偶然が生んだ製法?100年の歴史の中でピンチを救った看板商品 ひざつき製菓株式会社(後編)
今回のものづくりインタビューは、栃木県栃木市城内町にあるひざつき製菓株式会社です。『「美味しい」の裏側で挑み続ける。その美味しさの秘密とは? ひざつき製菓株式会社(前編)』では、工場潜入レポートと製造部長 谷島さんのインタビューで美味しい米菓づくりの秘密に迫りました。
後編では、ひざつき製菓4代目で営業部門の部長、膝附 宥太(ひざつき ゆうた)さんにひざつき製菓の歴史と今後についてお聞きしました。
ーー来年で創業100年ということですが、その歴史の中で時代の変化に合わせて変わってきたことなどはありますか?
初代はリヤカーで売り歩くせんべい屋からスタートしました。当時は栃木市内だけでも100何社というせんべい屋があったらしいです。第二次世界大戦の時は食糧法によって自由にお米を加工することができなくなったので蕎麦製造などをしてカバーしていたと聞いています。
ーー蕎麦ですか!乾麺などを作っていたのですか?
そうです。戦争が終わり、せんべい屋に戻った時には実質的には2代目が営業活動や経営的な部分をやっていました。
それから約50年前にだんごの小売店である『武平作』もスタートさせました。せんべいは作る工程の中でお米をだんごにするところがあるんですが、「せんべいを作っているからおだんご屋さんもできるよ」と、だんご製造機械屋さんにそそのかされて、半ば強引に機械を買わされてだんご屋を無理やりスタートしたんです。笑 そこからだんごとかあんみつとか、そういう和生菓子もやるようになったんです。
ーーそんな過去があって、おだんごの方はスタートしたんですね。
それが50年くらい前の話で、私が生まれた30数年前には一度会社が倒産しかけて毎日銀行が来ていたらしいです。そんな中、米菓業界大手のメーカーさんの下請けをするようになり、なんとか会社として存続することができました。25年ほど前にえびせんべいがヒットしたことで借金は返すことができ今に至るわけですが、その会社さんに下請けをさせてもらえたことはすごくメリットがありました。米菓業界一番の会社の製造管理システムや品質管理の考え方、そして、いわゆる「イズム」というものが弊社にも入りました。弊社の製造の根幹はその会社さんのお陰ということもあるかもしれません。
ーーおせんべい屋さんというのは土地柄多いんですか?
そうですね。栃木県や茨城県などの北関東エリア、そして何より米処の新潟県に多いです。せんべいの発祥は『草加せんべい』で有名な埼玉県の草加市なので、埼玉県も多いですね。でもいま業界の売り上げの7割は、新潟勢の大手4社が占めているんです。新潟県は県をあげて米菓産業を育成していきました。いまの大手4社が中心となって米菓製造を「職人が手焼きでつくる自営業」から、機械を使って工場で大量生産する産業へと成長させてきた歴史があります。
看板商品の「ヒビ」割れ製法の秘密とは?
ーーひざつき製菓の独自の製法というものはありますか?
40数年前に発売して今も看板商品である『城壁(じょうへき)』という商品があるんですが、城壁には表面にヒビが入っています。そのヒビを入れる技術がうちの唯一の技術です。今となれば他の会社でもできなくはないんですけど、入れたい深さのヒビを入れる技術は、他社には真似できないうちだけのものです。
ーーそうなのですね。生地に型などを押しつけてヒビの形をつけていくというような感じですか?
いえ、まずはやわらかい団子を薄く延ばして型抜きしたものを乾燥させます。通常のおせんべいはそれをそのまま焼くのですが、城壁は焼く前に、表面にだけ水分を与えるんです。そしてそれを冷却することによって、ヒビが入ってくるんです。乾燥した冬にお風呂に入った後、すぐに保水液で保湿しないと肌がパリパリになりますが、それと同じ原理だと言われています。
ーーヒビをつけているというわけではなくて、ヒビ割れさせるということなんですね。さっきおっしゃったヒビの深さはどうやって調整するんですか?例えば水分量であったり温度であったりでしょうか。
水分量や温度、どっちもですね。それ専用の機械があります。
ーーそれはおせんべい屋さんだったらどこでも持っているような機械なんですか?
