見出し画像

槇原敬之『Happy Ending』  ※幼い頃に刺さった心の棘

槇原敬之氏の描く優しい曲が、昔からずっと大好きだった。
特に「僕が一番欲しかったもの」
https://youtu.be/1eQ1UKChkuU

この曲を聴くといつも、大きな共感とともに何故か分からないけれど 泣きたくなる程切なくもなってしまう。いや、涙が出てきてしまう。

もう1つ、 メロディーと歌詞が何となく深く心に刺さってずっと好きだった「Happy Ending」と言う曲がある。
こちらは聴き始めた当初は気付かなかったのだけれど、口ずさんだり歌詞を読み込むうちに、「幼い頃の彼の話」なのだなと、何となく理解するようになっていった。

彼の優しさの根底にある自己犠牲の上で成り立つ優しさは、もしかしたらここだったのかなと感じた曲だ。

曲(歌詞)の背景は、とある青年の少年時代の回想シーン、万博公園に家族で出掛た日のできごと。

※以下は個人的解釈の書き起こしです

珍しく家族が揃い 皆の笑顔を眺めながら「今日は特別な日なんだ」と思い、 嬉しくてはしゃぐ少年。売られていたブリキの鳥の玩具が目に入り、思い切っておねだりをしたら、なんと父親がそれを買ってくれた。
それが余りにも嬉し過ぎて、信じられないような 何だか少し怖くなった矢先、まだ上手く扱えずにその玩具を落とし、慌てて拾い上げ、抱きしめる少年。

やがて帰る時間が訪れる。
出口のゲート前まで来た時、母親が 父親に対し「無駄遣いするなんて」と ひどい形相で怒り出した。少年は 原因が自分のねだった玩具であると考え、慌ててお店に返そうとした。ところが、落とした時の傷のせいで 返品は叶わないのだと分かり、色を失ったような景色の中、胸に抱いたブリキの鳥の玩具は まるで死んだ鳥のように冷たく感じられた。
みんなが笑顔になるはずの特別な日 特別な場所でさえ、自分が原因で 母親を怒らせてしまうことが、悲しくて嫌で仕方なくて、少年は沢山たくさん 泣いた。

そしてシーンは30年後。大人に成長し 自分の家族を持った少年は、同じ場所を訪れていた。
あの日からずっと理想としていた 「家族皆が 笑顔のまま」で、一緒に1日を過ごすことが叶った。傷を負った少年は、大人になり 過去の傷を乗り越え、やっと幸せを実感することができたのだった。




1人の青年が 、少年時代の心の傷やトラウマと向き合い続ける、家族を通したエピソードである。

子ども心ながらに大泣きした思い出は、笑い話として話せるようにはなったけれど、彼の中で幼きその日から自分に向き合い続けてやっと出せたと語る答えは、
『相手の喜ぶことを まず先に出来る自分でいなければいけない』というものだった。

美しい配慮の精神だとして、聴こえる心地は良いかもしれない。
ただ、その心がけの背景には、「自己犠牲」がドスンと影を落としているように感じられ、胸が締め付けられる想いに囚われてしまう。

家族が、周囲の人達が、皆が笑顔でいるために、だめな僕が 努力をすべきなんだ

そんな思いをマストとし 幼少期に既に、自分の感情や幸せの原点を、他者の幸せ・喜びの為に手放してしまっている。

何より幼き頃に、自分という存在を無条件に受け入れられ 認められて初めて、他者への思いやりの心が育っていく はずが
自分の心自体を 他者に預け、喜んでもらえて初めて 自分が存在していいのだと認められる…

では、もしも喜ばれなかったら?

これではダメだ、もっと努力が必要だと考え、自分の心身を削りながら捧げ、与え続けることになる。
それを当たり前に過ごしながら、靴もあげ、身に着けた物もあげ、いつしか裸になってしまった自分に もうあげる物が何もなくなってしまった時、自分自身に価値はなくなってしまったと、そう感じてしまいはしないか。

長年の自分の願いだった家族全員の笑顔、その中に、自分自身の心は笑えていたのだろうか。
ホッと安心をした。   まだその段階なように思え
タイトルの「Happy Ending」のイメージと、曲の歌詞に加えられたメロディがあまりに切なく、ずっと心を捉えて離れないままの 一曲だ。

いつか、この曲を作った槇原氏と、この曲に共鳴して涙をこぼすリスナーの人達の心が、本当の意味で自分自身の心を解放し、自由を感じられる日がそれぞれに訪れるよう、心から願う。


それぞれの目線でストーリーを辿ると、また違う背景が見えて来るように…。

また、10代~の独身時代の目線で聴いていた頃と、家庭を持ち、子を持ち、家事・育児・仕事をこなす生活を経験した今では、曲の背景の見え方がまた大きく変わることも感じた。

はじめに耳にした若い頃は、真っ先に子どもの心が入ってきて
そうなんだよ…すごく悲しくなるんだよ、自分が 居ちゃダメな存在のように感じるんだ。誰か 許してやってほしい。それだけで救われるんだよ…。と、ひたすらに切なさや苦しさ を感じる曲だった。

それが、最近改めて 歌詞などじっくり聴き込んでみたら

特別な日だからと 子どものおねだりを聴いてあげたい父親の心も
家計を気にしながら 時間を気にしながら 余裕なく感じる苦しい母親の心も
そして漠然とした物語の背景に映る 万博公園の景色の色の変化の理由も

青い感覚・感性の頃は ただただ漠然とした切なさを感じ取っていたものが、歳を重ね、様々な知識や経験を積み重ねたことで、こんなにも見えるものが違ってくるのかと、改めて感慨深いものを感じてやまない。

生き苦しいながらもなんとか重ねてきたこれまでの時間も、たくさんの意味があったのかなと、少しずつ思えるようになってきたのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?