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つゆ

紫陽花の季節。

久しぶりに都内の劇場で演劇を観た。団長は養成時代の先輩。公演間際に突然、封書が届き、手文字で「いらして下さい」と書かれていた。お世話になった人だ。直ぐにチケットをお願いすると、嬉しそうなメールが返って来た。

公演当日は所用があって遅くなり、駅からタクシーで向かった。すると会場の入口に良く知る人物の姿があった。もちろん、先輩ではない。先輩は出演者だ。入口にいるはずもない。

互いに「わぁ!」と声を上げたものの、「久しぶり!」と言われる訳でもなく、感激の表情を浮かべるでもなく、

   「どっちから来たの?」
私「タクシーで来ちゃった」
 「自宅から?」
私「うぅうん、〇〇駅」

と、まるで昨日まで会っていたかのような会話をした。いや、本当は「元気?」「元気よ」「どうしてる?」「変わらないね」「あなたも」・・・な~んてね。会えて嬉しいわ~!とまで至らなくても、にこやかなお久しぶり感で満ちると思っていた。いや、寧ろそれが普通だから(笑)でも、現実はそうではなかった。

それもそのはず。この人は5年程前、私の前から忽然と姿を消した人物だった。それ以前、15年間に渡って私の人生をサポートして下さった人。そして、命の恩人。私は、今も感謝している。


受付でチケットを買い、客席へ向かう。いつもなら案内するであろうその人は、そこに姿がなかった。きっと振り向けば、さっきの入口に立っているに違いない。でも、引き返す理由がない。私は振り向かず、真っ直ぐに歩いて客席に着いた。

オンタイムで開演。先輩は、ほぼ出突っ張りの役どころだった。本来、生真面目で二枚目気質の先輩が、コミカルな三枚目を演じていた。これは・・・色んな意味で大変だったろうと想像する。見事に演じ切っていた。

舞台美術が得意な劇団なのでセットも素晴らしい。木の温もりと細やかな仕掛けがあり、観ていて飽きず楽しい。ライティングも華やかだ。更に、劇伴の選曲がとてもお洒落で、一層切なさを演出する。約1時間半、とても良い舞台だった。

公演が終了し、ホールを出た。キャストは衣裳と化粧を施したまま全員で観客を見送る。スレンダーで背の高い女性が「ありがとうございました!」と頭を下げた。「お疲れ様です。楽しかったです」と応えると「あ、ありがとうございます!」と嬉しそうな笑顔を見せた。目と目が合った脚本家にも「ありがとうございました!」と言われた。「楽しかった」と伝えると、にっこりと笑いながら「それは良かったです!」と応えてくれた。

見送りのキャストが多く、ひとりひとり確認しながら先輩の姿を探す。

あ・・・いた!

先輩は女性陣に囲まれていた。声、掛けにくいかも・・・と思ったら「来てくれてありがとうございます!」と向こうから声を掛けてくれた。久々に会ったが、やはり二枚目で、稽古の苦労話などを聞かせてくれた。いや、先輩と言っても一回りほど歳下と言う恐ろしい事実(苦笑)。

程なくして、隅っこで手を振る人がいた。
あ、逃亡犯!いや、失敬、失敬(苦笑)。

   「前に観たでしょ?思い出さない?」
私「う~ん・・・」
   「初演は⚪︎⚪︎劇場、来たでしょ?」
私「・・・・・・」

そう、この公演は再演だった。初演を観ていないはずはない。先輩には「思い出した」と伝えたものの、やはりそうでないような…。劇場名を言われても思い出せず、後で場所と入口の写真も確認したが、記憶は甦らなかった。

私「素敵な劇伴だったわ」
   「初演後(あなたに)CDを頼んだの、
      覚えてない?」
私「そう・・・だった・・・っけ?」

全く記憶になくて、首を傾げた私。その人も同じ方向に首を傾けた。何もかもの記憶が見事に欠落していた。そのうちその人は、額を真っ赤にして説明し始めた。ご機嫌を損ねた事が一目で解った。あ〜マズイ、と思った瞬間、

「そういう事です!!」

ピシャリ言い放ち、プイと横を向いてしまった。いったい何をそんなに不機嫌になっているのだろう?その人は、二度と私を見なかった。訳が解らず、何だかムカついた私は「解りました!失礼します!」と冷淡に言い残し、くるりと背を向けた。

・・・私には記憶がない。

・・・正確に言えば、一部の記憶がない。

それはとても大切な思い出だった。でも、その思い出を抱えていては生きて行けなかった。大切過ぎたのだ。それが不思議な事に、長い年月の中で、その記憶だけがそっくりと消えてしまっていた。そんな事があろうはずがない!誰もがそう思うだろう。けれど、事実なのだ。人間の頭は都合の良いように出来ているものだ。まるで無かったかのように綺麗に消えている。でもそれは本望ではない。私の意思でもない。神の仕業か、宇宙人の仕業か、それとも母の仕業か。

いや、違う。この3年間、仕事で300人以上と名刺交換し、様々な職種の人と交流して来た。皆、今日を積み重ねて明日を生きていた。上を目指す人々は、5年後、10年後のプランをしっかり練っている。過去に縛られていては前に進めない。取り残されてしまう。私は、この時から過去を振り返るのを止めた。止めたら、記憶ごと消えてしまったのだ。


私が去り出すと、背中から「ありがとうございました!」と一層大きな声が聞こえた。その人の声。しかし、私に言ったのではない。他のお客への感謝だった。

な〜んだ!ちゃんと言えるじゃん!

「お待ちしてました」
「来てくれてありがとう」
「ありがとうございました」
「またいらして下さい」

私も客のひとりだ。
どれも私には皆無って、どういう事??

全て忘れてしまった記憶が原因なら、また今日をゼロとしてリスタートすればいい。簡単なことだ。記憶がないのだから過去を責める心配もない。と言うか、もうとっくにそんな気持ちもなければ、第一、そんな暇もない。それに、どんなに切りたい縁でも、切っても切れない周囲の繋がりがある。ならば大事にしたらどうかしら?人として、何か大切なことを忘れてないかい?

大人になろうよ、お互いに。
いい大人なんだから、お互いに。
再会に期待した訳ではないが、
正直、がっかりしてしまった。。。

どうやら私は、無意識に肩で溜め息を付いてしまったらしい。すると後ろから、慌てて階段を駆ける足音と同時に大声が飛んで来た。

「あーりーがーとーございましたー!!」

驚き振り向くと、先輩の姿があった。

「秋の公演にも来て下さい!待ってます」

優しい笑顔・・・

泣きそうになった・・・





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