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あなたの事を理解してくれる人なんてこの世に誰もいないんだよ。

『お前は私の何を知っている、トボけた事を言ってくる奴らを全員ボケた老人だと思え!』 精神で生きる


2019年11月21日に渡豪してから、3年9ヶ月27日が過ぎた。日数に換算すると1,396日が過ぎたようだ。毎日がペラペラ漫画のように過ぎると、いやパラパラ漫画か。
簡潔に言うと短いようであっと言う間だね!hahahaみたいなニュアンスで言葉で表現する人が多いと思う。ペラペラな人間そんなもんよ!と軽く言えば友人は口を揃えて「羨ましい〜」「楽しそうだね〜」なんて言葉をくれる。
でも私は最近になって思うのがこれが私にとってのオーストラリアでの生活を誰かに話すとしては正解だと思い出した。

他人の経験や実際に起きたことをまったく同じような経験をしたことない人に100%理解してもらおうなんて実際には無理。と、私はオーストラリアで過ごして感じた。似たような経験をしても、わからないものはわからない。

この上記三行を理解してもらうための例えとしては、

毎晩、空に満遍に輝く星、毎周期見過ごす事ない満月を見ることができる環境が何より幸せに感じる瞬間(何よりもっていうのに重点を置いてほしい。)
小さな幸せで美味しいものを食べるとか、大きな幸せで夢が叶ったとか微塵も勝てないこの幸福感を知る東京人は特に少ないと思う。私が東京で30年育ったから私の考えとして。

意外にもキャリアを気にしたり、安全圏で生きていたかった私は他人からの言葉に敏感だった。敏感でないふりしても、裏ではこんな会話をされているんだろうなとか、あることないことにイライラしている事も多かった気がする。とにかく人に私の経験を代弁してほしくなかったし、思いや感情までも書き換えてほしくなかった、私の人生を勝手に塗りつぶさないでほしいとまでも思うほどストレスがすごかった。でも、もし私がSNSに生活を投稿しなければ誰も私の日常を知ることはない。ましてや、SNSに載せる日常なんて偽りに近いものがある。でも私がピーピー泣いた発言をすれば友人は心配して連絡をくれる。
でもどんなに詳細を詰めた内容を投稿しても彼ら彼女らがすべてをイメージすらできない、でも優しい言葉をかけてくれるし励ましてくれる。それで十分なんだ。嬉しくて涙が止まらなくなる。

既に30代を迎えた私たちの世代は結婚、出産に大忙しで、人も亡くなるなんてイベントまで発生する。そう、だからみんな自分の人生にいっぱいいっぱい。親しい友人の環境や彼女、彼らのショックだった事を聞いても私もピンとこない時があるし、立場が違うと支離滅裂なコメントをあげてしまう事も私は多かった気がするし、今もそうだ。

そしてやっと、気づいた!
親も友人も私のすべてを知る人はいない!だから誰にどんな事を言われても、「はははははははは(失笑)、コイツ。病気か?ボケはじめたからしょうがないな。」って思い出したら解放された気持ちになった。

こんな一連が、仕事でもSNSを運用しまくって「24時間一生インスタ見てまーす、趣味はストーキングでーす。」レベルでSNSを更新しまくっていた私が徐々に投稿を減らし(もはや投稿するネタも時間もなかったのも事実)、アプリをスクリーン上から消した理由。※スクリーンから消してもアプリは使用できます。

SNSに依存する私たち

Facebookとmixiがこの世に生まれたのが2004年。2年後にはTwitter。6年後にはInstagramが発明され、最近ではTicktockの動画をメインにしたSNSが開発された。このnoteもSNSの一つだね。

高校生になり、iPhoneの初代は日本で発売されなかったが3Gが上陸した際にはもちろん買った。iPhoneユーザー暦としては約15年が経とうとしている。そう、立派なapple中毒者だ。私は特にInstagramに熱中した。写真を撮るのも文章を考えるのも好き、人に見られることにすら幸福感を得た。かなりの依存だった。
SNSを使うことで仕事に活用できたし、交友関係も広がった。社交場としての活用と考えても悪くはないと思っている今でも。

ただ、いつでも携帯を手に握り占めて、人の生活を追いかけ回したり、自分の見せなくても良いプライベートをさらけ出すことに少し違和感を感じはじめた。友人とSNSだけで繋がっている自分の日常に悲しさを覚えた。
もちろんSNSで日常を垣間見れて気軽にコメントして会話に繋がったりすることは悪いことではない。ただ少し悲しくなった。

そして不安にも感じた。
私たちは手紙を送り合うという文化を消しはじめ、近況報告すらSNSですればみんなに一度で伝わるから効率的にも良い、離れている人にも見せることができるとポジティブに考えてもそれで本当にいいのだろうか? 家族で食卓を囲っても携帯を手放すことができず、食事に行けば友人と共に写真を撮るのでなく、プロのように食べ物の写真を撮る、誰に頼まれているわけでもないのに。

私たちはもう既に電話で会話をするためのものでない「なにか」を持っている気がする。

SNSと上手な距離感を保ちながら活用し、携帯を手放して海でのんびりする、あとはこうやって自分の考えをまとめるメモとして活用してみようと思っている。英語でスラスラ表現したいところだが、まだまだそんなレベルに達せていないのが実状。日本語で自分の考えを表現することが好きで、そのレベルを落としたくないっていうのも理由である。
論点をまとめる事が苦手でダラダラと自分勝手な表現だが、ここまで読んで頂いた事に感謝しています:)



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