電車でストレスの日本人、友だち作るイタリア人
電車内でのルール、日本では色々あるだろうけれど、思い浮かぶのは、携帯電話はマナーモードにして、優先席付近では通話を控えるということは、だいたいどの路線でも車内アナウンスで耳にするだろう。
また、規則ではないものの、大きな声で話したりするのは控え、音楽や何かを聴く際の音漏れには気を付けるべきだという暗黙の了解があるかとも思われる。そして、優先席には、対象になる人を優先させるべきだというのは、社会通年である。
日本の電車、特に都心の通勤通学のラッシュアワーの混雑は、身体だけではなく精神的にもよくないのだろうなと思われる。というのも、みんな気持ちの余裕に乏しくなり、他の乗客への寛容さがそがれるところがないだろうか。
ベビーカーが必要な人や時間に余裕がある高齢者は、そういう時間帯に電車に乗らないでほしいというような意見を読んだりすると、特にそのことを感じ、悲しくなる。
また、緊急の事で電車が止まったり立ち往生すると、時々いらだって駅員を恫喝するような人も見られたが、それも他のストレスと相まって、そのような態度を表に出してしまうのだろうか。。
個人的には、日本の満員電車内で立ったまま携帯でメールを打っていたら、それが煩わしかったのか、舌打ちをされた経験があった。
また、満員電車ではないものの、日中の時間帯につり革を掴んで、父と横並びに立ちながら話をしていたところ、前に座って目をつぶっていた中高年の男性が軽く咳払いをした。それでもわたしたちが話していたからか、突然「うるさいって言ってるだろっ!」と怒鳴られたため、驚いて黙ったことがあった。それほど大きい声で話していたわけではないのだが、眠りたいその人にとっては迷惑だったということか。それにしても、もう少し丁寧で穏便な言い方をしてくれればよいのに。赤の他人へ物申す時の言葉使いではないよなぁ、と思うのはわたしだけだろうか?
一方、イタリアの電車内では、携帯電話をマナーモードにしなければならないというルールもなければ、通話を控えるという概念もない。優先席自体、電車には少ないか、見られないようなので、あったとしても特に携帯電話使用の配慮までは皆思い当たらないかもしれない。(イタリアでは、病院内でも携帯電話の使用をそれほど制限されていないように思われる。)
昨今では、携帯電話・タブレット・PCの使用などに集中する人が多く見られるが、友人や家族、同僚などと数人で連れだって乗っている人たちは、おしゃべりに興じていることも多く、時にはうるさいと感じることもあるが、それはよく見られる光景であり、よほど大騒ぎをするでもなければ注意されることもない。時には、携帯電話で通話を始めて、降車駅までマシンガンのように話している人もいる。当然、周囲の人に会話の内容が丸聞こえのことも多々あるが、そういうことを気にしていないので話せるのだろうと思われる。日本人だったら、聞こえてしまっても聞いていない素振りをしそうだが、こちらの人の中には、たまたま居合わせた知らない乗客の会話に口を挟む人もいる。そういった時に「やだ、聞いてたの?」と目くじらは立てないような気がする。きっと、口を挟むまではしなくても、みんな聞き耳を立てたことはあるだろうから。
時々、電車で知り合った「電車の友だち」という存在ができる人もいる。通勤通学時などで、同じ時間帯の電車の同じ車両などに乗っている人と友だちになるというケース。元は知らない人どうしでも、何度か顔を合わせているうちに、挨拶から始まり、自分が何をしている人かなどを話し出し、そのうち、連絡先まで交換して交流をはかるようだ。時々、「○○は電車の友だち」と紹介されるようなこともある。
電車の優先席はあまりないのと、優先席がないと座れないぐらい優先されるべき人が座れない状況があまりないので、座席数が少ないバスの例を出してみる。
わたしがバスの優先席ではない一般の席に座っていた時のことだが、ぽんぽんと肩を叩かれて、何かと思って顔を上げると、妊婦さんと思われる外国人女性が自分のお腹を指して「座らせて欲しい」というジェスチャーをしたり、イタリア人の高齢の男性が「席を譲ってくれないかね」と直接言ってきたりということがあった。
もちろん、そういう時に気が付いた人が譲っている光景も見られるのだが、そうでなければ、しっかり伝えるのがイタリアにいる人たちなのだ。
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