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帰国子女の生きた英語

中学時代🇬🇧帰りの女子が2年生になるタイミングで🇯🇵に帰国し、編入してきた
毎回【英語】の授業になる度に生きた英語の発音をその帰国子女に。
しかし、🇬🇧では文法はなかったらしく苦戦していたようだ。
そして、彼女は帰国子女のための補習学校にも週一で通っていたようで、分厚い📚️をよく家庭科の時間に読んでいた。
高校は当時高校野球で西東京代表として出場した桜美林。
彼女はその後ひとづてに高校在学中に🇦🇺に一家で渡ったらしい。帰国はいつなのか?は🤷と
その後は自分も町を離れたので消息は不明

中学には結構、✈️✨に行く生徒が多かった。
中には先生にまで相談して行くことを決意した生徒もいた。彼曰く、父親の海外赴任なのだが期限がないと言う。たまたま隣を歩いていた時に聞いてしまった話だったが、なぜか話に加わり、✈️✨に行きたいが英語が不安、🚻🏫が不安だともらしていた。結局彼は行くことを決めて🚻🏫を確か中3の半ばで去った。
また小学校時代少しだけ仲良くさせてもらった体がちょいと弱い女子はやはり中3半ばで父親の海外赴任先の🇩🇪へ行くことを決断した。
中2半ばで🇳🇱へ突然行く事になった男子はその後3年の卒業式にヒョッコリと😁だしに来た。

地域性なのか🚻🏫には帰国子女がいたり、✈️✨赴任で行く生徒が80年代初頭は多かった。

中には生れは🇺🇸で3歳まで住んでいた人や生後まもなく帰国した生徒がいて、スゴいのは彼女ら生粋の帰国子女じゃないのに英語が上手かった‼️必ず『不思議の国のアリス』のある部分を朗読してもらっていた。

母の一回り違う妹夫婦(叔母)は6年間🇺🇸へ一家で渡った。従姉妹は五歳と三歳。現地の🚻🏫に入学入園して、6年間が過ぎた。
ネイティブ英語で大草原の小さな家でも聞いたことがある日本の『かごめかごめ』に似た遊戯に歌などを教えてもらったり。
叔母が言うには6年間英語を本場で習ったっ言っても小学生で最低限習う英語である。流暢に話せるとは言えそれは学校で友達同士の会話で他人の家に行った時や町中で使えるもの。帰国子女とはいえないレベルだと話してくれた。
要は授業中に🚻に行きたい、解りません、できた、とか簡単な英会話。姉の6年間は向こうではちょうど中1にあたり、妹は小4(日本では小3)にあたる。中1までに覚えられる英語と小4までに習う英語では差があり違いがあるのは当たり前だとも。姉は帰国子女を対象にした学校を受験し妹は公立にしたとか(受験勉強ぐ嫌だったらしい)

生きた🇺🇸英語と🇬🇧英語を聞いてはいたけど当時はただただ興味本位で『ふ~ん。カッコいい』と思ってきいていただけで、発音練習を真面目にやらなかった。🇬🇧英語を🗣️彼女が時々教えてあげるよと言ってくれていたのを今も昔も変わらない人前で🗣️のが苦手?いやキライだった自分は彼女の申し出を何度も断り英語は見事に低空飛行のまま卒業してしまった。今思えば、あの頃しっかり彼女らに教わっておけばよかった‼️本場の英語で🗣️彼女。今ごろ何処で何をしてるかな。o@(・_・)@o。

中学校は普通に公立なのだが学年によって取り組み方が違うようで、中1で学年英語弁論大会で当時少しだけ仲良かった年下の女子が1位には👀‼️生粋の日本人なのだが彼女は英語が得意だったらしい🎵

さすがに高校には帰国子女もいなければ、✈️✨赴任に伴いついて行った生徒は自分が知る限りいない。


英語🗣️せなくてもあのイントネーション、🤔方などが好きです。日本人なのに日本語、日本の文化をあまり良く知らないのに何故か異文化が好きなのは何処かに置き忘れた記憶があるのかな?

なんだかまとまりのない相変わらずとっ散らかった文章だけど、( `・ω・´)ノ ヨロシクーお願いします🙇‍♀️⤵️

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