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英検5級女がアメリカ行きを決意した理由

はじめまして。アメリカのEastern Arizona Collegeでバスケをしている泉百音です。

はやく読者の方々を私のはちゃめちゃな体験談、その先にたどり着いた考え方、気づきなどを発信していきたいので、簡単に自己紹介をしていきます。

生まれた場所:大分県臼杵市

育ったところ:福岡県福岡市東区

自分を常に信じることが私のモットーです。

小学校4年生の時にバスケに出会いました。いろんなスポーツをしてきましたが、バスケにはハマりすぎて、男子と朝から晩まで外で、週末はチャリを漕いで体育館を借りてしていました。そんな毎日を送っているうちにNBAにハマり、男子のプレーの真似をするのが日々の日課になっていました。もちろん、勉強はそっちのけです。

さらに、バスケを始めた当初から、どのコーチにも相手にされませんでした。それは身長が小さいのと、理解力が他の子よりも劣っていたからだと思います。それでも、私はコーチたちに教えてもらいたい一心でワンハンドでシュート、ダブルクラッチ、男の子の様なプレースタイルに近づこうとしました。

また、弱小校の部活に入っていましたが、高校は強豪校に入りたいと両親にわがままを言って、私立のxx高校に入学しました。毎日、朝5時に起きて朝練、夜の10時まで夜練をし、3年間で40冊以上のバスケットボールノートを書きひたすら努力しました。見事チームはインターハイに出場しました。しかし、私自身、活躍する姿を見せられず、家族には申し訳ないです。

高校卒業後、先生のコネで沖縄のxx大学の指定校推薦をもらえました。試験内容は、小論文とバスケのスキルテストでした。勉強を全くしたことのない私は、小論文を半分も書くことができずに99パーセント受かるところを落ちました。もちろん小論文の内容もあまり理解できていません。

その落ちた日の夜、先生たちに怒られ落ち込んでいました。しかし、いつも心のどこかで、私はできると確信していたので、本場のアメリカでバスケをして、有名になれば誰も文句言えない、みんなが私を認めてくれるかもしれないと思いアメリカ行きを決意しました。また、もしなれなくてもアメリカの大学卒業の経歴と、英語が話せるになるので損はないと考えました。

アメリカと日本のスキルコーチになって、

以上が私がアメリカに行きを決めた経緯です。

次は、英語を一言も話せず、お金持ちでもない私がどうやって一人で大学を見つけたのか書いていきたいと思います。

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