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【短編小説】シトロエンも泣いていた

#短編小説 #ショートストーリー #失恋 #シトロエン

毎月1日は小説の日という事で、本日もつたない小説を
掲載させていただきます。
本日は約2000文字です。
お時間のある時にお読みください。

シトロエンも泣いていた

車も体も震えていた

僕は国道のセーフティーゾーンに車を停めた。
彼女の家からの帰り道、
もう運転が困難だと判断した。
僕は、なんとかセーフティーゾーンへ、
車を滑り込ませることができた。
左側は山の斜面だった。
僕はドアが開かないくらいギリギリまで、
車を寄せて停めた。

僕の車は左ハンドルの、
シトロエンBX。
彼女を最初に車に乗せた時、
凄い凄いと、
ハンドルがない右側の席ではしゃいでいた。
ワインディングロードのカーブでも、
ロールしない助手席で、
いつもニコニコしながら、僕を見つめていた、
瞳がとても眩しかった。

僕とシトロエンBXは、セーフティーゾーンで
うずくまって、震えていた。

さくらの花弁は彼女の胸の中に

彼女が、
「最後の晩餐にいきましょう」
そう言って僕を誘ったのは、
4月の初めだった。

遅咲きの桜が今にも花びらを手放しそうな
季節だった。

僕と彼女は桜が咲いた遊歩道を歩いていた。
そよぐ風の中
いく片かの花びらが舞っていた。

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彼女はVネックのニットを少しだけ膨らませた。
「ねぇみてみて」
そう言って、
桜の花びらを自分の胸の中に取り込んだ。

淡いピンクの花弁は、静かにゆれながら、
スローモーションのように彼女の胸の谷間の中に
消えていった。

彼女は桜の花びらを取り込んだ胸に手を当て、
目を閉じ、じっとしていた。

桜の花びらと一緒に、時折ふくそよ風に、
彼女の長い髪と香りが揺れていた。

僕はそんな彼女のしぐさ、一つ一つを、
胸の中に焼き付けていた。

最後の晩餐

僕らは夜景の見えるレストランに居た。
車で来ていたので、二人ともノンアルコールだった。
僕らは出会ってからの事、
会社帰り、山奥の公園で、
夜密会していた事等を話した。
一瞬一瞬の思い出をかみしめるように、
ゆっくり、そして静かに時間が流れていった。

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シトロエンBXはいつものように、アスファルトに
頬を付けそうな車高で待っていた。
イグニッションキーを回すと、むくむくと
起き上がるように、アスファルトから車を持ち上げた。

「この車、やっぱりかわいいね、生きているみたい」

彼女は笑っていたけれど、僕は笑っていなかった。
彼女と一緒に居られる、
タイムリミットが迫っていたからだ。

彼女の家までの1時間、
僕らはあまり会話をしなかった。

いつも二人で通ったラーメン屋の角を曲がると
彼女の家がある。
僕はハンドルを左に切った。
彼女の家まで、5秒、3秒、
僕はハザードランプを出して止まった。

彼女は、
「じゃぁね」
そう言って右側のドアを開けた。
僕は何も言えなかった。

彼女が回りこんで、左側の窓を叩いた。
僕はパワーウインドーのボタンを押した。
彼女は一瞬笑って、
僕の唇に自分の唇を押し当てた。

5秒、7秒
僕の頬に暖かいものが流れていた。
彼女も泣いているのだとわかった。
この唇を離してしまえば、
また時間が動き出してしまう。
どうか時間よ止まったままでいてくれ、
そう願っている自分がいた。

気がつくと彼女が微笑んでいた。
僕は、ありったけの笑顔を作って

「元気でな・・」

やっと絞り出した言葉だった。

止まらない涙


視界がまったく見えなくなった。
僕は運転できない程涙を流していた。

それでも、何とかセーフティーゾーンを探して、
シトロエンBXを停めた。

涙は流れ続けていた。
嗚咽はやがて、大きな声に代わっていた。

人はどうしてこんなに泣けるんだと思う程
涙を話していた。
そして流れる涙の中に、
さっきまでの彼女の表情と唇の感触が
蘇っては消えていった。

5分、10分・・・
30分は車のシートに持たれて泣いていた。
時折すれ違う車のヘッドライトが、
シトロエンBXの中を照らしては、
通り過ぎていった。

助手席からは、彼女の香りに交って
桜の花の香りがした。
よく見ると、花弁がひとひら、
助手席に落ちていた。

彼女の
「ねぇみてみて」
の言葉と映像がフラッシュバックしていた。

シトロエンBX、16バルブのエンジンも
時々息をするようにアイドリングしていた。
それはまるで、
シトロエンBXも、
一緒に泣いてくれているようだった。

終わり

本日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
皆様に感謝いたします。

編集後記

※シトロエンBXはハイドロニューマチック
 サスペンションを搭載し、車の高さを変えられるのです。
 通常の車のようにコイルスプリングが入っていないため
 数時間放置すると車の高さがだんだんと低くなります。
 エンジンをかけると、オイルがサスペンションにいきわたり
 むくむくと車体を持ち上げるのです。

私はこの車が好きなんですよね
ただ、最近のシトロエンには
ハイドロニューマチックサスペンションは
採用されておりません。
残念・・・・

4月は出会いと別れの季節ですね。
今回は別れのほろ苦さをちょっとだけ
切り取りました。

4月、新学期が始まります。
過去の思い出と経験を胸に、
新たな世界へまいりましょう。

サポートいただいた方へ、いつもありがとうございます。あなたが幸せになるよう最大限の応援をさせていただきます。