性別すら決められない僕が、未来のことなんて決められるわけがないって話
あはは^^
みんな元気??
僕はね、元気だよ。それなりにね^^
まあ、今日一回、死にたいスイッチみたいなのが入ったけど、大好きな辻仁成さんの本を読んでいたら、おんなじようなこと(決して死にたいと辻さんが書いていたわけではありません・・・誤解のないように)書いてあって、ああ、辻さんも、悩むというか、そういう日があるんだなあ、とおもったら、本という壁を優に超えて辻さんとシンパシー感じて急にホッとした。元気になった。
僕は度々、この、いわゆる、死にたいスイッチみたいなものが、やはりPTSDになってからは入りやすくなっているようにも感じているんだけど、まあ、別に、だからと言って死をチョイスするわけでも何でもないんだけども、こう、心の中のことをしっかりと書き残しておきたいから書いているんだよね・・・^^;
不快に感じる人がいたら、ごめんね。
僕は、こう、赤裸々な人間なのだよ。ご理解を。
そんで持って何が言いたいかというと。
タイトルにもあるようなことを、ふっと今日は思ったわけです。
僕は昨日から、あることを始めて見たんだけど、それはね、自分のその日のジェンダーをカラーで表してみるっていうことなんだ。
幸いにも、僕は今、持続させるだとか、続ける、習慣化するっていうことがマイブームだから、こうやって続けていくことによって日々にどんなサイクルがあるのか知りたいなあと思ったわけだ。
これって、僕の中では、立派な生命活動だし、何より僕という生命体を前向きに捉えていることでもあるんだよねえ。
だから、自分で自分を褒めてやりたいと思っているよ^^
ここまでよくやってきたぞ、ヨシヨシ。
的なね。
そして何だか昨日からいろんなこと妄想して、一通り自分の中の全ての欲望や願望に気づいたのだ
そう。
僕がやりたいことって何かっていうと、やっぱり、自分で何かを主催したり、基本作ることなんだよね。作る、より、創るかもしれない。自分の身を削って生み出す、いわゆる出産と同じような感覚の、肉と骨を削いでいくような感覚のものにすごく命を感じるんだ。
そう。
なんていうか、ベジタリアン生活をしていたことによって、その生命感のようなものが、こう身にしみて分かっていて、とっても勉強になったのだよ。
あの時間は間違いなく、僕に必要なものだったんだ。今になってやっと、体づくりの観点からも、というところでもあるけれど、それだけではない。僕にとってい切ることが、何を意味し何を結果として生み出していくことなのか、本当に大切なものは何なのか、ある意味で僕は半年以上かけて自問自答してきたのかもしれない。
いや、それ自体はもう、生まれた時からしているけどね。
小さい頃から、3歳くらいから、自分は芸術家だって思ってた。
人に邪魔されず阻害されない、己を貫いた芸術家。そこに俺の真髄があるような気がしているし、確信もしている。
もっと書きたいのだが・・・・薬が効いてきた・・・・・^^;
みんなあ、おやっすみいいいいいいいいいいい
もにか💙✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?