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東日本大震災の体験談から思う、災害発生時の広報担当の役割とBCP(事業継続性計画)の重要性(1)

最近、日本各地で地震をはじめとする災害が多くなってきています。
地震速報が流れると、2011年3月11日の東日本大震災を思い出します。
当時、私は、大手外資系の消費財メーカーの広報責任者をしており、赤坂周辺のオフィスに勤務していました。

その日は、経済産業省の記者とのブリーフィングを予定しており、地震発生直後は、タクシー移動していたことを今でも思い出します。

すでに、12年前のことであり、当時広報の職に就いていた方は、現場を離れたり、転職したりしている思いますので、自分の体験談が皆さんの災害時の広報の動きのサポートになればと思います。

自らの体験談をもとに、当時の外資系企業のBCPと広報の動きを時系列で、かいつまんでお話しします。

地震発生直後から当日夜までの動き
14:46
地震発生の直後、オフィスビルは、横に大きく揺れ、社員はデスクの下に避難していました。
地震が落ち着くと、当時のオフィスが22階と23階に位置しており、まず行ったのは、全社員のビルからの避難。ここまでおよそ、20分以内で完了。

15:30
これは、もともと、BCPを作成したこともあり、すべての社員(危機管理委員会を除く)を全員退避させ、安全確認し、そのまま、帰宅させています。
直後に、ビルの安全が確保(近代的なビルのため、倒壊の危険がないと判断)された段階で、危機管理委員会を社長室に発足(社員の避難と同時)。

まずは、社員の安全と、その後の家族の安否確認を並行で行い、社員の安全が確認できた段階で、自宅へ帰宅させています。
(遠方の社員の場合には、もともと契約をしていた近くのホテルへ避難させ、翌日帰宅の指示)

危機管理委員会の判断と広報の動き
15:30-17:00

当時、情報が錯綜する中、危機管理委員会は、BCPに基づき、本社組織を大阪オフィスにその日のうちに移動
22:00
代表取締役社長、副社長、本部長クラスの危機管理委員会メンバーを大阪にその日の夜のうちに移動させています。

これは、東京並びに東北エリアに対して、当時、原発問題があり、外資系の会社ということもあり、各国の大使館からの情報に基づき、危機管理委員会の判断で、即日移動を開始しています。

大阪オフィスに到着前に、様々な情報(1. 原発の状況、2.経団連の動き、3.大使館の動き、4.官邸の動き、5.記者からの情報)を広報が分析し、危機管理委員会に上げ、即断として、危機管理委員会メンバー並びに広報責任者以外の出勤の2週間停止と、家族優先の指示をその日のうちに指示しています。
加えて、食糧確保と、水の確保を、被災していないエリア(近畿以西)に指示し、最低一週間分の食料と水の確保を指示し、大阪オフィスに社用車で納品することまで、当日に完了しています。

併せて、被災したエリアに関して、被害状況の把握、けが、行方不明の確認等を行い、翌日午前中までに全社員の安全の確認、2親等内の安否の確認が完了しています。

広報責任者としての役割
ここで重要になるのは、広報の情報収集能力と分析能力です。
特に、情報が錯そうしている中で、どの情報を信頼し、危機管理委員会に上げるかということ。

外資系企業が一番気にするのは、安全性。これは、社員、家族の安全と、ビジネスの安全性の側面から分析します。

特に、公共交通機関、電気、ガスをはじめとするライフライン。
加えて、飲料水や食料など、社員が必要と思われる物資の確保を優先します。

また、この時に気にしたのは、情報の精査と情報ソース。
私が行ったのは、広報責任者間のネットワークと記者のネットワークのマッチング。
外国の大使館の情報は、外資系のためリアルタイムに入手でき、その情報と官邸の発表内容、各記者クラブ(特に経済産業省、国土交通省の記者クラブ)それと総務省記者クラブの旧知の記者から具体的な発表内容や方針をマッチングさせ、記者には、各国大使館の方針の情報を与え、コチラは、国内の情報を入手するといった、ヒューミントなどを行っていました。
危機管理委員会へ上げるだけでなく、広報の見立てを添えて、情報の精度を高めたことを思い出します。

こうして、広報責任者として、情報を吸い上げ、危機管理委員会へ提供するということを、2週間続けていました。

次回は、具体的な手法や広報の動きとその後まで、詳しくお伝えします。


















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