"アンナ・イン・ワンダーランド"―ショートストーリー
ずっと前に書いたのですが、どう〆たらいいかが思いつかず。
このまま腐ってしまいそうなのでアップしてみます。
***
あー、寝坊した。もうやんなっちゃう。
ベッドの目覚まし機能が調子悪いのは分かってたんだけど、放っておいた私が悪いんだけど…まさか久々の出勤日の今日に限って、そのツケが回ってくるなんて。
オートヘアセット機に当たる時間もない。赤みがかったブラウンのウェーブヘアを下ろしたままにして、とにかく着替えて部屋を出る。
「杏奈、いってらっしゃい」
ホームAIの声を後ろに聞きながら、エレベーターホールに向かった。
今の部屋、見晴らしはいいんだけど、エレベーターの乗換えは面倒なんだよな、と思いながら乗り込む。
ターミナル階で降り、ちょうど来たメトロ行きのカゴに滑り込んだ。
ふう。
今日は来週予定されてる局長の視察の打ち合わせなんだった。
メトロ階は…って、あれ?
これ違くない?もしかして・・・あー!やっぱり、AAホテル行きじゃん。
サイアク。遅刻決定。でもとにかく局長が来る前に到着しなければ。
どうしよう、ターミナル階に戻るにも、こっちは混んでるし…そうだ、ホテルのエレベーターを使わせてもらえば早いはず。
私はAAホテルのフロント階に到着すると、急いでフロアの奥へと向かう。
ここに越してくる前に泊ったことがあるから、大体の構造は分かってる。
最短距離で行くには、ここを曲がって・・・あれ?確かこの辺りにエレベーターが・・・
あ!これかな?エレベーター、あったあった。
ボタンを押すと、音もなく入り口が開く。急いで乗り込んで、階数ボタンを押そうとした。が・・・ない。ボタンがひとつもない。
背中でドアが閉まる。
どういうこと?私・・・また間違えたの?降りなきゃ・・・どうやったら開くの?
入ってきた両開きのドアはぴったりと閉じられている。そして何故かボタンが見当たらない。
はあ・・・。途方に暮れる。
ほとんど音もしないし振動も感じないけれど、かすかに動いている気配はある。
と、またいきなり音もなくドアが開いた。
視界が開け、緊張が解けて心底ほっとする。
あー良かった。閉じ込められたりしなくて。
急いで降りると―――。
「いらっしゃいませ、ダグラス様」
急に音が聞こえて、私はびくっとして固まった。
「只今、自動でチェックインがなされました。AAホテル最高のお部屋で、どうぞごゆるりとお過ごしください」
クラシック音楽のBGMと共に自動音声が流れ出す。
え?なに?今チェックインとか言った?
我に返ると、目の前にあるのは広々として、アンティークと思われる高級そうな家具や調度品に囲まれた、いつか写真で見たようなお城のように豪華な部屋だった。
ガラス張りの壁の向こうには、連邦庁舎までの景色が一望できる。
もしかして、ここがあのVIPルーム?
ダグラス様って・・・もしかして昨夜来日することになっていたX国のフレディ王子?
お家騒動で来日取りやめになったはずなのに、キャンセルされてないのかな?
まあ、あの国の混乱ぶりならあり得ないことじゃないかも。
・・・って、そんなことよりも。
これからどうしようかな。
もう局長も到着する頃だし・・・。
私は、せっかく目の前にある豪勢なソファにひとまず腰掛ける。
「あーーー」
そのままバタリと倒れこむ。
あ、すごい寝心地良い。さすが最高級品・・・。
そのまま眠りそうになる。
・・・いけないいけない。
なんとか目を開ける。
あ、ワインセラー。焼き菓子があんなに・・・。
目に入ったものに釣られて、のそりと起き上がる。
冷蔵庫がふたつも・・・。こっちはフルーツ盛りだくさん。こっちはドリンク・・・シャンパンも冷えてる?!わーーー。
私はたのしくなって、部屋を見て回った。
大きな窓のある大理石のバスルーム!思いきりゴージャスなバラの花束!
もちろんシャワーブースも!
このバスローブすごい可愛いんだけど!
***
「あーバブルバス最高・・・」
私は結局病欠にして、この状況を愉しむことにした。
一面ガラス張りになっていて、まるで空中でお風呂に入っているみたい。なんて開放感―――。
私は湯から上がると、バスローブに身を包み、シャンパンの栓を開ける。
テーブルには、夜のエステの予約確認書が置かれていた。
予約人数は二名・・・?あ、もしかして、恋人?日本人女性と付き合っているって噂を聞いたことがあったけれど、本当だったのかな。
夕食は勝手に運ばれてきて、どう言い訳しようかと思ったけれど何も聞かれることはなく、ありがたく頂いた。
夜はエステで体の隅々までツルツルにしてもらった。アロマもいかにも上質な香りで、うっとり・・・。
各国の映画もネットメディアも見放題だったけれど、日常に戻りたくなくて、私は夢見心地のままベッドで眠りにつくことにした。
***
なんだか幸せな夢ばかり見ていた気がする。
キィ――
ふと音が聞こえた。
・・・?
コトン。カッ、カッ――
誰・・・?あ・・・タカシが来たのかなあ・・・。
人の気配は近づいてきて。
私の髪を撫でる。
タカシったら、そんなに優しい仕草・・・。
頭にキスが振ってくる。
体は覚醒しておらず、じっとしていると、タカシがベッドに入ってくる。
どうしたのかな、来るなんて聞いてなかったけれど―。
布団に潜り込んできた恋人は、後ろから私を抱きしめる。
幸せな気持ちのままもうひと眠りしようとしたら。
タカシが私の首筋に唇を這わせる。
ちょっと、まだ眠いんだけど・・・。
もう少し寝させて・・・。
後ろから頭が回り込んで来て・・・口づけを受け入れる。
さすがに覚醒してきて、私はやっと、薄目を開ける。
「起きたね」
瞬間、何が起こったか分からなくなる。
「やっと会えたね、ミユキ。想像した通り綺麗だ」
「え?ちが・・・」
目の前にいたのは、彫りの深い外国人・・・フレディ王子だった。
Fin.
***
作中に出てくる"ボタンのないエレベーター"は、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』へのオマージュです。タイトルもですね。
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