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1-9人の多くは金の奴隸である~現代語訳「金」by紋之助

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1-5 拝金宗の本義を理解せよ

金は世の人が争って蓄えようとするものである。
そしてその金集めの巧拙には非常に大きな差がある。
その巧みさを楽しんで金を良く集める人は
拝金宗の本義を理解していると言える。
見よ、人ができないことを成し遂げた時の愉快さを考えてみよ。
どんな快楽もこれには及ばない。
その成功した結果を楽しまずに、
その成功を得るに至ったことを楽しめ。
ボートレースの勝負を争う人は、
メダルそのものではなく勝利を欲するのである。
獲得したメダルは人にあげても構わない。
ひらすらメダルを得た勝利を楽しめ。
金を集めた成功を楽しみ、決して集めた金に執着してはならない。
集めた金は人に与えても良い。
ひたすら、その集め得た成功を喜べ。

1-6 守銭奴

しかるに、世には拝金宗の本義を誤解した、
俗にいう「守銭奴」なる者が多い。
守銭奴は拝金宗の信者であって、同時に賊である。
彼らは金を集めた勝利と成功を楽しまず、
集めた金にのみ向き合って楽しむ者である。
金に執着して、終生、金の奴隷になるのである。
この輩が集めた金を称して「死に金」と言う。
世に利益をもたらすものではない。

1-7 紀文大尽

紀文大尽(紀伊国屋文左衛門)は、拝金宗の本義を理解している者である。
そのはじめ、彼が商いで海に乗り出すや、
毅然として事に怖れず平然と生死の間を出入りし、
その間、私利のためには一生懸命に働かず、
一片の義侠心があり、常に人ができない事を成しとげて
巨万の富を重ねたのである。
その勇気と義心に私は深く感動するところである。
彼の晩年の所行は敢えて説明しないが
彼は成功を得ることを楽しみ、金に執着しないところは
すなわち彼が他の人と異なるところであって
紀文大尽の本領であると言うべきである。
私の感服に堪えないところである。
彼の晩年の散金法を言うこともできるが
凡人を超えた金に執着しない思想、その行為を
広く世間に知らしめ、賞賛すべきである。
彼が金を投じて人を助けた美談は枚挙にいとまがなく
人の敬愛を受けるのももっともなことである。
私が彼のことを「拝金宗の本義を良く理解した者である」と
断定した事について、真偽を知りたいと思ったら
彼の一生の歴史を研究することを読者に乞う。
私の言っていることが正当であることを知ると同時に、
拝金宗の本義への理解を得ることをこい願うのである。

1-8 金の勢力

金を称して「万能の神」と言う。
すでにその力の偉大なことは知るに十分である。
金は権利であり、生命である。
金がなければこの世では立ち行くことはできない。
人は言う。「学者は貧困の門より出づ」と。
何を言うか、金がなければ文明教育の一片だに受けることはできない。
教育だけではない、
すべてのもの、すべての事、いかに世は進歩したと言っても、
いかに世は発達したと言っても、
文明の光は金がない人の頭上を照らさず、
文明の恩沢は貧困者を潤さない。
人は言う。「医は仁術なり」と。
何を言っている、金が無い人は
人命を救う博愛の恵みを少しも受けることはできない。
いかなる発明、いかなる進歩も、
金がない人のためには何ももたらさない。
金がなければ文明の余沢を受ける事はできない。
金がなければ命を保つことも難しい。
ああ、何と金の力の偉大なことか。

1-9 人の多くは金の奴隸である

金の力は偉大であり、人はみなその前に平身低頭する。
金の意思に従い、東奔西走を強いられる。
もしその意思に従わず、思い勝手に
天に対して大言を吐く者があるとすれば
私は、それは少なくとも狂人でなければ偉人であると認めよう。
偉人はこの世には甚だまれであるが。
ただ、似て非なるニセモノの偉人はしばしばいる。
しかしその心の中は一層卑しむべきものがある。
ああ、ウジ虫に等しいこの人。
金に色気を出さない場合は怪しむ必要がある。

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「金」とは・・・
「金」とは、明治時代後期、現在のりそな銀行の前身である
不動貯金銀行を興した銀行家、牧野元次郎が著した本です。
およそ120年くらい前の書物です。
本書は、要するに、簡単に言えば
お金持ちになるためのノウハウが書かれているのですが、
驚くべきことに、その秘儀・秘訣は、
昔の今もほとんど何も変わっていないのです。

繰り返しますが、この本に書かれている内容は
現代でも十分に通用する内容です。
十分に読む価値がある本です。


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