もん

軽中度難聴の一児の母です。 補聴器なしで過ごしてきた幼少期のこと 補聴器ありで過ごして…

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軽中度難聴の一児の母です。 補聴器なしで過ごしてきた幼少期のこと 補聴器ありで過ごしてきた社会人のこと 育児中の現在に至るまでゆるーく難聴のことを書いていこうかなと思います^^

最近の記事

♯7 難聴児 高学年であった出来事 後編

きっかけは私がライのお手紙を見たときのこと。 私「ライの字、汚いね」

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    • ♯6 難聴児 高学年であった出来事 前編

      小学校の高学年で転校生が来て、家も近かったためかよく遊ぶようになり、時にはお泊まりもして、親友とよべるくらいとても仲の良いお友達ができました。 名前は「ライ」 ライは男女関係なく、誰とでも仲良くなる子でリーダータイプともいうのでしょうか? 気づいた時には私を含むライを中心とした女子グループができていたと思います。 6年生の委員会決めの時 クラスの男子「おーい。もん、ライが呼んでる」 私はライの方を見ました。 ライ「もんちゃん、一緒に書記やろう!」 私『私聞こえないから

      • ♯5 難聴児の補聴器なしでの授業

        「きこえない」と自覚してから、私はほとんど授業を聞いていませんでした。先生に聞くこともなく、お友達にも頼ることはしませんでした。 だって隠したいのだから。 でも、本を読むことは好きだったので、教科書や板書で理解しようとしていたかもしれません。 テストはすごく良くもないですが悪くもなかった記憶があります。 音読のとき、後ろの人の席の声はかろうじて聞こえるので、何番目に自分の番が来るか予想をしたり、後ろの席の人が教科書を読んでいる時に必死にどこを読んでいるか探したり。 と

        • ♯4 小学生のからかい

          普通でなければならない。 聞こえるふりをしてごまかしていく毎日。 一年生後半の休み時間に【それ】は起こりました。

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        ♯7 難聴児 高学年であった出来事 後編

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          ♯3 聴力検査のこと

          『普通でなければならない』 自分自身で決めてしまったルールに私はずっと縛られることになります。 補聴器をつければいいのでは?と思うかたもいらっしゃるかもしれません。 生まれてから補聴器をつけている環境が当たり前ではなかった私にとって、小学一年生から補聴器をつけることはとても恥ずかしいことだと思ってしまいました。 昔の補聴器は耳掛けが主流ではあったものの、肌色で大きく、ダサい。 音も今より性能が悪くうるさいだけ。 兄を見て育った私は、こんなのは本当に耳が聞こえない人がつけ

          ♯3 聴力検査のこと

          ♯2 難聴への気づき

          私は4人兄弟の末っ子で産まれ、早生まれの割には言葉も早く、赤ちゃんの時は平均的に育ってきたと母から言われています。 ちなみに上の兄はろう者で、聾学校に通っていました。当時は手話を使うことが禁止されていたので、家族とのコミュニケーションは全て口話でした。 ただ、兄が聾学校の友達と話す時は手話を使っていたので、手話の存在自体は知っていました。 そんな兄の存在があったので、母は私のことはこれくらいなら大丈夫と思っていたのかもしれません。 幼稚園の時の記憶はあまりありませんが

          ♯2 難聴への気づき

          ♯1 難聴のこと

          私は軽〜中度の難聴の一児の母です。 現在裸耳で低い音が40dbどんどん緩やかに落ちていって高い音が60dbくらい? (適当ですみません) 平均聴力が50db 補聴器装用効果ありの生まれつき感音性難聴です。 幼い頃は詳しい聴力は測っていないのでわかりません。変わっていないかもしれないし、今よりは良かったかもしれません。 高校生まで補聴器ナシ、療育や言葉の教室等もなく、普通学級ですごしてきました。 社会人から補聴器をつけており、口話のみ。手話は使えません。 手帳もなく、補聴器

          ♯1 難聴のこと