「それでは、御二方とも無事ではすみますまい」
「ゆえに、おぬしに頼むのだ。どのみち、このままでは斬り死に必定。ならば、このまま斬られるよりも一言御館様に言上申し上げる次第。ささ、早う」
 三人は裏手門に回った。すでにそこまで手勢が押し寄せていたが、山林の中を通りながらどうにか手勢を撒くと、二手に分かれた。
 蔵人佐と美作守は手勢が上原館に手間取っている間に大友館に潜り込んだ。
 庭先にはすでに骸になっている二人を見つけた。無念の眼差しが月を刺している。二人はそれぞれの目を伏せさせ、整えると大友館の二階に上がった。
 二階では、塩市丸とその母である阿蘇の方、さらに侍女が一人と、義鑑が眠っている。
 蔵人佐はまず塩市丸を探した。今回の騒乱の原因は塩市丸にある、と踏んでいたからである。そしてそこには必ず阿蘇の方もいる筈である。
 蔵人佐の読みのとおり、二人は隣り合わせで眠っていた。
『御覚悟』
 阿蘇の方の耳のそばで蔵人佐がささやくと、脇差をゆっくり抜いて、阿蘇の方の胸に突き立てた。目を大きく見開いた阿蘇の方であったが、そのまま絶命した。
 異変を察知したのは侍女で、すぐに金切声をあげた。
「しまった」
 蔵人佐は侍女の口をふさいで脇から右乳房の下にまで貫くように突き立てた。
 すでに塩市丸は起きていて、茫然とあたりの惨劇を理解できぬままに眺めていたが、母親の亡骸をゆすると現実を漸く理解したと見えて声をあげて泣いていた。蔵人佐はその塩市丸の背中を刺し貫いた。塩市丸は母の亡骸にかぶさるようにして死んだのである。
 義鑑は異変に気づき、佩刀を持って寝間着姿のままで阿蘇の方の部屋に向かった。
「なんだ、これは」
 義鑑の顔が青ざめている。恐怖とも、憤怒ともつかぬ形相であった。
「蔵人、おぬしがやったのか。何故だ」
「御館様のお目を覚まさせるにはこの方法以外に見つかりませなんだ」
 蔵人佐は淡々と答えている。
「おぬし一人か」
「いえ、美作守もすでにおいででございまする」
 何、と振り向いた。大和守の鼻先が今にもくっつきそうなほどの近さであった。
「美作」
「何故、二人を殺したのです」
「儂の命に背いたからだ」
「では、丹後殿はいかがなされたのですか」
「丹後は儂の言う事に従ったぞ。おぬしらも、大友の家臣なれば、下知に従え」
 義鑑は佩刀を抜いて、二人に迫った。
「従わぬとあらば、斬る」
 といって構えた。二人は刀をおさめた。
「そうか。ならば、そのままにしておれ」
 義鑑は大上段に振り上げた刀を蔵人佐に向かって振り下ろした。蔵人佐は片膝を立て、突き出すようにして義鑑の鳩尾に頭をつけると、そのまま一気に抱え込みながら組み伏せた。
「謀反じゃ、出あえ」
 振り絞るように義鑑が叫んだ。下から不規則な足音が聞こえてくる。
 二人は飛びのいた。
 駆け付けた家臣たちは事態に驚いた。
「ぐずぐずするな。早う討ち取れ」
 今度は狭い二階での乱戦となった。二人は覚悟を決めた。
 壮絶な斬りあいは、大人数である義鑑側が有利であったが、狭いところに大人数で臨んだためにかえって互いが邪魔になり、同士討ちを誘う場面が何度かあった。
「義鑑様、御覚悟召されませ」
 乱刃の中を潜り抜けた美作守が義鑑の肩から脇腹までを割ったが、絶命にまでは至らず、結局美作守と蔵人佐は惨殺されたのである。

 佐伯惟教は別府に着いた。馬がへばってしまって倒れこんだ。
「義鎮様」
 義鎮は鑑速らと共に近くの川で捕った魚を焼いていた。
「惟教か。そのように息を切らせてどうしたのだ」
「実は、大友館で不審なる動き有之。小佐井大和守様と田口蔵人佐様が大友館に向かわれました」
 義鎮は何ら表情を変えず、鑑速に
「具足もて。すぐに府内を安寧にせねばならん。……惟教はすまんが、先陣きってくれい。すぐに向かう」
 義鎮はいつもの粗暴者とは全く違う、当主にあるべき風格が具足からはみ出ていた。佐伯は別の馬を用意して、すぐに府内に戻った。
 府内の大友館ではすでに四人の死体の処理が終わっていて、義鑑も虫の息という有様であった。
「父上」
 義鎮は甲冑姿で義鑑と対面した。義鑑は何かを言いたげであったがすでに言葉にできる体力を保持していない。
「二人にしてくれ」
 義鎮が鑑連に促すと、鑑連は仁王のように家臣たちを睨み付けた。すごすごと家臣たちは二階を下りていく。
「父上。義鎮でござる」
「……義鎮か。貴様。……」
 義鑑は怒りと苦痛に原形をとどめぬほどに顔をゆがめてい何かを呟いている。義鎮が顔を近づけ、それを聞き届けようとした。しばらくすると、義鎮の表情が変わった。顔色をなした、といったほうがいいかもしれない。義鑑は言い尽くすと、言葉にならぬ笑いを発して、事切れた。
「皆を呼べ」
 二階から降りてきた義鎮が命じると、鑑連が釣鐘を割ったような声で家臣たちを一階の広間に集めた。
 惨劇の後はすでに拭っていた。
「突然の事であったが、かたがついた。大友家の総領は今日から儂が預かることになった。父が死に、塩市丸亡き後、この大友の本家を継ぐのは儂しかおらん。そのことは、父上も最後に認めてくださった」
 一部の家臣から怨嗟の声が上がったが、鑑連が立ち上がって睨み付けると、すぐにおさまった。
「これは父、大友義鑑の遺言でもあるのだぞ。言い分あらば、この場にて堂々と述べよ」
 義鎮の姿はすでに乱暴者のそれではなく、大友氏を背負って立つ、国主の姿であった。
「それで、親誠はどうした」
「分かりませぬ」
「分からぬとはどういうことだ」
「斎藤播磨様と津久見美作様が襲われた時に、逃げたのではないか、と」
「そうか。……恐らく、この一連の首謀者は入田丹後守親誠であろう。すぐに探索せよ」