いえ、うちしか持ってないと思います。他社さんでも多額の投資をして機械を導入したこともあるみたいですが、あまりうまくいかなくてやめてしまったそうです。
ーーなるほど。他社でうまくいかず、ひざつき製菓ではうまくいった理由はどこにあるのでしょうか。
現場担当者の経験、知識、そして何よりも品質に対する執着心だと思います。ただ機械にかければいいというわけではなく、そのときの気温とか湿度などを加味して数値を微調節します。それはヒビ入れに限らず、米菓を作る上ではどこの工程でも共通した部分です。
ーー『城壁』に限らずせんべいでヒビが入っているものはたまに見かけることはありますが、作り方的には一緒なのでしょうか。
作り方も若干違っていて、他社のものだと水にせんべいをつけて濡れたまま焼くという方法もあります。弊社の方法だとそれよりもプラス1日くらい余計に時間が掛かるのですが、食感に大きな違いがでます。
ーー食感ですか。
同じヒビ入れに見えても、醤油などのタレを染みやすくするためのヒビ入れもあります。弊社の場合は、ヒビを入れることによって、周りがカリカリして中がソフトな食感になって、堅焼きとソフトの良さを合わせ持った独自の食感を作るためのヒビ入れ工程なんです。
スポーツが大好きな4代目 膝附 宥太さん
ーー小さい頃はどんなお子さんでしたか?
スポーツが大好きで、子供の頃からスポーツばかりやってました。小学校のときは水泳、陸上、駅伝、野球、サッカー、一時期は相撲もやりました。
ーーそんなにたくさん!?それはご家庭の方針とかご両親が熱心にスポーツをされていたからとかですか?
いえ、小学校5、6年生の時の担任がスポーツにすごく思い入れのある先生で、小学校でやっていた部活には全部兼任で入ってしまったという感じです。笑 メインは野球で、それ以外にも夏はほぼ毎日水泳、それがない時は陸上、そして冬は駅伝という感じです。野球は帰宅してからの自主練だけでなく、土日も練習と試合をやっていました。相撲はわんぱく相撲みたいなのがあって、市の大会や県の大会に出ていました。高校では硬式テニスをやって、今でもガッツリ大会に出ています。
ーーちなみに小さい頃からおせんべいはよく食べていたのですか
せんべいは、たまに両親が持ち帰るものを食べていたので、他の家庭よりもよく食べていたかもしれません。でも、それ以外のお菓子はほとんど家になく、お菓子は友達の家に行ったら食べられるものという感じでした。今はお酒も好きですが、食べるのも好きです。新しいお店や美味しいものの情報を見つければすぐに食べに行きたいと思いますし、コンビニのデザートで新商品が出たらほとんど買っていますね。商品開発という仕事にも役立つかなと思っています。
新しい工場の中を見たくて、職場体験は父親の会社を選んだ
ーー子供の頃は家業に興味はありましたか?
小さい頃から会社にはしょっちゅう来ていました。当時の営業部長に可愛がってもらった記憶もあります。事務所にはよく来ていましたが、工場には気軽に入ることができなかったので、中学2年生のときの職場体験では、家業である自分の父親の会社を選びました。当時新しい工場に引っ越してきたばかりだったので、中がどうなっているか見てみたかったんです。包装部で一日仕事の体験をしましたね。
ーー将来ひざつき製菓で働くことは意識していたんですか?
親に強制されたことは一度もありませんでした。小学6年生の卒業文集では『将来先生になりたい』と書いていたので、その時は意識してなかったと思うんですけど…中高生くらいになると「この会社に入る」という気持ちがあったと思います。そして大学に入学するタイミングでは、新卒1社目は他の会社に就職しても、最終的にはひざつき製菓に戻ってくるということを決めていました。
ーーそれで実際に卒業後は別の会社に入社されて、どんなお仕事をされていたんですか?
1年半くらい飲食店のトータルサポートをする卸の会社で、主に肉部門のルート営業をしていました。東京の上野浅草エリアをトラックで1日50件くらい配送をして、休憩時間などに飛び込み営業をしていました。
ーー家業に入られる際は、将来的には自分が会社を継ぐというのは覚悟の上で入社されたという感じですか?
そうです。
ーー家業に戻られてからすぐの時は、どんな業務をされていたんですか?
最初の1年は栃木県内でおだんごや生菓子を販売している『武平作』の事業の方で、地場の小売店への営業を担当していました。武平作は栃木県内にターゲットを絞っているので希少性が高く、小売店にとっても店頭に置くのはメリットになります。そこに対しての営業を担当していました。
営業と製造は対等。現場にも情報共有できるようにしたい
ーー家業に入社されてこの8年間で特に印象に残っていることやワクワクする楽しい瞬間というのはありましたか?
そうですね。共同作業で商品を作っていくのですが、基本的には製造部長の谷島が中心となって商品の中身を作り、私はパッケージなどをデザイン会社さんと打ち合わせして作っています。そうやってみんなで一緒に作った商品が売り場に並び、更にそれがかなり売れたという実績があがると、それを達成した瞬間というより、一緒に作ってきたメンバーに「売れましたよ!」と報告して盛り上がる瞬間が一番楽しいです。
ーー商品開発のメンバーはチーム感が強いんですか?
