サンドイッチ_2

サンドイッチ_1からの続き)

長距離列車が発着する駅の売店や、車内でももちろん売っているが、そういうところでわざわざ高いのを買わず、持参する人も多い。列車の中で隣あわせた身なりのいいビジネスマンや、キャリアウーマン風の人なども昼時になると、アルミホイルで包んだ、食パンにハムとチーズをはさんだだけのサンドイッチをがさごそ取り出して、小腹を満たしている。後はデザートにバナナやリンゴ、冬だったらみかん、用意のいい人はカップのヨーグルトやチョコレートムースなど。

北フランスにいた頃は、下宿先のおかみさん(日本人)がよくサンドイッチを作ってもたせてくれた。私が旅行にでる前日になると決まって「サンドイッチ作らなきゃね」と言う。荷造りや準備で頭がいっぱいの私は、うわの空でそれを聞いている。

マルセイユへ行く時は費用を浮かせたいのと、一秒でも長く彼の地にいたいのとで、早朝の列車を予約して、日も昇らぬ早いうちから出かけていく。前の晩、機内持ち込みサイズのトランク一つを携えていくだけなのに、夜遅くまでガサゴソやっている。台所もまだ電気がついている。「おかみさんも遅くまでやってるな」と思いながら、荷物を出したり詰め替えたりを延々と繰り返す…

翌日部屋を出て、明かりを落としたダイニングを通ると、机の上に食糧が一式置いてある。明け方発つ私のために、前の晩、遅くまでかかって用意してくれていたのだ。

電車に乗り込んでしばらくたつと、ようやく気持ちも落ち着いて、包みをひらく。サンドイッチ、お湯をつめた魔法瓶とティーバック数種類(『温かいものを飲むと、ほっと一息つくでしょうから』というメモが添えてあった)それにスペキュロスなどの個包装になった菓子…そういうのがいつも、パンを買った時にもらう紙の包装紙や袋を再利用したものの中に入れられていた。

自分は南へいくことで頭が一杯だったけれど、そんな私のことを思って作ってくれたんだな、とこの時になってようやき気づいた。
おかみさんの用意してくれるサンドイッチ一式は、心がこもっていて、素朴で、いつもとてもおいしかった。

数年後に北フランスを訪れた時も、私はまたおかみさんのサンドイッチの世話になった。
この時は母を伴って、かつての下宿先に数日寄宿したが、一足早く帰国する母と送っていく私のために軽食を持たせてくれた。空港へ向かう列車の中で「サンドイッチ食べようか?」と母にたずねると、フランスから一人で出国し、途中韓国で乗り換えをしないといけないことを思うと、何も喉を通らないという。その後CDGで母を見送った私は、パリ市内へ向かう列車に乗った。パリ市内と郊外を結ぶRERのB線である。

列車は機嫌良く出発したが、ものの20分もしないうちに機械トラブルで緊急停止した。もう20時を回っていたが、夏場は日が長く、外はまだ明るかったので、私は割りかし呑気な心持ちで(これが、外が真っ暗の真冬だったら精神的にもっと悲惨になっていただろう)、そうだサンドイッチを食べようと包みを取り出した。

その途端、それまで4人がけの席で、何やら聞いたことない言語でしきりにおしゃべりしていた3人のアフリカ系男性の視線が一斉に包みに集中した。「ボナペチ」一瞬の沈黙の後で、一人がにこやかに言った。我々は微笑みあった。こういうところが何ともフランス的である。前日の夕食に出た、鳥の丸焼きを裂いたのに、サラダが入っていておいしかった。

パリからTGVでマルセイユへ行った私は、パリ発の便で帰国する前にもう一度北フランスへ立ち寄った。北フランスのリールからは、CDGへ1時間ほどで着く直通列車があり、下手にパリ市内から移動するより早い場合がある。

トースト、キウィ、リンゴ、バナナなどが入ったフルーツボール、そして生しぼりのオレンジジュース。帰国の日の朝、おかみさんの用意してくれた素敵な朝食をいただき、名残惜しく、最後まであれやこれやを話していると、あっという間に出発の時間になった。3年ぶりに果たした束の間の再会、そして次はいつ会えるか分からないという感情が折混ざり、お互い話したいことは無限にあった。そしてここでもまた、サンドイッチの包みをもたせてくれた。

盛大な朝食の後で、列車の中ではお腹がすかず、空港でチェックインを済ませ、ほとんど無人のようになったロビーで包みを開いた。

紙袋の中には、サンドイッチ、早起きしてゆでてくれたゆでたまご、小袋のチップス、そしてカフェへ通うのが日課になっているおかみさんの夫(ロベール)が、カフェへいく度にもらってきて、キッチンの引き出しに大量にストックされている「ロベールコレクション」からいれてくれた、小包装の菓子、などが入っていた。

私はまずサンドイッチを口にした。
中にはオリーブのスライスが入っており、その独特の香りが、何ともフランスの味だった。卵も、スナックも、袋菓子も、全てがフランスの味だった。私はこんなにも「惜しい」と思いながらものを食べたことがない。これを食い尽くしてしまうということはつまり、私のséjour(滞在の日々)が終わりを迎えることを意味する。だけど、これらを持ち帰って、帰国してから食べたところで、素敵な風味は全て損なわれているだろう。現地の味、とはそういうものなのだ。私は名残おしさと、この地で消費する義務との間で行きつ戻りつしながら、一口一口を噛みしめた。

思えば私の旅立ちにはいつもおかみさんのサンドイッチがあった。私はなんとおかみさん夫婦に思われていたことだろう。いつも用意してくれる食料から、その気持ち、温かみが伝わってきて、電車の中や待合でそれを味わっていた。そしてその度ごと、それらの思いに自分は何と無自覚だったのだろう、と唖然としてしまう。

私が心から愛しているもの、それら風土が生み出す味、その土地で私を暖かく迎えてくれる人々、それらを噛み締めながら、私は最後の食事を終えた。

空になった包みをほとんど何も入っていないゴミ箱に放り込むと、私は搭乗ゲートの方へ歩いていった。


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