♯2 難聴への気づき
私は4人兄弟の末っ子で産まれ、早生まれの割には言葉も早く、赤ちゃんの時は平均的に育ってきたと母から言われています。
ちなみに上の兄はろう者で、聾学校に通っていました。当時は手話を使うことが禁止されていたので、家族とのコミュニケーションは全て口話でした。
ただ、兄が聾学校の友達と話す時は手話を使っていたので、手話の存在自体は知っていました。
そんな兄の存在があったので、母は私のことはこれくらいなら大丈夫と思っていたのかもしれません。
幼稚園の時の記憶はあまりありませんが、
「もんちゃんは私とあそぶのー!」
「私と遊ぶんだよー!」
と女の子2人に引っ張られてた記憶はかろうじてあります。
自分的には特に問題なく、難聴だと言う自覚もないまま、小学校にあがりました。
小学校入学後。
国語の授業が始まります。
そこで私は衝撃を受けます。
『1番前にいるのに先生の声が聞こえない‥』
補聴器もつけてないですからね笑
そう思っても授業はどんどん進みます。
「わかる人は手をあげてください」
「はい!はい!(自分以外の全員が手を上げる)」
私『うわー。他の人全員手をあげてる‥
でも質問がわかんない。でもみんな手をあげてるから手を挙げた方がいいよね。当てられなきゃいいんだけど‥』
私 恐る恐る手をあげる
先生 「それでは もん(私)さん 答えてください」
私「‥‥」
その後どういうやりとりがあったか覚えていませんが、とても恥ずかしく、屈辱的だったのは覚えています。
質問は教科書に登場する動物の名前とか、本当に誰でも答えられるような質問だったと思いますが、質問が聞こえていないからわかるわけがないんですよね。
全部が全部何も聞こえないと言うわけではなく、音自体は聞こえるけど、言葉としての聞き取りができない。所々しか聞き取れない。
母の声は兄のこともあり、聞こえやすいように大きすぎる声でハッキリと言っていたのと、家族だから聞き慣れていることもあり、困ることもなく、難聴という自覚もなかったのです。
本当は授業もしっかり聞いて手をあげたい。
でも聞こえない。
その現状にどうしたらいいか分からず、小学一年生から授業を聞くことを放棄する選択をしてしまいました。
あまりよく覚えていませんが、家に帰ってから母に聞こえ辛いという相談はしてたと思います。
その時の回答は補聴器つけるほどではないから大丈夫。あんたは耳悪くないよと問題を全て否定されてしまいました。
この頃って母の存在がとても大きくて、大好きだから嫌われたくない。母の望む方向に行きたいと思ってしまうんですよね。
幼いながらも、母は普通であることを望んでいるんだ。耳が悪い欠点は隠さなければならない。そう思ってしまいました。
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