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小説/女優の子 五


司水菫 二


近所に不気味などもがいた。
いた──というより最近見掛けるようになった児で、歳のころ四つ五つほどの女の児だ。心当たりはある。たぶん森沢のおばさまの娘だ。

森沢のおばさまは同じ丁目の三日月眼みかづきめをした上品な身なりの奥様で、ちらほらと白髪の混じり始めた髪を丁寧に撫でつけ耳隠しに整えていた。きれいではあるのだが、新品のまま箱の中で長年眠っているうちに古びてしまった人形のような印象のある人だった。
森沢のおばさまは由緒ある家柄の出らしく、婿養子である旦那さんと二人で暮らしていたが、五年ほど前に旦那さんは病で亡くなられた。
その森沢のおばさまが先ごろ養女を迎えたのだと、噂に聞いた。

我が家近くの神社に、側に続く山林に、家々を縫う道にとその女児をふと見掛けた。大抵カラカラと下駄を鳴らして、興味の赴くままこの辺りを散策しているようだった。
見掛けるうち、噂に聞いた森沢家の養女だろうとなんとなく当たりが付いたのは、女児があまりにもおばさまの趣味の具現化そのものだったからだ。
その児はいつも上等な生地の着物を着せられて、真っ直ぐ揃えて整えられた髪に、隙のない化粧を施されていた。
ファウンデーションは、どうしても覆い隠すのだ。
あれはどう上手に塗っても透明水彩のような役割は果たさない。肌の色をあまねく均一化させ、上気した頰も、まぶたの白んだ繊細さもまるごと覆ってしまう。
だから今度は消してしまった血色感を補うためにさらに頬紅を加えたり目元に表情ニュアンスを足したりする。なんと無駄で人工的な加工なのだろう。
その加工を年端もいかぬ、学校にも上がらぬ幼い児が施されていると、本当に桐箱から出した市松人形が出歩いているような様子に見えてどうにも人間味がなかった。動く筋でも見れば、なんとなくこの児が生きている人間だと安心出来るような気がしたのだけれど、彼女の素肌の大半は布地に覆われているし、そもそもふくふくとやわらかな児どもの身体は筋が目立たない。だから余計にお人形のようで、私は密かにこの女児を不気味がってしまうのだった。
時折おばさまに呼ばれてお邪魔するお茶会も、正直憂鬱だった。
森沢のおばさまは近隣に住む若い娘たちを招き集めてお茶会を開くのが好きで、私も百合や椿と共によく呼んでいただいた。
おばさまの、あまりにも娘たちに対するその可愛がりようが独特で蝶よ花よと褒めそやすので、私たちは密かにその集いを“蝶や花やちやほや倶楽部”と呼んでいた。
いつもは気乗りしないその蝶や花や倶楽部に週末呼ばれて断る気にならなかったのは、その女児の件があったからだ。



「アラ、マァ、お二人共しばらくお見掛けしないうちにこんな賢げなお嬢さんになられて」
出迎えてくださったおばさまは水飴のような声でそう言って、きちんと縁取りをした唇で微笑まれた。お化粧からお着物から完璧で、びんの毛のほつれひとつない。けれど濃く引いたアイラインの奥の瞳は笑っているのだかどうだか、なんだかよく分からなかった。
百合と二人で森沢邸に訪ねて行った時刻には、呼ばれた他の娘はすでに揃っているようだった。手土産を差し出すより先、おばさまは待ちかねたように、ほら鞄を渡して頂戴、それから、と私の腰に手を添えて急かしてくる。待ってください、待って、と辟易していると、んもう、と明らかに不服げな顔でその手を退けられた。
前回呼んでいただいた時から一年経っていた。つまり、椿が居なくなってから初めての訪問だ。おばさまの気が高まるのも無理のないことなのかも知れない。
暗い廊下の突当たりの大きな応接室に導かれ、私たちは扉の奥へいざなわれる。
呼ばれていた他の娘たちは顔馴染みの律子さん、隣の組の秋子さん、お向かいの智世子ちせこお姉さんの三人だった。
空いている奥の席へ案内されて腰掛けるとおばさまは上機嫌でお台所の方へ姿を消した。
再びおばさまが入って来られたとき、上の空の百合とは正反対に、私はあっと上げそうになった声を呑み込んだ。
あの女児が幼いながらも慎重に、華奢なティーカップを盆に乗せて入ってきた。
今日の着物は生成り地に赤で、木の実をかたどったような柄が印象的だった。
目にした途端、不思議と急速にちぐはぐな線が繋がったかのように安堵した。やはりあの児は森沢のおばさまの養女で、毎日隙なく施されている化粧はおばさまの趣味なのだ。あの子本人が不気味というわけではなく。

厚くて重い前髪のすぐ下のつぶらな瞳が、躊躇いがちに私の顔を覗いた。
初めてその子の顔を間近に見た。白目がわずかしか見えないほど黒目がちな、おとなしそうな女の児だ。

「縁故の子をお迎えしたのよ。みおといいますの」

椿、と思った。どうしてだか、私はそのとき椿を強く感じた。




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