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箱根神社とか鳥とかYUKIとか

ご無沙汰しております。
今年はアカウント名も変更し心機一転、作文をしていこうと思っております。
ひとつよしなに。

今さらだが、ぼくは39歳の独身男性だ。
ぼくは今、人生に必死になっている。
休みの日は欠かさず神社参拝。(はしご上等)
朝夕の瞑想。
「夢は叶う」と考え続ける。
ユニットバスなのに毎日お風呂にお湯をためる。
冬の間、食べ物に枯渇する野鳥のためにベランダに餌台を置く。
(鳥が好きなのだ)
そして今日は立春だから
掲載した写真の通り「立春大吉」という札を玄関に貼る、など
「幸せになろうと必死」こかせていただいている。

芸人を始め、色々な夢が潰えて借金だけが残った。
気づけば39歳になっている。
人生がイージーモードだった瞬間はない。
もうなりふり構っていられない。
本気で幸せになりに行くしかないのだ。
人生と刺し違える覚悟で。

そんなこんなで先日、箱根神社に参拝した。
占いで「ラッキーアクション:旅」と書いてあったからだ。
今は必死こいてるので、当然旅に出たわけだ。
暇さえあれば占いを見ているが、
とはいえ占いなんていい加減なもので
「ラッキーアイテム:チーク」などと言ってこられると
39歳借金男としては閉口してしまう。
そもそも「VOGUE」や「ELLE」の占いページを
熟読しているぼくが悪いのだが…。
いずれにせよ「チーク」と違って「旅」は
わりと実行しやすいアクションだったわけだ。

生まれて初めて「ロマンスカー」なるものに乗車した。
購入した指定席に向かうと
隣の席のスーツ姿の男性がノートパソコンで作業をしていた。
ぼくの席にはその人の荷物がガッツリ置いてあった。
「すみません…」と細い声を出すと
その人は舌打ちこそしないものの、
しかめ面でいかにも億劫そうに荷物を自分に引き寄せた。
ぼくは当日気持ち良いくらいの泣き寝入りをかましたわけだが、
ちょっと待ってほしい。
そこはぼくの席だから、ぼくが堂々と座っていいはずだ。
そもそもぼくの領土なのに
侵略した側が嫌々引き渡すのはおかしいだろう。
きっとぼくが謝ったのが悪かったのだろうな。
人は謝られると
「謝られたということは理不尽なことをされた」
と自動的に思ってしまうのだろうな。

序盤に書いたがベランダに「鳥の餌台」を設置した。
設置して2週間ほど経つが、鳥は一度も来ていない。
ただぼくは諦めておらず、まずはスズメに来てもらい、
ゆくゆくはが大好きな「ルリビタキ」という
青い鳥に遊びにきてほしいと思っている。
そんな思いを抱えながらメーテルリンク著「青い鳥」を
ロマンスカー内で読み始めた。
ほら、「ロマンスカー」だからね。
ファンタジックな世界観の作品を読む場所として
ふさわしいもんね。

「青い鳥」は「チルチル」と「ミチル」の兄妹が
クリスマスの夜に妖精と出会い
「幸せの青い鳥」を探しに行くというお話。
序盤で妖精の魔法により飼い犬が喋り始めるシーンで
もう泣けてきてしまった。
犬はご主人様であるチルチル・ミチルと話せることに
「ついにこの日が来た!ずっと話したかったんだよ!」と
大興奮するのだ。
ぼくも昔犬を飼っており、もう亡くなってしまっているが
一度だけ夢の中で話すという経験をしたことがあり、
思い出して泣けてきちゃったんだよね。

チルチル・ミチルが亡くなったおばあちゃんに
会いに行くシーンも泣けた。
生きているものが死者のことを思い出すときにだけ
死者は眠りから覚めることができるという設定になっていて
「あんたたちが私を思い出してくれたおかげで目が開いたよ」
なんていうシーンではたまらなくなった。

落涙したところを隣の席の男性に見られるのが嫌で
音楽を聴き始める。
歌姫YUKIちゃんだ。
「うれしくって抱きあうよ」というアルバムを
実家でニートをしていたときによく聴いていた。

YUKIさんは2005年に当時1歳と11か月だったお子さんを
突然失われるという体験をしており、
これは100%ぼくの勝手な解釈だが
お子さんのことを踏まえて紡がれた歌詞でないかと
想像してしまう歌もあり、
人生を棒にふることくらいしか能のなかった当時の自分の
心の拠り所となっていたのだ。
このCDのジャケは
YUKIさんが何かを抱きしめるようなポーズをした白黒の写真で、
とても素敵なのだが
誰を抱きしめようとしていたのかとか、
改めて何で白黒の写真なんだろうかとか考えてしまうと
結局落涙しそうになるので音楽を聴くのをやめて仮眠した。