商品開発部はなく、製造部と営業部が一緒に作っていくという感じなので、めちゃくちゃ仲がいいかもしれませんね。普通、製造と営業って揉めるじゃないですか。笑 でも、弊社は営業と製造が極めて対等であり、情報交換を包み隠さずするというのが強みであると思っています。
ーーなぜそれができていると思われますか?
目標設定が一緒だからだと思います。経常利益10%という目標のために、製造と営業が密に情報交換をして工場稼働率100%を目指しています。80%なら赤字になってしまいますし、120%なら人が足りず現場の負担が増します。製造も営業も、稼働率100%にして利益を出すという構図が共有されているため、どちらかが無理をして利益を出すことはありません。同じ目標に向かって協力することができています。だから全然縦割りじゃないです。
ーーその目標を共有するために会社でやっていることはありますか?
週に1回の幹部会をはじめとして、役職や部署ごとにいくつか打ち合わせ、情報共有の場を設けています。ただ、そういった会に参加しているのは班長や主任クラスが多く、まだ現場のプレーヤーまでは行き届いていないので、そこは中長期的な課題ではあります。目標や課題が現場のプレーヤーまで浸透すれば「何で急に1,000ケースも作らなきゃいけないの?」という現場のストレスがなくなって、お互いにより気持ち良く仕事できるのではないかと思っています。
ーー現場との情報共有をしていくために、例えば何か新しいツールを入れるなど、イメージされていることはありますか?
最近は『ひざつきジャーナル』という壁新聞を作って「いまこんなことをやっています」というのを社内に発信しています。今後も掲示物をどんどん増やしていって、現状をまず社内に伝えていくという社内広報をやっていこうとしています。
全ての中心は美味しさから発信されている。その価値をわかってくれる人に届ける
ここからは膝附さんと谷島さん、そして芹川さんもご一緒に商品開発についてお伺いしていきます。
ーー新商品をやるとなった時の社内の決裁などはどんな感じなのでしょうか。
膝附さん:正直、こんな商品が出ました!と後出しで社長に言うこともありますが、金額が大きい重要な案件はもちろん事前に共有します。でも通常の提案や開発の範囲内であれば、社長の目はそんなに気にしてないですかね。
谷島さん:いや、俺はちゃんと気にしてるよ!
(一同笑)
谷島さん:さっきも言いましたけど、幹部も少ない人数にして縦割りにしすぎないようにしているということもあって、とにかく決定に関してはスピーディなんですよね。最近は芹川が加わって新たな味とか要求が何倍にも増えましたね。笑。
芹川さん:そんなことないですよ!
谷島さん:そんなことあるよ!笑 真面目な話をすると、PB(プライベートブランド)商品のところを芹川がやっていて、彼が他社の営業に行った先でお客さんの話を色々と拾ってきてくれるんです。
ーー商品開発を始められた当初と現在の変化みたいなところを詳しくお伺いしたいのですが、例えば商品開発のために機械を入れたとか、新しい体制を作ったとか、そういう変化はありますか?
谷島さん:ほぼないですね。開発に対してのお金というのは(膝附さんと芹川さんに向かって)あんまりかけてないもんね。まあそこはないんですけど、私の製造の技術的な部分でいくと、だいぶ変わっていると思います。本当に突然、商品開発を任されたので、当初は何の知識もなかったんです。
ーーそれは大変でしたね。
谷島さん:本当にどうしたらいいかわからなかったんですが、購買の業務で付き合いのあった仕入先の会社に来てもらって、ここのホワイトボードに調味料の味のデータとか商品の特徴とかを書いてもらいながら色々とレクチャーしてもらいました。それで教えてもらった原理原則的な部分を組み合わせて、どうしたらこんな味の出方にできるかということを徐々に試していきました。いまではどんな味をつくりたいかという新商品のイメージを営業から言われたときに、材料はこれとこれとこれっというのと、それをどこにお願いすれば何が揃うというような部分まで全部頭の中に入ってます。
ーー味付けに関するバリエーションのことから調達のところまで、すぐに出せるということなんですね。
谷島さん:はい。醤油だけでも10品くらいあって味の出方が全然違うんで、この商品にはこういうふうな醤油の方が合うだろうなとかがあるんですよね。
ーーそうやってだんだん知識もついて経験も重ねてやってくいくうちに、商品開発に対する気持ちとか意欲みたいなところは変わっていきましたか?
