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戦場カメラマン渡部陽一さんの生き方

戦場カメラマン渡部陽一さんの生き方


こんばんは!
まっさんです^^


先日、戦場カメラマン
渡部陽一さんのオンライン講演会に
参加させて頂きました


渡部さんは最後にこうお話されました

『石の上に15年』

その渡部さんの生き方を
共有させて頂けたら幸いです

目次
・戦場カメラマンになったきっかけ
・実際の現場での状況
・石の上にも15年の意味



●戦場カメラマンになったきっかけ


渡部さんは
“戦場”と“日本”のかけはしとなるため
戦場カメラマンとして活動しています


きっかけは
大学で生物学の授業を受けていた時
先生が

『アフリカ大国のジャングルの中には
言葉を理解するチンパンジーがいる』
『ターザンの様な生活をしている』


そんな言葉に興味がわき
たった1人でそのアフリカ大国
のジャングルの中に旅立ちました


そこには大きな木が
一面に生えていて
よくよく見ると、隙間から何かが見えたんです


それは動物ではなく、ターザンではなく


小さな子ども達が銃を持って戦争していた姿でした

100万人が大量虐殺されたという“ルワンダ紛争”
のまっただ中だったんです



血だらけになった子どもが
渡部さんに助けを求めたが20歳だった渡部さんは
何も出来なかった、、、


『自分にできることは無いだろうか?』

強烈に自問自答して



好きだったカメラ


写真を使えば、この現状を多くの方に知ってもらうことができる
そうすれば、何かが動き、紛争を少しでも止められるかもしれない

という事で
戦場カメラマンになることを決意しました


多くの戦場に行き
渡部さんが気付いたことがありました


それは
“戦う国同士”では
戦争は止めることができない

という現実、しかし


第3の国が手を差し伸べれば
戦争を止めることができるのだと信じました




●実際の現場での状況



戦争が起きると
ライフラインから壊されていきます
空港、駅、道路、水道、電気、そして医療から
破壊されていく


必要な医薬品が燃やされ
助かるはずの命が次々と奪われていく
そんな現場での写真を日本や世界に届けることが
渡部さんのお仕事である



戦場カメラマンと聞くと
1人で立ち向かっていく様な
イメージがあるが実際は違う


必ず4人1組で行動をする
現地のガイド、通訳、セキュリティの方


取材チームを組み、緻密な計画を立て行動をする


第一に安全、第二に取材
この優先順位は絶対に変えてはいけない


第一の安全に80%
時間と労力、資金を費やす


第二の取材20%は
撮影技術だったり
インタビューなどである


若い時に命の危険を
何度もさらした事で多くの事を学びました


●石の上にも15年の意味


実際のところ
カメラマンだけでは食べていけなかった

危険な現場に行き
撮影をして日本に帰り

新聞、ラジオ、TV、雑誌
あらゆるメディアに持って言ったが
採用されることはなかった

それを何度も何度も繰り返した

資金はどうしたのか?

港に行き日の出前に
入ってきたバナナの箱
1日1200個の箱を移す日雇いバイト
でお金を得ていた


半分は生活費
半分は海外の現地取材のための資金


そんな生活がずっと続き
めげそうだった、、、


どんなに苦労して撮っても
誰も理解してくれない


そんな時
カメラの師匠がこう言った


カメラマンでも
どんなお仕事でも
自分が納得したお仕事ならば


毎日シャッターを切り続ける事
毎日たくさんの写真を見続ける事


それを15年やったら
目標を引き寄せることができる



その言葉だけが救いだった


そして、15年間近となった時
ついにその時が来た


初めて週刊誌に載せてもらえたのです


本屋さんに自分の撮った写真が
いっぱい並んでいる


渡部さんは本当に嬉しくて
何冊も自分で買ったとのこと


“戦争の犠牲者はいつも子どもたち”
“戦争の犠牲者はいつも子どもたち”



渡部さんは何度もそれをお話していました



その現状を日本に届けるため

子どもたちの声を届けるために

戦場カメラマンになった


そんな生き方のお話でした


『石の上にも15年』


僕の心に大きな勇気をもらえました


渡部さん本当にありがとうございます

まっさん

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