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『推し』が欲しい。

こんばんは。

『推し』が欲しい

突然どうしたと思われるかもしれません。
でも、今猛烈に『推し』が欲しいんです。正しくは見つけたい、というべきでしょうか。

というのも、周りの家族や友人で『推し』がいる人は、もれなく日々楽しそうなんです(笑)
なんなら本人たちも口をそろえて言ってます。
『推し』がいるっていいよ~楽しいよ~、と。

みな『推し』のためにテレビ番組を録画したり、『推し』にまつわるグッズを買ったり、生で『推し』を見るためにコンサートやショーに足しげく、時には遠方にも出掛けたり…
生活すべてが『推し』で彩られている。
そしてみんなキラキラしている。


正直、家族が『推し』活をしはじめたころはちょっと冷たい目で見ていました。
ただ一人の『推し』のために労力も、時間も、お金も、たいそうかける意味が分からない、と。
同じコンサートを4回も5回も行ったり、実家に帰るたびに関連グッズが増えていたり、私はそこまで興味のない『推し』の話をいつまでもされたり…
(ハマった姿が宗教じみてて、ちょっと怖かった)


私はどっちかと言うと物事を一歩引いて、穿った見方をする癖があるので、性格の問題もありますが、今まで熱狂的になるほどの『推し』がいたことはありません。
もちろん学生時代に好きなアーティストがいて、アルバムを買ったりコンサートに行ったりとかはありましたけど。


さらにここ近年は、何かに誰かに対して極端に『好き!』と思うことがなく、
『これはもしかして枯れてるというやつなんじゃないか…』
と危機感をいただき始めました。


第3者目線で『推し』活をしている友人などを見る立場として、『推し』はいわばオアシスのようなイメージです。

仕事で大変でも、今夜『推し』が出るテレビ番組があるから頑張ろう、とか
『推し』のコンサートに着ていくために、洋服を新調しよう、とか
あとは普段無口な子が『推し』の話になると、途端にまくしたてるように話し始める、とか…
(オアシスとはちょっと違う?)



結論、私は日々仕事するため、生きるための何かしらの『楽しさ』が欲しいのかもしれません。


『推し』がいる知り合いは口をそろえて言います
『推し』は突然舞い降りてくるもの、突然好きになるんだよ、と。


私にはそんなタイミングが来るのだろうか、とこのnoteの最終着地点もわからないまま、まだ見ぬ『推し』を目指して明日から仕事頑張ります。

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