 その親誠は、すでに府内を抜け、肥後に向かっていた。岳父である阿蘇惟豊を頼ったのである。
 すでに姿はやつれ、一見すると夢遊病者が徘徊しているように見えるほど、かつて大友家の重臣であった姿は掻き消えて無くなってしまっている。
 阿蘇氏の本拠である浜の館に着いたのは二月の末であった。着の身着のままの為、衣服はすり切れてもはや着ている場所を見つけるのが難しいほどであり、草履も地面に鼻緒がすがっているような有様であった。
「入田親誠でござる。ご開門」
 という力も弱弱しく、蚊が体当たりをしたほうがまだ気が付くくらいであっただろう。
 表門が開くと、親誠はそこに倒れてしまった。
 親誠は館の客間で目が覚めた。すでに衣服は改められ、膳の用意もあった。
 親誠は膳を見て、観念したように笑った。
(死ねという事か)
 親誠は名残惜しさを残さぬよう、膳を片付けた。
「せめて、一度だけでも岳父殿に会いたいのだが」
 恐らく監視付であろう小姓に願い出た。
「しばらくお待ちくだされ」
 小姓は誰かを呼び出して言い届けると、果たして惟豊が現れた。
「婿殿。とんでもないことになったのだぞ。すでに義鑑様は傷が元でお亡くなりになり、代わって義鎮様が後を継がれた」
「し、塩市丸様はどうなられました」
「塩市丸様は、母者と共に葬られ、荼毘に付されたそうだ」
「悔しくはございませぬのか」
「悔しいも何も、阿蘇は大友と共にあるのだ。反逆者を生かして益があると思うか」
「しかし、それでは」
「そもそも、そこもとは義鎮様の守役ではなかったのか。それを裏切ってさらにおめおめと生き恥をさらそうとは。裏切ること自体をどうこういうつもりはない。だが、主君が道に外れよう時は、喩えそれが命を失うものであったとしても、諫言して止めるのが家臣の務めであろう。その為に家臣は死ぬのだ」
「……」
「このままでは、大友の家にあらぬ疑いをかけられる。己の所行を悔い改めるためにも、自ら進退を決めよ」
 そういうと、惟豊は静かに立ち上がって、部屋を出た。
 親誠が自決したのは、それから間もなくの事であった。

 義鎮は、阿蘇惟豊によって送られてきた親誠の首実検を行った。
「馬鹿者が。なぜ、俺の内心を分からなかったのだ」
 なくわけではなかったが、心なしか声が震えていたように聞こえた。
 すでに上原館を引き払って城代を置き、義鎮は大友館に移った。とはいえ、凄惨な事件現場である二階は封鎖し、一階部分を少し普請をして広げようと縄張りを考えていた。その中にあっても、義鎮の目線は常に肥後にあった。
 肥後の菊池義武である。義鎮にとっては叔父である。
「必ず動く。あの阿呆はな」
 そういって確信を得ていた義鎮は、すぐさま知られぬように軍容を整えた。
 果たして、「混乱」に乗じて義武はうってでた。
 まず、肥後の国人衆を素早くまとめ上げると鹿子木氏の居城である隈本城を接収に近い形で奪取した。すると、今度は大友氏傘下にある阿蘇氏に手を伸ばし、豊後侵攻を始めたのである。
「叔父とはいえ、ここまでの阿呆とはな」
(父上が悩むのも無理からぬ話よ)
 義鎮は、義鑑に同情した。
「すぐに軍勢を整えて、阿蘇を救援する。容赦はするな」
 先陣を佐伯惟教が務め、戸次鑑連を実質的な総司令官としながらも、この戦には義鎮自身が総大将として赴いた。
「これが、俺にとっての初陣だ」
 そういっては義鎮は笑っていた。これまでにない、満面の笑みであった。
 とはいっても、戦国の時代においては菊池は名門とはいえ名ばかりの存在に成り果てていた。家臣の統率が十分ならず、そもそも大将としての器量や能力において雲泥の差があった以上、勝負はひっくり返るはずもなかった。
 程なくして、戦は決着がついた。犬を追い散らすような戦であった。
 この四年後、菊池義武は亡命を画策するが果たせず、和睦を餌につられて豊後に向かう途中、義鎮の軍勢に囲まれ、自害に至る。このことで、鎌倉以来の名門でああった菊池氏は、歴史から完全に消失し、復活することはなかったのである。
 その中にあって、鑑連は義鎮の本陣を訪ね、
「初陣、おめでとう存じまする」
 といって茶目っ気に頭を下げた。
「うむ。これで、なんとか心の溜飲が下がったわ」
 義鎮はそういって酒を注いだ。鑑連にも酒を注ぎ、二人は乾杯して飲み干した。

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