沈む前に
人は良いこと悪いことも、色んなしがらみがあってその重さで生きている。
もしすべて手放したら。
一体、どれほど軽くなれるのだろうか。
私は、私が持つ全てのものを手放すことに決めた。
まず、欲を失くした。
これから全てを手放そうとするものが一番持っていてはいけないものだ。
次に、プライドを捨てた。
面倒にしかならないのでせいせいした。
すると相互作用で、嫉妬も消えた。
嫉妬できるということは、まだ自分に期待がある場合だけだ。
欲もプライドもない自分に、嫉妬する資格もない。
そして、憎しみを忘れる。
忘れてはいけないのは与えた側であって、与えられた側が忘れることになんの支障もない。どんなに腹を立てても意味がないことが多すぎる・・・
もう、いいんだ。
友人と縁を切った。
元々そんなに多くいたわけじゃない。
今じゃ疎遠だった友人の連絡先をメモリから消した、それだけだ。
住んでいた家を手放した。
家族には別の家を用意した。一生そこに私は住むことがない家を。
家を出る、とはわけが違う。戻る家がなくなるのだ。
それと同時に、家族も手放した。
こんな自分と一緒にいるべきではない、そう思えば冷酷になれた。
そして財産全てを家族に託した。
最後に残ったのは、この「私」自身。
でも「私のもの」はもう何もない。
「私の身体」だけだ。
そんなものになんの意味もないし、簡単に捨てられる。
臓器売買などの利益献上を含まない、人体そのものから採取できる成分、肉体を素材として利用価値のある物を生成したその値段は、せいぜい六千円くらいしにしかならない。
・・・と学生の頃に聞いたことがあった。
何の授業だったか、ある教師が問いた「人間っていくらになると思う?」
という唐突な質問に「お金になんて計算できない」という模範解答をした私には、それに対する答えがあまりにも衝撃で今でも覚えている。
そう、人という価値は個体ではなくその中身にこそある、
という話の前置きだったのだろう。
私はまさに、それを身をもって証明しているわけだ。
ここにいる私は、たった六千円程の人間、、
違う、物なのだ。
・・・いや、まだだ。
私は勝手に頬を流れる涙を手で拭った。
喜びは、手放し始めてから一切なくなり自然と私の中から消え去った。
もちろんこの行為が楽しいわけでもなく、日々そういったものからは遠ざかっていった。
だが、私にはまだ、この涙を生み出す感情が残されている。
これを捨て去るのが、一番難しい。
感情は、自分から勝手に湧いてくるものだから。
最初から持ってなど生まれてこなければ、こんな苦労はないだろう。
全て手放して、軽くなったか?
軽くなっていく筈なのに、このどうしようもない感情というもので重くなっていくのを見ないフリをしてここまできた。
嗚呼、こんな感情がしぶとく残った私が本当に全てを手放すとしたらやはり・・・
――♪
突然、携帯が鳴り響いた。
ビクっとした。
何故なら、こんな自分に連絡をしてくる相手なんてもう私にはいない。
メモリがすべて消去された携帯の画面を見る。
もちろん、番号しか出ていない。
でも私はこの番号を知っている。
ずいぶん長い間、出ることに躊躇していたにも関わらず、
着信は鳴りやまない。
どうやら、私は捨てきれていなかったらしい。
「・・・もしもし」
受話器の向こうから聞こえた声に、私が捨てた筈のものが一気に私に流れ込む。
そして、不思議とそれは、手放した時よりずっと軽くなってゆくのを感じた。
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