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『春になったら』

春になったら、どこかへ行こう。

春になったら。
春に、なったら。


今年の冬は、一日を生きる事が難しい。
毎日、毎時間、楽しい時間の中にさえ
頭のどこかに、死が張り付いている。

寝つきの悪い布団の中で、思考の迷路に右往左往。
我慢できていた事ができなくなって人も傷つけた。
仕事への影響も増え、明日どうなるかわからない。

無茶な飲み方をした帰り道。
電車のホームで、涙が溢れて止まらなくなった。
「もういいか」「終わりにしよう」
『今なら、飛び込める』不思議な確信があった。

だけど
『死ぬ前に、必ず連絡して』
友達との約束が脳裏によぎった。
約束をしてしまった、連絡しなければ。
重い指先をなんとか動かして連絡を入れる。
すぐにつかない既読にほっとして顔を上げると
もう電車がホームに着いて扉を開いていた。

メッセージを打っている間に機会を逃したのだ。

溢れて止まらない涙のまま電車に乗った。
足元の暖房が、やけにあたたかくて息苦しい。

生きるか死ぬか、こんな大事な事でさえ
追い詰められないと決められない。
私はダメな奴だ。

足を引き摺るように、家までの道を歩く。
暗い部屋、冷たく重い布団に飛び込んで泣いた。

ああ、いつからこんな嫌な奴になったのだろう。
いつからこんな、何も出来ない奴に。
いつから、どうして、何故、どうしたら。

楽しく笑っている時でさえ、頭の中に虚無がいる。
垂れ流す映画の映像や、他人の人生に感情移入して
中身のない自分の時間を埋めようとしている。

どれだけ他人の人生に寄り添おうとしたって
私の中には、何もないままなのに。

………。

今朝、いつも通り目を覚まして仕事を始める。
掃除も洗濯も最低限すぎて目を向けるのも嫌だ。

先日の診察で、半年間、世話になったカウンセラーを変えることになった。
最後のカウンセリングで話した内容に、私は打ちのめされた。
私が話したかった事と、カウンセラーの方向性の違い。向き合う手順の説明を、初めて受けた。
体調悪化を、カウンセリングのせいにしていたのではないかと、突きつけられた深層心理。
畳み掛けるように言葉を重ねるカウンセラーに怒りやら悲しみやらを覚えて、自分を守るような言葉を必死で重ねた。
最初から、信頼関係が築けていなかったのだ。
私は彼女を信頼できていなかった。
それをやっと口にした。

「状況的に良くなっていると思います」
「このまま続けるべきだと思うけど」
「カウンセリングを続けるかどうか、一度考えてみてください」
「続けるなら、私は受け止めますから」

最後に次の予約を取らずに終わった。
精神科医の先生と話して、カウンセラーを変える事が決まった。
帰り道で始めて、カウンセリング後なのに胸のつっかえが取れたような、すっきりした気持ちに気づいた。

それと同時に、これまで続けた時間。
積み上げていた途中だったのかもしれない関係性。
次の予約を取らない事に、まるで捨てられたような感情を抱いた。こいつはダメだと言われてるようで悲しくなった。

今はこれでよかったのかわからない。
次の先生が良い相性か分からないし
最後のやりとりで、心理士というものに対して
少し疑心暗鬼になっている自分がいる。

状況は本当に良くなってるのか?
分からないまま、パソコンに向かう。

まだ続くだろう、辛く厳しい冬。
一日を生き延びる事が難しい。

ふと、思考回路が擦り切れたように止まった。

視界の端に映った窓からの日差しが
妙に柔らかく、暖かく見えたのだ。

「春になったら、どこかへ行こう」

止まった脳内に、そんな言葉がふと浮かんだ。

1日を生きる事が難しい冬。
今日無事に生き延びれるか、分からないけど。
春まで生きれたら、どこかへ行こう。

今は、もう、何をしても、ダメだ。

何を考えようとしても、決めようとしても
どこへ行こうとしても、きつくて辛い。
きっとこれからのカウンセリングも、仕事も辛い。
数分後にはまた自分はダメだと責めるのだろうし。
今夜だって辛くてきつくてしんどいのだろう。

うん、ダメだ。無理だ。諦めよう。

「春になったら」

行きたい場所も思いつかない。
行くタイミングも、今は考えられない。
でも、春になったら、どこかへ。

どこでもいい、どこかへ。

実家への帰り道に見上げた寒空。
乾いた枝の先の先に膨らむ蕾を思い出した。
私もあの花も、その花弁がどんな色なのか
咲くまで知らないままだろう。

春になったら、どこかへ。

合言葉のように、胸の中で呟く。

春になったら。
春になったら。

思考停止、久々にできた気がする。

少しだけ、胸の中があたたかい。

大分日が傾いてきた。
カーテンを閉めて、お湯を沸かそう。
コーヒーを淹れたら、あと一仕事だ。

うん、考えるの一度やめよう。

春になったら、どこかへ行こう。


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