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目に留まったふたりの人

こちらに来たばかりの頃、通学時によく見かける人で、ついつい目を留めてしまう人がふたりいた。

両方ともイタリア人男性だとは思うが、好みの風貌だとか、そういう理由ではない。

日本人で知っている人に似ていたからだ。

ひとりは、日本で最後に働いた職場の同じグループにいたBさん似。

グループの中でも、職務上でまた数人に分かれていたのだが、わたしは、Bさん付きだった。
彼は、関西出身。短髪でスクエアタイプの眼鏡をかけていた。一見、怒ると怖そうな雰囲気にも見えないこともないが、わたし自身が怒られたことは一度もないし、概ね、気はやさしい方だったと思う。
ただ、わたしとは関係ないことでも、不機嫌だろうと思われる時には、その雰囲気は伝わって来ていたので、面倒な内容を話すのは様子を見ながらにしていた。
職場を後にする際に知ったのだが、Bさんはイタリアのこの地方を車で旅したことがあったそうだ。

そんなBさんに似ている人がこちらにいたので、知らない人ではあるが、親しみを感じて、つい目に入った。

来たばかりの頃だったので、Bさんと別れてそれほど経ってはいなかったものの、なんとなく懐かしい感じで、その人を見ると「あ、Bさんだ!」と脳内で思っていた。

だからと言って、見ず知らずの人に、そのことで話しかけることはしなかったのだが、もしかすると、なんか、あの東洋人はよく自分のことを見ている気がする……と、思っていたかもしれない(自意識過剰)。

そのうち、イタリア版Bさんとは、ばったり会うこともなくなった。


もうひとりは、直接の知り合いではなく、日本のダンサー・振り付け師・タレントのパパイヤ鈴木さん似。

いや、それは見てしまうでしょ?

こちらも同じく、目にすると、「パパイヤさん!」と思っていた。

パパイヤさんは、たいていパートナーであろう女性と一緒にいた。ただ、セットだと分かるのだが、もし、その女性だけだったら、分かるかどうか……というぐらい、イタリア版パパイヤさんのインパクトは強かった。

実は、彼とは、今から8年ぐらい前に実際に知り合うことになる。

イタリア版パパイヤさんは日本に関心がある人だったのだ。
すでにその頃には家族で日本を訪れていて、息子さんが明治神宮でお参りしている写真を見せてくれた。

一度、スーパーのレジの前で、その息子さんが小学生か中学生の頃に、イタリア版パパイヤさんとは別に、普通の買い物客どうし、言葉を交わしたことがある。列が長くて通路を阻んでいたので、彼が通れるように間隔を開けてあげたのだ。
それに対して、敬語を使ってお礼を言ったのを耳にして、その年頃のイタリアの子としてはとても丁寧なので、お家でのしつけが良いのかしら?と感心したものである。

その後、イタリア版パパイヤさんやパートナーさんとは、たまに通りで会った際には挨拶し合うが、ふたりとも感じがいい。
パートナーさんとは、話したと言えるほどは話したことがなく、名前も知らないのだが、いつかご縁があったら、話してみたいものだ。



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