写生とは?掘り起こされた明治    <新明解 明治美術展>


神奈川県立歴史博物館

<新明解 明治美術 増殖する新(ニュー)メディア

     ―神奈川県立博物館50年の精華ー 

     http://ch.kanagawa-museum.jp/m150/ 

へ。明治150年ワードが政治的にも利用されている昨今だが、なかなかどうして、このような展示が副産物的に見られるのはかなりの収穫。歴史の表舞台に埋もれていた文化や美術の流れの実際を同時代の感覚でうかがい知ることができる貴重な展示だと思う。この神奈川県立歴史博物館の古い建物も非常に落ち着く、得難い空間なのだが、宣伝が足りな過ぎて観覧者が少ないようでなんとも歯がゆい。これほどの建築と、展示、埋もれさせてしまうのは惜しい。

幕末から明治期の、緻密さを過剰に追い求めたような美術工芸品(ex.真葛焼など。そういえば、先日青山スパイラルで見た桝本佳子http://keikomasumoto.main.jp/keikomasumoto/works/works.htmlの陶芸はこの真葛焼の現代版だろう)、そこに新たにもたらされた西洋画の描写の手法、なるほど、この素地があってこそと思わされる。正岡子規が、「写生」という概念を俳句に提唱し始めたのも、こうした幕末からの美術工芸の流れの上にあるのだろう。子規や漱石など、文人書生ジャーナリストから華族富裕層たち、言わば当時の意識高い系の人々がこぞって訪れた勧業博覧会やパノラマ館に関連する展示もある(ex.夏目漱石『虞美人草』『それから』など)。パノラマ館については、歌人の斎藤茂吉が赴いて感銘を受けたという記事があった。https://tanken.com/pano.html

また、江戸川乱歩のパノラマ館についての記述で興味を持った方が、ロシアで現存するものを見つけたとの記事も。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5158&id=6609819

webサイト「見世物興業年表」には、全国各地に当時あったパノラマ館と当時の新聞などでの報道記事が載っていて興味深い。http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/cat_50049624.html

こうしたパノラマ館や明治の緻密な工芸、入ってきたばかりの西洋の写生技術を習得した絵画(絹本に油彩のものもある)、当時の詳細な地図など、子規や漱石が呼吸し肌身に感じた明治の空気や文化を蘇らせてくれるものになっている。

「初代五姓田芳柳《馬図》は明治九年に陸軍病馬厩の需(もとめ)で描いた作品で、獣医学の授業時に馬の各部位を示すことを目的として描かれている。」(特別展図録より)。外国人(仏人?)講師の要請に応じて、彼が欧州から携えてきた馬図を大きく教室に張り出せるようホワイトボードほどの大きさに模写し描かれたものだが、その材質は茶色い紙である。昭和の時代に小包を包むのに使われていた茶紙と似た材質で、折りたたんだ痕が無数にあったものを修復している。大きく描かれた白馬はおそらく油絵具が足りなかったか節約したかで胡粉で塗られていることが判明。明治9年であれば、そうしたこともあっただろう。しかし、白馬の足元をよく見てほしい、その足元に描かれた草花は今も雑草としておなじみの日本の植物なのだ。どうみてもこれは露草や蚊帳吊草、日本全土以外では東アジア、朝鮮半島などに植生があるこれらは、元の外国人講師が示した図版にはなかったのでは。元画の足元の記載が小さくて見えにくかったか、欧州の草花が描かれていたものを、初代五姓田芳柳が日本の生徒たちに親しみやすいよう自生の植物に描き替えたのかもしれない。しかも美しい色彩で、足元のアクセントながら細かく描写されている。その描く様子を想像して、ふっとほほえましくもなる。

展示替えもあり、何度も足を運んでみたくなる展示なのだが、さらに展覧会図録が布張りの装幀で製本された労作ながら千円!という驚き。このあたりの馬車道の散策も楽しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?