見出し画像

メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集【サミュエルとの対話】を読んで。

 サミュエルとわたしがレストランで話をしています。といっても、ほとんどサミュエルが一方的に語っているといった感じで。この作品には、『男性』というものが色濃く表されていると、読み終えて思いました。男性の持つ、あまり好ましいとは言えない特徴と、そこに関わる女性の控えめな気持ち。瞑想と分析の違いを滔々と語るサミュエル。その演説全体に帯びる性質は結局のところ、『それ』ではないかと読者は言いたくなるのかも知れません。サミュエルは恋から愛への変容について、わたしに話して聞かせますが、つまりはそういうことなのでしょう。

 僕には、サミュエルの三つの姿が浮かびました(傾向的な男性の特徴については、ここでは泣く泣く放免にして)。その三つの一方の端は『実直』で他方の端は『悪漢』です。もちろん、可能性の濃淡はありますし、そりゃないだろうと自分でも思うほどの可能性ではあります。しかし可能性はゼロではなく、それが物語を読む時のおもしろさと想像力のおかしさではないですか?

 いずれにしても、さびしい気持ちになるのは『わたし』です。最後に感じられるサミュエルとわたしとの明暗。ん~、この物語に、僕個人としては、静的に表されたメッセージがあるように思いました。しかしどうでしょうか、当時という時間的隔たりを考えると、ありのままの男女の一場面を、ただ切り取ったとも考えられるのでしょうか。でもこの作品の筆致と描写。表現しようとしたものがあったと見るのが、他の作品からうかがえるトーベという人のような気もします。

 わたしにとって、サミュエルの存在は大きかったのでしょうか。大きくはなくとも少なからず、わたしはサミュエルの語る言葉に影響を受けたのでしょうか。僕がそう思うのには理由があるのですが、そこは作品を読んで発見してください。こういった要素は、作品に奥行きを与えて、有機的に世界を広げるので、読んでいてわくわくしますね。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
有難きかな。
え~、それでは、とりあえず、アッチョンブリケで。