谷島さん:はい、1番の分岐点というか、喜びのピークとなったことがありました。6〜7年前に都心部を中心に展開しているある高級スーパーの新店舗開店のイベントで実演販売をやったんですが、それが爆発的に売れたんですよ。1日目は膝附が行って2日目は私が行って、すごく疲れたんですが、商品の説明をして目の前で食べてもらって美味しいって言って買ってもらえた瞬間、それがすごく嬉しかったんです。
1袋400円くらいするかなり高額な商品をカゴいっぱい買ってくれているのを見て、やってよかったというか、もっと美味しいものを作りたいなっていうスイッチが入ったっていうか。あ、元から入ってるんですけど(笑)、もっともっと思いが強くなりました。
ーーそれまでそういう手売りというか、直接お客さんに目の前で食べてもらって売るという機会はなかったのですか?
谷島さん:ほぼないです。大きなスーパーで売り子さんに売ってもらったというのはあるんですけど、それだとお客さんの声は私たちまではなかなか入ってこないですからね。
ーー商品開発としてこれからやってみたいことはありますか?
谷島さん:新しい商品のこともありますが、生地に関しては社内では既に製造が飽和状態になっているので、製造をアウトソーシングしてもいいと思っています。あとは、米菓でも米菓じゃなくてもあまりジャンルに縛られずにいろいろなことをやっていきたいです。結果的に“ひざつきだからうまいものができた" というのであれば、営業も社長もそれは良しとしてくれますので。
ーーひざつき製菓の付加価値を商品づくりに反映していくために、現場の方にもお伝えしているビジョンのようなものはありますか?
谷島さん:それは単純明快で、うちの社長も常々言葉の頭につけるのは「美味しさ」。『美味しいものをつくっていれば食いっぱぐれがない』と言っているので、私たちも仕事の一つひとつに対して「これは美味しさに向けてやれているのか」という視点で物事を考えるようにしています。人海戦術での味付けも、それが美味しさに繋がらないのであればもちろんやらないですし、全ての中心は美味しさから発信されているということですね。…ってデカいこと言っちゃった。笑
芹川さん:大袈裟ですよね。笑
膝附さん:だから私たち営業側は、製造側がそうやって美味しさを大前提で作ってくれたものを、その価値をわかってくれる売り先とお客さまがいるところに売るということが仕事です。
谷島さん:うまいと開発としてもラクできるし。あとはもう、やっぱりうまいと売れるもんね。
膝附さん:そうですね。美味しいと継続して売れるので、結果的に長続きするんですよね。
下請けで培ってきたスピードとノウハウを武器に次の100年へ
ーー最後にこれからどんな会社にしていきたいですか。
膝附さん:簡単には倒れない会社にしたいです。弊社の強みは、コンビニエンスストアみたいな2万店舗ぐらいのところからスーパーマーケット単体のオリジナル商品まで、幅広い商品提案ができることです。そしてそういったOEMやPB(プライベートブランド)商品の依頼があったときに、柔軟に対応できる工場の体制を持っているということです。いまは米菓とスナックがメインですが、お客さまの要望をスピーディーに具現化できるようになっているのが強みで、そのノウハウと向上力というのはやっぱり強いなと思っています。
そこをもっと極めていくことによって、食いっぱぐれがなくなるだろうと思っていますし、そのノウハウはその他のカテゴリーにも活かせると考えています。その強みをもっともっと尖らせて横展開することによって、最終的に安定した会社、強い会社になると思っています。
(「美味しい」の裏側で挑み続ける。その美味しさの秘密とは? ひざつき製菓株式会社(前編))
あとがき
取材に訪れたのは2022年8月の終わり頃、平日でしたが工場のお隣にあるカフェスペース付きの武平作の店舗『武平茶屋』にはファミリーや女性同士のグループがたくさんいらっしゃって、それぞれに和菓子を囲んで和やかなひとときを過ごされているようでした。インタビュー前にその店舗の下見に行き、美味しそうなお菓子の数々を「終わったらあれとアレを買おう!」と楽しみにチェックしていた編集部でしたが、無念にもお目当てのものは買えず、、。2時間半ほどのインタビューの間に、ほとんどが売り切れていました(涙)。
膝附さんに伺うと、夏休みに限らず普通の平日でも人気の商品や生菓子はほぼ売り切れてしまうそうです。
落胆していた編集部でしたが、インタビュー後に夏季限定の行列ができるかき氷やお団子などを特別にいただくことができました(感涙)。
栃木県内、もしくはオンラインでも限られた商品しか購入できないお菓子は、その希少性だけでなく、ただただとても美味しかったです。
もしまた行くことができれば、今度は必ず取材前に購入することを心に固く誓って工場を後にしました。(ものづくり新聞 編集部 井上)