小田原駅からはバスで芦ノ湖湖畔へ。
バスを降り立った瞬間、静けさがすごかった。
(平日だったせいもあるが)
町全体がミュートされたようで車の音もなく
ただ鳥の声と梢が揺れる音が聞こえることに
いきなり感動してしまった。
アホなくらい寒かったのも神々しかった。
「セラピーロード」という鳥が見れそうな林道を
どうしても歩きたく迂回したせいで、
結局箱根神社まで2時間くらい歩くことになった。

箱根神社で飲んだ甘酒の旨さを
今この作文を読んでいる方にも伝えられたらなぁって思う。
それは真冬、数時間歩いて寒さが痛さに切り替わる局面を
くぐり抜けてきた者が味わえる、ちょっと引いちゃうくらいの味だった。
命が喜んでる気がしたなぁ。
命のことあんましらねぇけど。

箱根神社の素晴らしさは、ぼくなんかが語る必要はないと思うので、
帰りに立ち寄った喫茶店の話をしたい。
そのお店は芦ノ湖から山の方へぐんぐん登っていったところに
ポツンとあるお店だった。
敷地内がちいさな森のようになっていて、
それこそ様々な鳥がよろしくピヨピヨやっていた。
旅の終わりに自分の理想の住処と出会うとはね。

店は10人とすこし入れるくらいの可愛らしいスペースで
外国人(のちにわかるがアメリカ人)の先客が2名いらっしゃった。
マスターは世捨て人感がありながらもお洒落な雰囲気で
すごくモテそうな様子がうらやましい。
「どこから?」と聞かれ「東京です」と答える。

箱根。
平日。
1人。
from東京。

これはわかりやすいくらい
「都会の喧騒に嫌気がさした人間が、山小屋で小さな気づきを得て帰る」
というストーリーではないか?
実際、幸せになるために箱根まで来たしね。
というか、そんなストーリーをこのマスターが期待しているのではないか
と思ってしまう自分がいるのだ。
このお店のコンセプトとして、都会に疲れた人を癒すみたいな世界観を
強くお持ちなのではないかと。
そして、そのストーリーを演じてマスターを満足させようとする自分。

そんなこと考えてるから生きづらいんだよ、とか考えているうちに
マスターがキッチンで昼食を食べ始めたので
マスターは絶対ぼくが考えていることを考えていないと思って
そこからは自然体になれた。
(ちょっと話したりもした)

静かな時間。
鳥の声。
柱時計の「チク」という音。
青い鳥。
YUKI。
サラリーマン。

なんだかぶわーっと意識が飛ばされそうになるというか
「ぼくはここでなにしてるんだっけ」という忘我の境地というか
なんだか気持ちよくなってしまっていたときに、
あまり好きな言葉ではないのだが
「一期一会」という言葉が浮かんだ。
おそらくもう二度と会うことはないだろうマスター。
2人のアメリカ人。
いつか今日のことを思い出すときがくるだろうか。

店を出る際「ちょっと庭を拝見していいですか?」とお願いした。
「ちょっと庭を拝見していいですか」
総白髪になる前にそんな言葉を発するときが来るとは思わなかった。
庭を散策すると「A男・B子結婚記念樹」というような札が立った
小さな木々が目に入った。
想像するに、マスターはお孫さん(ひ孫?)がご結婚されるたびに
木を植え育てていくことを記念としているようだった。
なんて素敵な言祝ぎ方だろう。
(言祝ぐ(ことほぐ)って言葉好きなんですよねぇ…)
こどもの頃おじいちゃん家に行くたびに
頭頂部の位置で家の柱に傷をつけ成長を祝っていた営みを思い出した。
傷は段々高くなっていったなぁ。

店内からは自分の姿が見えるはずだった。
このまま背中を見せていると
さっきの一期一会理論だと最期に見せた姿が背中になってしまうなと
今考えてもなんだそれ、と思うような思考に至り、
振り返って笑顔で手を振ろうと考えた。

少し勇気を出して振り返って手を振ってみた。
そのまま敷地を出ると清々しい気持ちになって
来てよかったなと思った。
店内は日の光が強く差し込んで人の姿が全く見えなかったけど、
最期の姿が光ってる姿なんてめちゃくちゃいいじゃないかと思ったのだ。


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