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釈迦の仏教から大乗、阿弥陀如来に来る流れ

保坂俊司氏のインド宗教興亡史で、今日までの仏教の成立の流れについて、これまで不思議だったことがつながったように思う。
インド社会の都市化にともないバラモン教で飽きたらない新興層に向け仏教ならびに六氏外道と仏教側が呼ぶウパニシャドの沙門新宗教が数多く並び立った(ジャイナ教やヨーガなど)。シャカは自らの解脱のみを目指していたが、梵天の依頼でちいさなサークルで教えを広めた。没後アーナンダの記憶など中心に経典化し、スリランカへの布教がタイなどのテーラワーダ(長老派、小乗仏教)として今日に伝わる。アショーカ王による保護など経てインド本土では部派仏教や大衆部などナーランダで学問として高度化するなかで、大乗仏教も生まれて来る。龍樹や世親など大乗の理論家は上座部が在家の救済に関心が少ないことに対し大衆を広く救済する大乗の理論化を進め阿弥陀如来が登場する。すでにインド本土では東西交流のなか絶対的な存在による救済の宗教がギリシャローマ宗教、遊牧民のユダヤ教キリスト教やゾロアスター、マニ教などにより知られており、仏の具象化や仏像崇拝など信仰の形も変わってきた。グプタ朝による国粋化のなか大乗も小乗もバラモン教への先祖帰りが生じ、密教に至っては大乗でありながら大日如来を最高神としてブッダも神のひとりヴィシュヌ神とするなどバラモン教と見分けがつかなくなっていく。イスラム教のインドへの侵入のなか、オールインド国粋宗教として仏教はますますバラモン教に埋没し今日のヒンドゥー教へと融合していく。法顕、玄奘などによる中国への仏教伝来では隋唐などの国家統治の理論として以降独自に理論化が深化していく。インドの仏教理論家はネパールやチベットに避難し大乗が完成、さらにチベット密教、恵果に至る中国密教となっていく。日本においては聖徳太子が国家形成の指導理念として中国の律令とともに仏教を導入し、東大寺、国分寺を通じ大乗仏教の根本経典の華厳思想で全国を統治する。最澄空海の密教は国家ならびに支配層を守る呪術として国家の保護を得た。浄土信仰は源信の往生要集により藤原氏など貴族階級の死の恐怖からの救済として信仰を集めた。一方日本社会の大衆化の広がりのなか、天台密教を修めた法然親鸞の指導による阿弥陀如来による一切衆生の救済宗教として仏教が初めて民衆に広がっていく。インドにおいて大乗仏教が遊牧民の一神教の流行の影響も受けるなかで、空の思想と自我の否定で釈迦の仏教らしさを残しつつ大衆救済にも取り組もうとした背景をしっかり理解した上で、出家と修行を必須とした上座部とも異なり、国家装置としての奈良仏教、天台、真言両密教とも異なる大衆信仰が日本において初めて成立した。阿弥陀信仰がマリア信仰と祈りや功徳実践などで相似するものがあるのは、異民族の思想や宗教から仏教を守ろうと変容した当時のインド仏教が大乗に内臓させた装置が時を経て所を変えて発現したと言えるのではないか。


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